まだ沖縄市がコザ市と呼ばれていた時代。
父親の仕事の取引先があり、
高校生のとき、連れられて行ったのが初めての沖縄だった。
その頃のコザといえば、まだアメリカそのもの。
治安の悪いダウンタウンを歩くような、ヤバそうな雰囲気があった。
喜納昌吉と、紫というハードロックバンドの名前ぐらいは知っていて、
手書きのアーティスト名が開かれたカセットテープを
売っていたミュージックショップに入った記憶がある。
それから何度も国道58号線を通っているけれど、
いくたびに風景が大きく変わってるのに驚かされる。
それから何十年後かに、北谷がいまどきのアメリカに変わり、
さらにその先へ、その先へと、58号線が変化し続けている。
鉄道ができてから駅周辺も激変。
もはやどこ状態?
また、58号線以外にもこんな道がどんどん広がっている。
一度道路を走れば、映像として記憶が残り、
何年後かに行っても、覚えていることがあるけれど、
沖縄の変化にはまったく付いていけない。
それでも嘉手納あたりまで行くと、
若干のアメリカっぽい当時の建物が残っていて、
ちょっと懐かしく思う。
58号と並行するように、高速道路もできたけど、
初めて走ったときは、ETCを使う車なんて、自分ぐらいしかいなかった(笑)。
(※沖縄のETC利用率は全国で最低)
今はレンタカーも多いけれど、1/3ぐらいは利用しているかも。
そういえば国際通りも変化しすぎていてびっくり。

サンゴを売るお店が並ぶだけのさびれただけの時代とは大違い。
北海道のすすきのより規模が拡大していた。
そういえば、沖縄のおみやげの定番って、
関税のかからないウイスキーとハーシーズのチョコだったなって(笑)。
その当時からちんすこうはあったけど。
夕飯どき、久々にジャッキーステーキハウスに行こうかと思ったけれど、
国際通りの賑わいを見たら、おそらく入店はムリ。
仕方ないので別の店に。
ステーキもまた、父親に連れて行かれた思い出の味。
スピードスケートとカーリングは、通りすがりのスポーツバーで。
スポーツバーと言っても、オープンな飲み屋ぐらいのゆるい雰囲気。
そこは福岡ソフトバンクホークスで活躍した、
新垣渚さんのお兄さんのお店。
プロ野球オープン戦も開幕し、常連さんたちが集まっていた
アウェイ感はあったものの、そこは沖縄。そもそも見た目も沖縄っぽいし(笑)。
雪も氷結もない沖縄でも、泡盛片手にメダル獲得で多いに盛り上がった。
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Posted at
2018/02/25 07:00:59