ちょっと時間が空きすぎてしまいましたが,三次試験場50周年マツダファンミーティングの歴代マツダ車の紹介を続けたいと思います。
まずは,ファミリアから始まる,マツダの大衆車の「譜系」を紹介します。
1964年式 ファミリア800デラックス(SSA)
当時,マツダの主力車種は三輪トラックでしたが,R360クーペを皮切りに,軽自動車や小型乗用車に主力を移行させつつありました。
まずは,軽自動車のキャロルと,ファミリアを開発しましたが,まだ小型自動車への参入は時期尚早と判断され,軽自動車のキャロルが先に発売されました,
ファミリアは,1963年10月にライトバンが発売され,翌年の1964年4月にはファミリアワゴンが発売。
乗用車ではなく,ライトバンやワゴンから発売がスタートしたのは市場調査の結果だったそうですが,ベルトーネデザインの流れを汲む,個性的で美しいイタリアンデザインと,キャロルの排気量アップ版の,総アルミ合金製水冷4気筒エンジンが搭載され,当時の他メーカーのライトバンと比較しても,「貨客兼用というよりも乗用に近い」と評されたそうです。
1964年10月に,待望の4ドアセダンの乗用モデルが追加発売されましたが,この個体は超初期型となります。
このクルマは,コスモスポーツやコスモAP等マツダ車も所有されている福岡のMさん所有なんですが,昔お父様が乗られていたとのことで,探し求めてようやく入手されたとのことです。
ちなみに,僕の父親もキャロル360デラックスから乗り換えたのが,ファミリア800の2ドアセダンでしたので,(当然生まれてなかったので記憶はない)親近感の湧く一台です。
1966年式 ファミリアクーペ1000(MPA)
こちらは,1965年11月にクーペボディにツインキャブで武装したPA型1000ccエンジン,前輪ディスクブレーキなどで武装した「ファミリアクーペ1000」が発売されました。
流麗なクーペボディを纏ったファミリアクーペは当時の若者のあこがれの的で,うちの父親も欲しかったそうですが,高価で買えなかったので,義理の弟が乗っていたファミリア800の2ドアセダンで我慢していたそうです。
このファミリアクーペ広島ナンバーなのですが,実は初めて見る個体でした。
広島のマツダ旧車乗りの方なら,割と知ってるはずですが,このファミリアクーペだけはオーナーさんが不明だったんですが,イベント終了間際のパレードに出る直前にオーナーさんが戻ってこられたので声を掛けようとして,顔を見てビックリ!
実はマツダ株式会社でモータースポーツ関係の仕事をされている方で,顔は知っていました(笑)
1967年式 ファミリア1000デラックス(SPA)
初代モデル末期に追加されたPA型1000ccエンジン搭載のモデルで,ヘッドライトが「角目」になっていますが,1967年11月に2代目ファミリアがデビューするまでの1年くらいしか発売されていなかった希少なモデルです。
広島 マツダ旧車クラブのO本さんのファミリアは,奥さんのお兄さんが新車で購入され,4年くらい乗ったものを譲りうけ,「広5」ナンバーを維持しておられます。
走行距離は既に24万キロですが,一度もオーバーホールしたことはないそうです。
1973年式 ファミリアプレストロータリーTSS(M10A)
1967年11月にファミリア 初のモデルチェンジで2代目に移行しました。
スタイリングは,初代と一転して丸みを帯びたデザインとなり,三角窓も廃止されました。
1968年6月には,コスモスポーツに続く,2台目のロータリーエンジン搭載車で,ロータリーエンジンの普及モデルとなった,ファミリアロータリークーペ(輸出名:マツダR100)が発売されました。
ロータリークーペのインパネは,戦闘機を彷彿させるT型のコクピットタイプでした。
1969年7月には4ドアセダンにロータリーエンジンを搭載した「ファミリアロータリーSS」が発売され,同年10月にはセダンにT型インパネを搭載した「ファミリアロータリーTSS」が追加されました。
1970年4月のマイナーチェンジで,「ファミリア・プレストシリーズ」となりましたが,現存している2代目ファミリアの大半は,ファミリア・プレストのロータリーエンジン搭載車が多く,前期モデルは殆ど現存していません。
1971年9月にグランドファミリアが追加されましたが,その後も1973年のモデルチェンジまで併売されました。
この個体は,最近三次市にUターンされたO井さんの所有車両ですが,1973年式のほぼ最終モデルにあたります。
O井さんは,伯父さんから譲り受けた「広島5」ナンバーのファミリアプレストロータリーSSも所有されていますが,元々このファミリアプレストロータリーTSSは部品取り車として購入したものの,程度が良かったので,レストアして乗られているそうです。
1975年式 グランドファミリアGFⅡ(SN3A)
僕の父親が,ファミリア800の次に乗ったのが同型のグランドファミリアGFⅡで,うちのはモンブランホワイト?でしたが,こちらはコンコルドシルバーで珍しい3速オートマチック車です。
広島 マツダ旧車クラブのH川さんが,新車ワンオーナーで乗られており,走行は27万キロです。
H川さんは,このグランドファミリア以外にクルマを所有されておらす,雨の日も風の日も,雪の日もこのクルマで出かけます。
ボディは純正色で2回ほど全塗装されておりピカピカで,エンジンもノンオーバーホールにも関わらず,とても静かで快調です。
1973年式 サバンナGSⅡ(S102A)
コスモスポーツ,ファミリア,ルーチェ,カペラに続く,マツダ第5弾のロータリーエンジン搭載車として,1971年9月より発売されたのがサバンナ。
サバンナと共通のボディにレシプロエンジンを搭載したグランドファミリアと言う姉妹車もありましたので,れっきとしたファミリアシリーズの一員と言っても良いでしょう。
発売当初のボディタイプは「セダン」と,ファミリアプレストロータリークーペの実質的後継車種となる「クーペ」が用意され,後にステーションワゴンの「スポーツワゴン」が追加されました。
以前,当ブログで取り上げましたが
「ライトバン」も製作され,当時としては先進の「低公害車」として広島県などの官公庁に49台ほど納入されましたが,量産には至りませんでした。
ちなみに,こちらは当ガレージの1971年式サバンナGSⅡ(初期型)
展示されたのは,北九州市在住のAさんのお父様が,新車からワンオーナーで所有されている個体で,「北九州55」ナンバーが羨ましい!
実は,父が1973年式グランドファミリアGFⅡに2年乗った後乗り換えたのが,これと外観がほぼ同じマーガレットホワイトの1975年式サバンナAP SⅡでした。
純正オプションのマッドフラップやレースカバーも一緒で懐かしい!
前期型の顔も好きですが,中期型のアゴなし(チンスポイラーなし)の顔も好きですね!
さて,今回の歴代車両展示では,2代目ファミリアプレストから車幅が60mmほど拡幅された,3代目のファミリアプレスト(通称ワイドプレスト)や,約3年と言う短期間ながらも,89万台以上を販売するなど予想以上の成功を収めた4代目ファミリアAPの展示は残念ながらありませんでした・・・。
1982年式 ファミリア1500XG(BD1051)
当初,今回のイベントはサバンナでエントリーしていたんですが,イベント実行委員会のロードスタークラブオブジャパン(RCOJ)代表の水落さんと雑談している時に,ポロッっとファミリアを入手したことを話したところ,是非そちらでエントリーしてほしいとのことで,その時まだ実物さえ見ていなかったファミリアXGを急遽出展することになりました。
WebCG誌曰く「大ヒットして社会現象にまでなったのに,残存台数が極めて少ない赤いファミリア」と書くほどのクルマだそうで,当日参加した1047台のマツダ車のなかで,5代目BDファミリアはこの1台だけでした。
「初めて買った新車」「父親が乗っていた」「彼氏が乗っていた」等は言うに及ばず,マツダ関係者が多い会場内では,「開発にかかわっていた」「ミッションを組み立てていた」とか,マツダの金井会長はブレーキの開発にかかわっていたそうです。
売れたクルマだけに,皆さんの思い出に残っている確率も高く,展示場所が良かったこともあって,弊ファミリアXGの周りには,人が途切れることがなかったそうです。
(僕は殆どクルマのまわりにいることが出来ませんでしたので・・・)
かく言う我が家も,サバンナAP GSⅡの次に乗り換えたのは,1983年式ファミリアサルーンXGでしたので,BD系ファミリアには思い入れがあります。
ファミリアXGのリアトレイには,ネットオークションで入手したカタログや,友人にもらった「Mazda323」エンブレム,中島美樹夫先生のイラストも飾らせていただきましたが,広大なリアウィンドウがちょっとしたショーケースのようになっていました。
1987年式 エチュードGi(BFMP)
諸般の事情で,この角度からしか撮影が出来ないこのクルマ(笑)
多くは語るまい(笑)
元々友人であり先輩のT-eMさんの所有車両ですが,現在は弟さんの所有です。
型式名「BFMP」が示すように,6代目BFファミリアアベースのスペシャリティ・クーペです。
ファミリア3ドアハッチバックより全長が若干長く,全高も低いスタイリッシュなデザインで,エンジンも,その後ロードスターにも搭載された,B6型エンジン(1.6L DOHC 16バルブ)のみと差別化が図られていたものの,価格設定が高価なうえにファミリアの影に隠れて目立ちませんでした。
あるデータによると,総生産台数は約1万台だそうですが,数年前に調べたところ現存数は74台で,現在は50台を割り込んでいると思われる激レア車です。
なお,BF系ファミリアも,一般参加のラリーレプリカ車1台のみの参加だったようです。
1992年式 ファミリアGT-R(BG8Z)
当時ワークス参戦していた,WRC(世界ラリー選手権)での更なる戦闘力アップを図るべく,それまでのフルタイム4WDのGT-Xのエンジンを180馬力から210馬力にチューンナップした,エボリューションモデルがGT-Rとラリーベース車のGT-Aeでしたが,バブル崩壊に伴う経営悪化で,ワークス活動が「無期限撤退」となったため,ワークスチームでは活躍することが出来なかった悲運のモデルです。
我が家でもファミリアサルーンXGから1990年式ファミリアセダンインタープレイ(BG5P)に乗り換え,僕自身も1992年に1989年式ファミリア3ドアハッチバックインタープレイDOHC(BG5S)が最初の愛車として購入しましたので,歴代ファミリアのなかでも,もっとも思い入れがあるクルマと言っても過言ではありません。
1996年式 ユーノス プレッソ
7代目BG系ファミリアと車台を共用するスペシャリティ・クーペです。
形式はEC系ですが,エチュードの社内呼称は「EB」と呼ばれていたそうで,実質的な後継車は,このユーノス・プレッソ/オートザムAZ-3となります。
海外向けには「Mazda MX-3」として輸出され,ユーノス・プレッソには発売当初,K8-ZE型 V型6気筒エンジン(1.8L)のみのラインナップでしたが,1993年9月のマイナーチェンジの時にオートザムAZ-3に設定されていた,B5型1.5L 直4エンジンがユーノス・プレッソにも追加され,AZ-3にはV6エンジンが搭載されるようになりました。
1994年式 ファミリアNEO
8代目BHA系ファミリアの3ドアハッチバックには「NEO」(ネオ)というサブネームが付けられ,斬新なクーペルックなデザインでした。
海外では高い人気を博したようですが,日本国内では奇抜なデザインがまったくウケず,月販100台前後を彷徨うという非常事態に慌てたマツダは,1996年10月のマイナーチェンジ時にオーソドックスなスタイルの3ドアハッチバックに変更しました。
この頃のマツダ車全般に言えることですが,全車種で猛烈なコストダウンが図られ,改良されるたびに装備が省かれ,ファミリアはマイナーチェンジでハードプラスチックの信じられないようなチープな材質にインパネが変更され,とある高級車のアルミボンネットは重いスチール製に変更されるなど,さしずめ噛んだ後のチューインガムのような「カス」みたいなクルマに成り下がっており(実話),本気でマツダファンをやめようかと思ったのもこの時期でした。
※ファミリアNEOには罪はありません。(愚痴ってすみません)
2001年式 マツダスピードファミリア(BJ5P改)※後ろからの写真しかありません。
1998年6月に,9代目にしてファミリア最後のフルモデルチェンジが行われました。
このクルマは,セダンタイプのスポーティーバージョンとして,2001年5月に100台限定として発売された限定車ですが,109台が追加生産され,合計209台生産されたと言うのは一部では有名な話。
エンジンはSワゴンのスポルト20用のFS型エンジンを,戸田レーシングのハイカム,ハイコンプピストン,ポート研磨,ピストンのクリアランス最適化,ステンレス製エキゾーストマニホールド,専用低排圧サイレンサでチューンして搭載されていました。
「BJ5P改」と言う型式から判るように,1500ccのセダンに2000ccエンジンを載せた改造車と言う扱いになっているクルマで,「メーカーが型式認定を取らずに改造車を販売するのはけしからん」と発売後に当局からお叱りを受けたとか受けなかったとか。
ハイカムのせいでアイドリングが不安定と言うクレームが多発したため,希望者にはデチューンされた専用カムシャフトへの無償交換があったそうですが,変態車を扱う某中古車店で「カム無交換」と言うのをセールスポイントにしていたのを見て,思わず唸ってしまいました(笑)
1994年式 オートザム・レビュー(DB3PA)
マツダ製の初代DA系フォード・フェスティバ用の車台をベースに開発されたクルマで,1990年10月にマツダ5チャンネル化によって誕生した「オートザム店」待望の小型車でした。
同じくオートザム店扱いの2代目キャロルのイメージを踏襲した,丸みを帯びたスタイリングが特徴の「2.5ボックスセダン」ですが,女性ユーザーを狙いすぎたせいか,国内での販売はイマイチ。
当ガレージでも同型車を一時愛用していましたが,短い全長の中ににも大人4人がゆったりと乗れる車室空間と,意外に広いトランクルームを持つパッケージングに優れたセダンで,ボディも軽かったので軽快に走る良いクルマでした。
海外へは「Mazda 121」の名称で輸出されましたが,可愛らしいスタイルやパッケージングの良さなどが評価されて大人気となったようです。
このクルマには,レアな純正アルミホイールが付いてましたね。
1997年式 デミオGL-X(DW5W)
バブル期のマツダ5チャンネル化戦略の大失敗で,マツダ恒例の経営難に陥っていた1990年代後半に,危機的状況を立て直すための量販車種として,前出のオートザム・レビューの車台を元に,初代DWデミオが開発されました。
初代ワゴンRにも通じる,素っ気ないくらいの実直さや優れた実用性が功を奏し,直接的な競合車種のユーザーだけではなく,上級車や軽自動車からもユーザーが移行するなど,幅広い支持を得ることに成功しました。
マツダはこの初代DWデミオのヒットによって経営危機を危うく脱することができ,「マツダの救世主」とも言われます。
このスパークルグリーンのデミオGL-Xは,しいな丸 水産急行さんの愛車で,最上級グレードでありながらブラックバンパー仕様と言う,初期型にしかない組み合わせで,サンルーフやデュアルエアバック等のラインオプションがフルに装備され,しかも5速マニュアルミッションと言う奇跡の個体。
展示に備え,ステアリングやシート,マフラー等をノーマルに戻され,
さらに純正オプションのサイドストライプのレプリカ版を製作(本物も所有)して貼り付けてくると言う気合の入れようでした。
父親の最後の愛車となったのも1999年式の初代デミオGL-Xでしたので色々思い入れがあります。
なお,初代デミオも来年でデビュー20周年を迎えますが,前期型は殆ど見かけなくなりましたね。
2002年式 デミオSPORT(DY5W)
オプションカタログから抜けて出てきたようなスターリーブルーのDYデミオはRYOデミ蔵さんの愛車です。
弊ファミリアXGも,わずか納車15日後の展示でしたが,RYOデミ蔵さんの方は,前の愛車DYデミオがミッショントラブルで箱替えとなり,こちらはなんと納車5日目とのことでした(笑)
しかもノーマル状態はこの一瞬だったようで,本人曰く「2度と展示車にはなれない状態」なんだそうです。
さて,続いてはDE系,DJ系デミオのご紹介になりますが,時間の都合と,写真を撮っていないことから,割愛させていただきます。
長文のお付き合い,誠にありがとうございました