最初に書いておきますが、
河瀨直美監督作品は、
とても好きでほぼ見てます。
もともと河瀬監督は、生の煌めきを真摯に描く人で、
それを妨げる理不尽なものに対しての怒りが映画を撮る原動力にもなっています。
「東京2020オリンピック SIDE:A」は、
雪の中の桜と、呪文のように始まる君が代から始まります。

まさに河瀬作品らしいスタートですが、
東京2020がどういう状況だったかの心象風景のようにも見えます。
少なくともこのオープニングシーンだけで、
これまでの五輪の記録映画ではないことは容易に想像が付きます。
2週間に渡って33競技339種目が行われた東京2020。
膨大な映像の中から映画で取り上げられるのは、
柔道、女子バスケ、空手、ソフトボール、陸上、スケボー、サーフィンのみ。
その多くが女性のアスリートを主体にしています。
中でも女子バスケは、この映画のテーマというべきものが詰まっています。
ちなみに河瀬監督は、元女子バスケプレーヤーでもあり、
現在の女子バスケWリーグの理事も務めていますから、
バスケの美しさや日本女子の銀メダルを価値を十分理解している人です。
今や銀メダルメンバーのエブリン選手やWNBA入りした町田選手、
高田選手が様々なところで活躍していますが、
女子バスケに詳しい人なら、
少なくともリオ五輪が終わった時点で、
吉田亜沙美さん、渡嘉敷選手、
大崎裕圭さん、高田選手は不動だと思っていた人も多いでしょう。
大崎さんは旧姓間宮。高田選手とともに、
日本の大黒柱として長年チームを牽引した一人です。
東京2020も中心になると思われていた間宮選手でしたが、
2018年に結婚・出産を気に引退。
しかし、自国開催の東京2020を目指し、
2020年に復帰した経緯があります。
ところが。コロナによる1年の延期によって
子育てに専念するために東京2020への道を諦めました。
吉田さんも東京2020のために引退後に復帰したものの、
やはり延期によって選手を続けることができませんでした。
また、渡嘉敷選手は直前にケガで代表に選手されず。
改めてアスリートにとっての1年の重みを感じさせました。
東京2020を諦めた大崎さんと対象的に登場するのが、
女子バスケカナダ代表で、乳児を連れて出場した
ゴーシュ選手です。
母乳による子育てのためと訴え、特例で乳児との入国を果たしました。
試合や練習のときは父親が面倒を見るシーンも盛り込まれています。
大崎さんとゴーシュ選手はお互い顔見知りで、
2人が会話するシーンはこの映画の象徴的なものでした。
ゴーシュ選手のように子育ても五輪もという考えがなかったという大崎さん。
こうしたところをクローズアップするのは河瀬監督の真骨頂と言えます。
大崎さんやゴーシュ選手だけでなく様々な環境下で五輪を目指して選手たちの、
それぞれの戦う理由を見せていきます。
それらすべての選手に共通するのは、
勝利がすべてではない。五輪がすべてではないということ。
選手それぞれの目的も、背負うものもすべて違います。
多様な価値観を見せながらも、それでもなぜ五輪を目指すのか?
ひいては五輪という大会がなぜが存在するのか?
それを終始問い続ける映画となっています。
柔道の描写の中には、

JOC会長で過去の日本のスポーツ感を代表する人材としての山下泰裕氏と、
科学を取り入れ近代化を目指した井上康生監督と戦略コーチを対比。

競技から除外されていた女子ソフトボールでは、
上野選手、オスターマン選手、アボット選手ら、

競技を長年支え続けてきた人とともに、
その苦闘の歴史を体験していない後藤選手も登場。

過去のアスリートへのリスペクトも交えながら、
変わりゆくスポーツ環境の変化もしっかりと捉えています。
また、空手型男子で金メダルを獲った喜友名選手のエピソードは、
柔道と同じく、日本古来の武道に求められる日本らしさとはなにか?
も問いかけています。
一方で、スケボーとサーフィンには、
従来の日本の五輪におけるスポーツの価値観とは
まったく違うものの象徴として取り上げています。
ただ、サーフィンの映像は「2つ目の窓」とまったく同じ印象で、
結局そこにいっちゃうのね.とは思いました(笑)
オリンピックは、スポーツの大会と考えがちですが、
自分のようなそこそこスポーツの知識(組織やシステム)がある人間から見ても、
半世紀後の未来を見据えて国作りのきっかけのためのものです。
例えば1964年の東京五輪の前に作られた新幹線や首都高はその典型。
ところが、建築物やインフラ、官僚や役人の組織、
社会システム等、半世紀も経てばどんどん歪が出てきます。
それしたことの変革のきっかけにもなるわけです。
一方で自国開催であっても日本人だけではどうしようもないほど、
肥大化の一途をたどっています。
アスリートとの思いとは別に、五輪を突き動かす正体とは一体なにか…。
その結論を出すための映画ではありませんが、
「東京2020オリンピック SIDE:A」は、
世界的なアスリートが集まる大会を通して、
コロナという社会現象とそれに向き合った日本の記録であり、
映画の評価はもとより、大会自体の評価を未来に委ねた作品となっています。
ちなみに「東京2020オリンピック SIDE:B」もあります。
ほぼアスリートが出ないこっちはなにを描いているのか?
とても気になる映画ではあります。
とはいえ、
3度の有観客会場に行き、合計5回、選手のがんばりを生で見た者としては、
そもそも無観客でよかったのか?
コロナに対する中国の馬鹿げたロックダウン政策を見ても、
コロナ対策そのものが本当に正しかったのか? ぐらいには思っていて、
あのタイミングでの正義感にかられて作ったであろうSIDE:Bは、
もともと商業的な成功は望めないのは当然としても、
どこまでなにを描けるのか? ちょっと懐疑的ではあります。
いくら河瀬監督の映画ファンであっても(笑)。

