6年前の「急性膵炎」発症後、定期的に経過観察をしてきたのだが、膵臓に「膵嚢胞」&「膵管拡張」の症状が現れ、どうも動き出している兆候が。これはすい臓がんになる可能性が高くなる事を意味する。
しかし、当時の主治医の決断力がハッキリせず、思い切って「別の病院を紹介して頂きたい」と進言。(セカンドオピニオンではない)
すると、私が考えている病院ではなく、「どうせ別の病院へ行くんだったら、日本の最高峰の病院へ行った方が良い!」と、「国立がん研究センター中央病院」へ紹介状を書いてくれた。
6月4日、国立がん研究センター中央病院を初診扱いで受診。勿論以前の病院からの紹介状と、検査画像データのDVDを添付しての受診です。
基本的に、がん研独自の検査方法でやり直し。4回通院して結果が出る。
「膵臓癌」の疑いに関しては、「今すぐ何かをすると言う段階ではない。つまり経過観察をしていくだけでよい」との結果を得られた。しかし・・・・
「肺に異常が見られる」「すぐ、隣の『呼吸器外科』を受診しなさい!偶然、その世界の最高峰の先生が居るから」と、その場で部屋を変更!
呼吸器外科を受診。画像を見るなり「癌です」と言われた。これが6月の18日の事。
その後、4回の「肺の精密検査」を受け、腫瘍の大きさ・場所の特定をし、手術方法の決定に進む。
この時点で、「手術は8月後半から9月の前半辺り」と告げられる。何しろ一番忙しい主治医。
7月27日、ちょうど立川花火大会の日、席取りをしていたら、助手の先生から「8月2日に手術をしたい」とTELあり。それは受けるしかない!
手術日が月曜日の場合に限り、前週の金曜日から入院しないといけない。通常より2日多く入院しないといけないのだ。(事前に説明を受けていた)
忙しい執刀医が月曜日と木曜日が手術日だから。
という事で、先日8月2日、東京築地にある「国立がん研究センター中央病院」に入院した。
因みに、国内「肺がん治療数」ダントツのがん専門病院です。
心なしか落ち込んだ雰囲気ではありますが、何とか辿り着きました。
入院部屋は、第一希望「差額ベッド料金の掛らない部屋」を希望したのだが、空きが無く「差額ベッド料金の部屋」にナントカ入れた。
この普通部屋と差額ベッド料金の部屋の違いはと言うと、廊下側と窓側の違いだけです。
これが、10日入院すると66000円の差が出てきます。
勿論、お金持ち用の部屋は「桁違いの料金で個室」が数多くあります。
寝る前の景色は窓側は最高です。
目の前が朝日新聞本社。海の向こうの光っている部分がベイブリッジです。
朝起きた時、右側を見ると日テレ、海の向こうを見るとフジTVがみえます。で、真下にはインバウンドで賑わう「築地場外市場」です。
手術方法などの説明を受けて、8月5日、手術決行。
私は2番目、12時半からだと言う。前日の夕飯以降絶食で下剤まで飲んで臨みます。
12時20分、「来てくれ」の連絡があり、17階の病棟から8回の手術棟に移動。自分で点滴スタンドを転がして、看護師さんの誘導で移動します。
初めて見る手術棟。全体がステンレス処理された壁・ドア。何と17室あります。そしてすべてが「手術中」のランプが点灯。13番手術室がかなり奥だったので、色んな様子を見ることが出来たのだが、一旦13番の前に着いたらビビりまくり。出来れば麻酔の掛った状態で運んでほしかった。
まずは、可愛い麻酔科医から「今の体の状態の確認」を聞かれる。
今回は、全身麻酔 + 硬膜外麻酔の併用で手術します。
その後、手術台に乗り、看護師や麻酔科医による、色んな「測定器」を体中に取り付けられます。
次に、「猫の体勢」になり、脊髄の外側「硬膜外麻酔」をする為に、背中からカテーテルを入れます。そして酸素マスク。「このマスクから麻酔ガスが出るの?」「イや!このマスクは酸素を送るだけです!」って聞いた事までは覚えているのだが・・・・・
目が覚めて「ここは何処ですか?」「今何時ですか?」と聞いて、「ここは手術室の隣・回復室です」「今、4時ですよ」。「大丈夫ですか?」「いや、まだボーっとしてます」と言ったのを覚えている。
それから暫くして、ベッド毎運ばれて、手術棟のエレベーターに乗せられ、乗り換えて病棟の17階のエレベーターホールに着く。此処で妻が待っていた。一瞬言葉を交わし自分の病室へ。
一般の方は、此処から明日の昼近くまでが山だと言うが、私は何も起こらず、それほど大きな痛みも感じない。異常なんだろうか?殆ど普通です。
翌日6日。普通に朝起きて、チョット「開腹した部分が引きつる」。カメラを入れて、後に「ドレーンホースを入れてる部分がズレるとチクチクする」程度。
昼には「標準食の昼食」を完食!
本当は、手術痕の写真やドレーンの写真も掲載したいのだが、結構リアルなので・・・・・・
ところが、痛みは無いのだが、ドレーンの付け根からかなりの出血があり、パジャマやシーツを血で汚してしまった。夕方、別の若手先生が縫い直して(一針分)くれたのだが、部分麻酔が効く前から縫い始めたので、これが今回一番痛い経験だった。のちにも、この部分の痛みが一番だった。
この日は、前から楽しみにしていた「THE JAZZ AVENGERS」の渋公のコンサート日。
結局妻の友人で、このメンバーの中一部の娘を推してる人がいて差し上げました。
最高の試聴位置を取ったつもりなので、好きな人は満足するはず!
大満足の写真が送られてきました。いつもの最終曲での撮影OKシーン。ホール客席よりチョット後方、PA席とドセンターの中央です。
なぜか、私達の病室(4人部屋)で、科長先生の担当は私だけ。毎朝の回診があり、ドラマで見る大勢で廊下を歩いてくるシーンを始めて見ました。で、私のところに来る。
掛けてくれる言葉は「頑張りましょう!」だけですが・・・(笑)
ある時は、朝ご飯のお盆を私に渡してくれ、周囲の若手医師たちがアタフタしている様は滑稽でさえありました。
なんだかんだ、ラッキーにも恵まれ、発見から手術・完治?まで、約1か月半で「癌を退治した」事になります。
いまのところ、チョッと息切れがするのですが、今日退院したばかり。もう少し肺に負担をかけて行けばリハビリにもなるようです。