私が業界に入った時(46年前)、幸か不幸か音楽番組担当の怖~いミキサーさんと組む事が凄く多かった。
でも、公私をキッチリ分ける方で、仕事が終わると私達若者(フロアーアシスタント)を連れて、郊外のレストランに連れて行ってくれたり、休日には忍野村の民宿に連れてってくれたり・・・・
仕事となると、本当に鬼のように怒られました。
「マイクのセッティング」、「ケーブルのルート」、「機材の扱い方」など、今現在でも自分の技術の元になっている知識を沢山教えて頂きました。「なぜ怒るか」を言ってくれつつも、ネチネチと怒られるのです。
朝の出勤はいつもギリギリ。私達がセッティングを終えた頃やってきます。おかげで、コンソール(ミキサー)の設定までやっておかないといけません。そのやり方にも文句を言われます。
今考えれば、私達に勉強の機会を与えてくれてたんですね~。
制作とやりあうと、副調を出て行ったきり戻ってきません。そんな時、私達ペイペイが副調に上がってリハーサルをやったりしたもんです。それが今の自分に繋がっているとは・・・・
自分にとっては素晴らしい教え方でした。
その頃、今ではあまり考えられない、番組出演者とも色んな遊びをしたものです。
特に音声班のフロアー担当は、バンドさん(ビッグバンド)達に、凄く可愛がっていただきました。
業界用語、大人の遊び、音楽的知識等・・・・・・
その頃の御一方とランチをする事に。実は今回で2回目です。
当時の同期だった友人が予約を取り、3人で新宿にある天ぷら屋さんでランチです。結構老舗??
キッカケは、先日家の片付けをしていたら、当時「スタジオ・オケ録り」をした時の「メイキング・カセット」が出て来たのです。昔は、「生バンドを背負っての歌番組が基本」でしたが、大物になると稀に「オケでやりたい!」と言い出します。このメイキングは〇原〇次郎のオケ録りの様子です。
その時のカセット音源をデジタイズして、CDに焼いたものを渡すという訳です。
録音スタジオなんてものは当時のTV局にはありませんから、TVスタジオのフロアーに衝立を立てて簡易ブース(仕切り部屋)を作って録音します。
この日、「カセットデンスケ」を買ったばかりの私は、そのデッキを持ち込んで、メイキングをやってみたかったのです。
そもそもオケ録りは、マイクのセッティングをしちゃえば、フロアー業務は暇ですから・・・。
勿論、怖~いミキサーさんの許可を得ての事ですよ。何しろ、TVがまだモノラルの時代に、ステレオで録ろうというのですから、大先生も興味津々。マイクのベストポジションを「俺が立ててやる!」と張り切っていました。
デッキは「VICTORのKD-2」という「カセット・デンスケ」です。肩に担いで街録出来ると言う機種。
これに、当日余っていたマイク、「サンパチ」(SONY C-38B)を使って録音します。
ピアノの横にステレオアームに付けた「 ペアー・マイク」方式で全体を狙ったのです。
今聴いても、当時(1974年?頃)としては良く録れてたな~と思います。(あくまでもメイキングとしては・・・録音風景が肌で感じられます)
是非音源をお聴かせしたいのですが、MP3の貼り付け方が判らないので・・・・・・
当時、ホームオーディオではTEACのA450を使っていて、外録(色んな環境音を録って歩いてた)の時は、このデッキにマイクを繋いで録音してました。
*デッキ2台とサンパチの写真はWebよりお借りしました。有難うございます。<m(__)m>
今回ランチした方は、当時のビックバンドの一員で、私が免許を取得して初めて購入した車の前オーナーさんです。
当時から「カーオーディオ」(当時はカーコンポって言ってたかな)に凝っていて、 TVチューナー付きのメインデッキに、カーゴスペースにはパイオニア「PAX-A16」をインストールした自作エンクロを積んでいましたね~。それらを積んだまま売って頂いたんです。
懐かしい写真も出てきました~。多分24歳くらい?栄養失調ですね~。
ほんと、バンドさんとは本当に遊んだなあ。
リハーサルが終わると、「テイクファイブやって!」と言えば、Pfから始まってBass~Dr~SAXとみんな悪乗りしつつ楽しんでたなあ~。バンド用語も、最初は何言ってるか判らなかったけど、いつの間にか通用するようになって。またあの頃に戻りたいなあ。
Posted at 2021/12/15 20:07:50 | |
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