どういうわけか、
日本では楽しむという言葉が、
一生懸命やってない。
というようなネガティブにとらえがちだ。
スポーツだけでなく、音楽でも演技でもアートでも、
あるいは仕事でも同じ。
いいフィーリングのときこそ、いいものが生まれる。
練習や創作でも苦しんでいたとしても、
その出口としての楽しさがあるからこそ、
みんな続けられるのだ。
ところが、我慢してやることを美徳とする環境が日本にはある。
指導者の個人的スキルのなさゆえ、
圧力的な指導によってやらせることが、
目先の結果にはつながりやすいということが、
その問題に拍車をかけている。
以前、日本一を決めるバスケの試合で、
勝負どころで3Pシュートを何本も決めた選手に、
「今日は気合が入ってましたね」となんとなく聞いたら、
「今日はリラックスして打てました」
と、想定とは真逆の言葉が返ってきた。
彼の答えを聞いて以来、
気合とか根性とか、
そうしたものの見方を排してスポーツを見るようになった。
プレーがどうして生まれたか?技術とメンタリティーについて、
より具体化して考えるようにしている。
同時に、選手に対して、
プレッシャーと言う言葉は一切使わないようにした。
日本のメディアが「プレッシャーは?」
などと質問をしているのを聞くと、
お前がプレッシャーかけてんだよ。と、軽蔑の感すらあるw
もっとも、プレッシャーなどと言う選手は、そもそも二流、三流レベル。
いちばんいい場面でこそ自分の出番。
という強烈なメンタリティーこそが重要なのだ。
一方で、バスケの戦術は、
ストレスをかけて、オフェンスの成功率を下げることがベースにある。
ある種、心理学を応用で、
相手に気持ちよくプレー状態にさせないために、
イライラさせる、リズムを崩して主導権を握るのだ。
適度なディエンスのプレッシャーがあったとしても、
トップ選手はそれを押しのけてクラッチシュートを連発する。
こればバスケだけではなく、どんなスポーツも一緒。
外的プレッシャー(ディフェンス)が強ければ強いほど、
集中とリラックスがある種の同一感覚となり、
いわゆるゾーンに入ると言葉で表現される状態になる。
Bリーグセミファイナル三河vs東京 GAME2、
3点差で後半残り9.9秒。外したらすべてが終わる場面で、
同点の決めた#6三河の比江島。
彼のようなタフショットを決められるメンタリティー。
もちろんそこに行くまでに練習や努力、
勝利への意志はとても重要なのは言うまでもないけれど、
超一流の選手は、自分の楽しんでいる姿によって、
他の人にスポーツは楽しいと伝えることができるのだ。
彼らが純粋に楽しみながら創造するプレーは瞬間のアート。
そこには勝ち負けを超えた魅力が詰まっている。
Posted at 2018/05/23 10:01:38 | |
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