2020年05月04日
以前に救急を蹴っ飛ばすようになった医療ってもはや何?って話をしたが
トロッコ問題(あの記事では「カルネアデスの板」的な意味合いで書いたか)が
余りにも多彩な面に於いて潜んでいることを感じるのだ。
直接的病死が極めて頻繁に語られている反面、
間接的要因はせいぜい報道がお涙頂戴で視聴率を稼ぐために採り上げる
とんかつ屋の話くらいで、
あれよりもっと直接要因に近い生活苦自殺をとりまとめた報道は目にしない。
私的生活の「苦」だけでなく事業を苦にした自殺もほぼ同種とみるべきかな。
ああ、ここでの「トロッコ問題」面は
そういう報道と大衆の興味の流れにおざなりにされた切り捨て分の話ではない。
1つ「くだらんと思われるんだろうなあ」と思う空想を。
1つの「思考実験」だな。
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現在のCOVID-19対策は、
「ひたすらウィルスの拡散を抑えましょうね」
という手段のみである。「治療」でも「予防」でもない。
並行して「対策」ではなく将来に対策になることが期待されるものとして
ウィルスそのものに作用する薬剤など
直接ウィルスを減らす、或いは無毒化する「治療薬」の開発、
所謂「ワクチン」と呼ばれるような予め人体側に作用させて
間接的に事前集団免疫を得ておくことで罹患を防ぐ「予防薬」の開発
があることは言うまでもない。
アビガンなどは「治療」アプローチには違いないが、
SARS-CoV-2を前程とした効果の探求から生まれたものではなく
たまたま既存薬で満足な効果が得られるわけではないが
ちょっとは有益な反応効果が得られそうなものを探しましょう、というだけで、
おおよそ理想的な「治療」のフレームワークとは言えない。
ああ、もしかしたら運良く流用出来るツールが見つかる可能性も
ゼロではないだろうが。
しかし、
前者(治療薬)は高分子化学をベースにした反応解析と
その目的組成を得るための合成プロセス(つまり製造工程ね)を
確立させるために多大な試行回数と時間を要すること、
後者(予防薬)についてはそのプロセスは
前者に比べて比較的早期に達成できる見込みはあれど、
方法そのものに疑念が挙がっていることが問題である。
わたしは詳細については理解できるだけのベースを持ち合わせていないが、
概略概念としては理解できるものとして
そもそも抗体生成が十分満足に機能しない実例が観測されていることから
抗原抗体反応を前程とした貪食機能などに依る自己免疫に期待できない点や、
SARS-CoV-2は抗体生成を促すタンパク質を利用して
逆にウィルスが細胞膜を通過するメカニズムを持っていることなどから、
ヒトが元々有している免疫機能を補助する事自体が
解決方法の前程にならないのではないか?という懸念点が挙がっている、
ということである。
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前節に書いたの現状の整理であって「思考実験」ではない。
ここで通説、定石、常套手段というか
既知であり手堅くロスの少ないアプローチでは
即応性を持ち得ずに現実に今役に立っていないことが明白になったと言える。
まあ、専門家が取り組めば往々にしてそうなるもので
想像もしなかった全く新しいアプローチはまず出てこない。
仮に、、、
飽くまでも「例えば」の事例で、
ここでその可能性があると言っているわけではないぞ。
常套手段とは全く別のアプローチの空想である
仮にSARS-CoV-2の部分的構造式が超効率的に
吸収するスペクトルがあったとする。
パワースペクトルは時間軸では一定の周期波形であり
そういう発振のできる光源、あるいはマイクロ波変調器/変調方式の
目処を得た物理系研究者が現れた。
この研究者はどこかの理学部物理学科や工学部電気電子情報系工学科で
医学部系と共同検討の機会はまったくない。
或いは個人趣味の発明家であって医療組織のバックヤードには
当然のように何の面識も繋がりも持たない。
この破壊電磁波、というか、いわば「ウィルス破壊光線」(嗤)は
神の目から見れば本当にウィルスに効果があり
かつそのウィルスの持つ分子構造以外には無害な方法だったのである。
しかし、この研究者はその有効性を「実証」しなければ
人の目からその信用信頼を得られることはない。
研究者は画策した。
社会は悠長に従来どおりの根回しなどを経ての方法探しをしているような
状況にない。こうしている間に毎日病死も経済苦死も積み重なる。
そこでPCR陽性でありながら隔離のための社会的圧力が未到だった人、
またはなんとかしてPCR検査キットを入手するなどして陽性を探し当て、
その人を強制的な隔離/入院から逃し、
同意を得て自分の実験室に招きかこい、
ウィルス破壊光線をあてることを試行してみた。
すると、またたく間にウィルスが駆除され完治したのであった…
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さて、この物理系研究者がこの治療法を世に公表した場合、
この社会はこの方法を絶賛するだろうか?
それとも非難・罵倒でボロ叩きし、その方法の採用を忌み嫌うだろうか?
その研究者の突っ込みどころとして
・そもそも医学研究者でもない者が専門でもない分野に手を出したことが
一般には「勝手」「過信」「勘違い」「狂気」などと分類されるもので、
その行いは非常識・非人道と断じられるものだということ。
・陽性感染者を医療的に証明された
二次感染防止手段がとられていない環境においたこと。
(マスク非着用者を「バイキン」扱いして非難するようなことね)
・被験者の「同意を得た」ことの手順にはケチをつける方法なんて
いくらでも立てられること。
(きょうび司法的契約的な裏付けは
あとで「誘導された」とかいう認定を経て無効化されてしまう危険がある)
・いくら人体には無害とされている振動数の電磁波だったという背景があっても
「人体実験だ」という定義をしようと思えばできること。
(倫理的なハナシに持ち込まれたら科学は全く参照されないし、
人知されている範囲の科学は所詮完全ではないということに反論できない)
などなど、山程ある。
しかし、この手段は超お手軽で確実にウィルスを撃退し、
かつ世界中どの専門家の脳にもその欠片も浮かばなかった
画期的なアプローチであり、
この研究者がいなければこの疫病終息は当面見通せなかった。
この手段によって発表直後に
ほぼ即座に全世界で終息が見込めることになった。
で、この手段を歓迎する?
それとも忌避する?
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忌避する側の理由はほぼ例外なく倫理的な理由からのものだろう。
上述の3例以外にもメンタルに受け入れられない面もあろうし。
しかし、この画期的手段を忌避することは同時に
「死人が出続けることを許容している」
ということである。
今救える命を棚上げしても過程の尊厳を守るんだ、という倫理観は
いかなる理由に於いてもいかなる命も軽視してはいけないという
もっとファンダメンタルに語られる倫理に反しているとは
言えないのだろうか?
結果的に問題がないことが分かったのは飽くまでも結果論であって、と、
試行前には未知であったこと重視することは正義なのだろうか?
検証プロセスのありかた拘って失われる命を肯定するのは
危ないカルト宗教みたいなものだという解釈もできるよね。
でも、、、
わたしは多分、世の中は少なからず「叩く」ような気がするんだ。
諸手を挙げて歓迎する人たちは
むしろ自分にも非難が降りかかることを恐れて、
隠れてその電磁波治療を受けてもその歓迎を口にしない。
声を大にして支持する人は実際の肯定派量からすれば
極めて一部どまりになるのでは?と。
トレリス符号化みたいなもんで
空間上に存在し得る符号点であるにも関わらず
直前の状態からのサーチビーム幅内になければ
絶対に到達しない無理値でしかなくなる。
それを人間は善しとするのか悪しとするのか。
更にもちっと直接的なトロッコ問題感を出すとして、
その試行中の最初の2,3人で
実験装置の初期値の設定不備(当然のように起こり得る条件だろう(笑))などで
重症化を招いた
(そして実験に依るものではなくあくまでもCOVID-19から回復せずに死亡した)
とかあれば、
多数の即座治癒のための2,3名を必要な犠牲として許容できるか、みたいな…
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なんか、こう、いろいろ考えてしまうんだ。
こういう、
大衆が求めているのは本当に「終息」なのか?とね。
終息ではなく「思い通りになる/できること」なのでは?
実はCOVID-19が収束することは二の次で
もし今よりもっと自己の正義感が満足され続けていたら
今般の疫病が5月末でなくあと数年続いても
その方が大衆はおとなしく過ごしているのではないか?とか。
最低限、自己の正義感さえ満足されたなら…
死人を出すことが明日で終わることを本当に評価できる知性があるのか?
他にも色々、な。
Posted at 2020/05/04 23:53:19 | |
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