FB起稿記事の再編&転載。
大元は
これ↓。
ゴダイゴのギター浅野孝已さん死去 自宅で心肺停止
FB他ではニュースを読んだ直後に短く反応した記事を起こし、
改めて下記引用記事を起こしたが、
みんカラには最初の反応分は挙げていない。
なので下記記事中の該当趣旨はないので悪しからず。
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ゴダイゴはもともとは姉の影響だったが
姉の方は早々に飽きてしまったけど
わたしはずっと好んで買っていた。
最初はガンダーラ/MONKEY MAGICで大ヒットする前の年、
1977年、小学校4年の秋冬頃だったと思う。因みに姉は中1。
中学生ってビミョーなマイナー感とかに興味を持ったり
そういう筋だったのかな?と邪推するが、
日本のグループながらほぼ全曲英語、
(英語って辺りも当時は中学から授業科目になるしな)
でも曲調はさほど通ぶった人が騒ぐようなものではなく
メジャー
(ここでいうメジャーは長調という意味ではなく一般的な意味)
な展開で耳あたりのいいものに纏まっていて
大変聞きやすい軽めのロックだった故に
姉を含む中学生には大変キャッチーだったのではなかろうか?
邪推はまあいいとして
家に持ち込んでくれたことは
間違いなくラッキーなことであったと言える。
その時の最新盤はデッド・エンド。
(下記写真の左下のミュージックテープ)
マイナー(これは短調の意味ね(笑))な下から迫るような曲に
何と言っても 'Dead end' (=行き止まり、袋小路)だから
まだ多感だった(大笑)ガキのわたしには
大変インパクトがあったもんだ。
最初に家に持ち込んだのは姉だったが、
こういうセルメディア(レコードやミュージックテープ)を
親にねだって買ってもらったのはわたしで、
遡って新創世紀やハウス(サントラ盤なので一部曲だけどね)、
翌78年に劇場上映をしていたキタキツネ物語(原版の方ね)は
本編を映画館で見ること無くサントラ盤だけ先行して(笑)。
あ、本編は翌年(79年)にテレビでも放送されたのを見たよ。
78年秋に日テレ開局25周年の番組として、
夏目雅子、堺正章らの演技による
「西遊記」
が始まり、
冒頭のように世では
ガンダーラ/MONKEY MAGICばかりが取り沙汰されたが、
それ以前の歌曲も非常に聞きやすい、素直な曲なので、
タイアップばかりが囃されるのには違和感はあったなあ。
(アルバム中、
タイアップ以外は耳あたりの良くない曲が並ぶ演者って
よくあることだが、ゴダイゴはそうではないと…思うんだなあ)
まあ、一過性ではないファンの心理ってのは
そういうもんだろうか。
浅野孝已氏は「ゴダイゴ」としての活動に於いては
ミッキー吉野氏、タケカワユキヒデ氏ともに
結成時から通しで脱退のないメンバーだった。
それなりにギタープレイヤーの業界でも有名だったと思う。
グレコのギター開発アドバイザーだったかな?
楽器/機材に関しても先進的なプレイヤーだった。
無論小学生だった頃に知ってたことではなく、
後付で集めた知識だが、
フロントエンドに出るボーカルのタケカワ氏と同様に
わたしの目には光って見えるメンバーの方だったわ。
ニュース見た直後は
「あらー」
しか書けなかったが、
そのニュースの初期インパクトが過ぎて思い出してくると
大変残念な想いに駆られるわ。
あ、因みにわたしが大学生前半期に
シンセサイザーに傾倒したのも
実はゴダイゴ、この場合はミッキー吉野氏ね、がその動機の1つね。
ミッキー吉野氏も
ゴダイゴ以前には冨田勲氏などとも活動があって
電子楽音の観点からは頂の1つに見える人なのよ(笑)。
案外ゴダイゴのメンバーって
ぱっと出で消えた季節ヒット屋の集まりではなくて
まあまあ凄い人たちの集まりだったのではないかなあ。
あまり世間でもてはやされなくなってからも
写真にはないが
一時解散する前、ラス2アルバム「FLOWER」まで買っている。
ただ、解散前最後の「ONE DIMENSION MAN」については
がらっと曲調が変わってしまって
「これは『ゴダイゴ』?」と思う収録曲だらけになって
買わなかったのだが。
浅野氏の死去で作曲や編曲云々だけでなく
「ゴダイゴ」の曲が続く機会は永遠に失われてしまったわけだ。
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車趣味に絡めると、
ゴダイゴは
E60系トヨタ・スプリンター・リフトバックの
TVCM歌曲などがある。
元は違う目的(アメフトの大会)タイアップだが
メインスポンサーの三菱に
同ネーム商品である初代ミラージュのCMにも使われた。
同2曲の収録されているCMソング・グラフィティの
ミュージックテープ歌詞カードのタイトルリスト部を
別途アップの写真で添付しておく。

Posted at 2020/05/12 23:19:01 | |
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