
本日はSamSの中高生の頃から話が始まります。
(←当時のファッションがよく分かるゾ)
折りしもちょうど邦楽ではグループ・サウンズ(GS)の勃興期でいろいろなグループが出てきてました。4~5人で同じ「制服」に身を包み、どれも似たようなメロディラインのゆったりした曲を歌って演奏するスタイルで振り付けはなし。
ザ・タイガースが「僕のマリー」などを女々しく歌って人気が出た頃です(←これ覚えてる人は以下の文が理解し易い)。
他にもザ・ジャガーズ、ザ・ワイルドワンズ、ブルーコメッツ等が人気でした。当時は「ヤング720」という朝番組でデビューしたての新GSが演奏するのを見て学校へ行く毎日でした。
そこにある朝、突如横浜出身として登場した
ザ・ゴールデン・カップスをみて魂消(たまげ)ました。
私服で登場したからではありません、サウンドからして全く違ってました。当時は単調なコード進行で始まり、サビでちょっと盛り上がり同じメロディのリフレインで〆る(「僕のマリー」を覚えてます?)、てのがGSの作法でしたが........
これが始めっから喧しい! リードギターがギュンギュン鳴り響き、ドラムも始めから大音響で、おまけにベースが滅法上手くてリードギターを追いかけて着かず離れず、そのうちベースがメロディまで奏で出して聴いたことのない「リードベース」となって曲を引っ張る.....いやはや参りました! SamSのようなド素人でも腕が全く違うのは聴いてすぐ分かりました。
ザ・ゴールデン・カップスはあの「ゴールデン・カップ」の専属バンドとしてあくまでハマのローカルバンド的存在でテレビ露出の機会は少なかったのですが、音楽の腕はダンチでした。ブルーコメッツですらすべての曲がシンプルなベースコード進行の時代だったので彼等の音楽を受け入れられない人達も多かったと思います。60年代後半のGSブームの頃、彼らはそれに一線を画して本牧で自分達の音楽を追求してました。米国の最新R&Bでしたがそれに聞き耳を立てていたのが東京からのプロミュージシャンや芸能人という構図だったと後で知りました。
たまにテレビでカップスが「長い髪の少女」を演奏してた覚えがありますがあれは売るための強制されたポーズ、多少はヒットしましたがライブ演奏の際は持ち歌(アルバム曲)など歌わずに英語曲ばかりだったそうで、たまにサービスで歌ったくらいとか。大体彼等をチンケな日本のGSの枠に収めること自体が無理筋な話、まだわが国には概念もなかった本格R&Bバンドだったのですから。
ただ相変わらずGSはわが世の春を謳歌してましたけど。(笑)

ルイズルイス加部(ルックスも今のアイドル並↑)の神懸り的なリードベース、これまたエディ藩やケネス伊東の素晴らしいギターテク、歌も上手い長身のマモル・マヌーのドラムスとデイブ平尾のボーカルの5人は音楽だけで言えば当時ずば抜けた存在でした。

人気は(演奏下手な)タイガースの方がずっと高かったのですが。その後ミッキー吉野(のちゴダイゴ)がキーボードに入ったりベースに柳ジョージが入ったりしましたがやはりSamSにはオリジナルメンバーが一番でした。
(最終回に続く)
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ヨコハマ昔ばなし | 日記
Posted at
2019/02/04 22:59:22