熊谷徹のヨーロッパ通信
債務危機で再浮上した「醜いドイツ人」という偏見
メルケル首相にナチスの軍服とカギ十字の腕章
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20120328/230333/
第二次世界大戦の直後、ヨーロッパ人がドイツに対して抱くイメージは、概して悪かった。フランスやイタリアの新聞が掲載する風刺画は、ドイツ人を、軍服に独特の鉄兜、長靴で周りの国々を傍若無人に踏み荒らす人物として描くことが多かった。戦争中にナチス・ドイツが周辺国にもたらした被害を考えれば、無理もない。
西ドイツが高度経済成長を達成すると、風刺画の中で軍服を着ていたドイツ人は、大型のベンツを運転し、強い通貨マルクで周囲の国々を席巻する観光客のスタイルに変わった。スペインやイタリアの保養地は、リッチなドイツ人観光客であふれる…。大戦初期の電撃作戦でフランスやオランダを蹂躙した戦車が、ベンツに象徴される強力な経済マシーンに変容したのだ。
「醜いドイツ人」のイメージが復活
もちろんドイツ市民には、こうした偏見と先入観に満ちたイメージにあてはまらない人も多い。だが外国人の頭の中には、このようなイメージが焼きついた。ヨーロッパの新聞の風刺画が、我々日本人を、目が細くて釣り上がり、眼鏡をかけた、背広にネクタイ姿のサラリーマンとして描くのと同じである。
このステレオタイプ化したドイツ人像は、ヨーロッパでは「醜いドイツ人」と呼ばれた。そこには、戦争で国土が荒廃したにもかかわらず、見事に復興し高い生活水準を勝ち取ったドイツ人への妬みもあったに違いない。
知識階級に属するドイツ人、特に政治家たちは、外国人から「醜いドイツ人」と見られることを好まず、このイメージを払拭しようと努力してきた。戦後の西ドイツがナチス時代の過去と批判的に取り組んでいるのは、その表れである。彼らは、歴史教科書の中で多くのページを割いて、ナチス時代にドイツ人が犯した犯罪について詳述している。さらに、ナチスの戦犯を今なお訴追したりしている。
だがドイツが1990年に統一し、欧州連合(EU)の政治・経済統合を積極的に進めるようになってからは、「醜いドイツ人」のイメージは弱まっていた。ドイツが、信用力の高い通貨マルクを自ら放棄したことも大きな効果を持った。「ナチスの過去との対決」も大きく貢献した。
債務危機がヨーロッパに与えた最悪の被害の一つは、ドイツに対する「負のイメージ」が周辺国の間で復活し、感情的な亀裂が深まったことである。特にギリシャとドイツの間では、相互不信が強まっている。
そのことが顕著に表れたのは、2012年の初めだった。EUと国際通貨基金(IMF)がギリシャ政府の破綻を防ぐための、第二次緊急融資について交渉していた時である。ドイツはEUとIMFが総額1300億ユーロ(13兆円)に上る融資を行なう条件として、ギリシャ政府に対し節減策をより厳しく実施することを求めた。
ドイツ批判に、アウシュビッツまで登場
この時、ギリシャの新聞は、 ドイツ人の神経を逆なでするような写真や風刺画を次々に掲載した。例えば「デモクラティア」紙は2012年2月に、ナチスの制服に身を固め、ハーケンクロイツ(カギ十字)の腕章を付けたメルケル首相の写真を1面に載せた。ドイツの法律は、カギ十字の紋章を公共の場で掲げることを禁じている。ギリシャ人たちはそのおぞましいシンボルを、写真の中のメルケル首相の腕に付けさせたのだ。
その横には、「Memorandum macht frei(覚書は自由にする)」というドイツ語の見出し。ギリシャ語の新聞なのだが、ドイツ人にも分かるように、この部分だけがドイツ語になっている。「デモクラティア」紙の見出しにある覚書とは、 EUとギリシャ政府が取り交わした、厳しい節減策についての覚書。2015年までに15万人の公務員を解雇することや、年金の大幅削減、最低賃金の引き下げなどが盛り込まれていた。
このフレーズは、アウシュビッツ強制収容所の門の上に掲げられているナチスの標語「Arbeit macht frei(労働は自由にする)」をもじったもの。ナチスの看守たちは、「働けば自由になれる」という意味だけでなく、「強制労働による過労で死ねば、収容所から出られる」という意味も込めて いた。
つまり同紙は、「ギリシャはこの覚書を受け入れれば、死に至る」と警告したのだ。私は22年間ドイツに住んでいるので、こうした扇情的な見出しや写真が、ドイツ人をいかに怒らせるかを理解できる。特にアウシュビッツをドイツ批判に使うのは、彼らのいちばん痛い所を突くことである。多くのドイツ人は、「悪趣味だ」と思ったに違いない。
あるギリシャの放送記者はラジオ番組の中で、繰り返しメルケル首相をヒトラーと同列に並べ、「我々ギリシャ人は現代のユダヤ人だ」と述べた。このため、裁判所はこの記者に2万5000ユーロ (270万円)の罰金を支払うよう命じた。
また「タ・ネア」紙は今年1月末に、ギリシャを操り人形のように紐で操っているメルケル首相の風刺画を、1面に大きく掲載した。その上にはドイツ語で「ノー」を意味する「NEIN! NEIN! NEIN!」という大見出しが踊っていた。
同紙がこの風刺画を載せた理由は、メルケル首相の提案にあった。同首相はギリシャに緊急融資を行う条件として、EUがギリシャに「節約監督官(Sparkommissar)」を派遣することを求めた。ギリシャ政府が約束通りに歳出の削減や国営企業の民営化などを進めるかどうか、点検する方策だ。ドイツ政府は暗に「ギリシャ政府はもう信用できない。EUが一挙手一投足を監視しなくてはだめだ」と言ったのである。この提案については、他のEU諸国からも反対意見が出たため、メルケル首相はその後取り下げた。
外国による統治に嫌悪感
ギリシャ人は、ドイツの提案について「我々の国を、EUの統治領(プロテクトラート)にしようとしている」と感じたのである。彼らは、外国による統治に長年苦しんできた――約400年にわたってオスマン・トルコに支配されていた。欧州列強の支援を受けて1830年にようやく独立した。
だがギリシャは英仏・ロシアからの多額の債務に苦しみ、財政状態が急激に悪化した。このため欧州列強は1832年に、バイエルン王国のルートヴィヒ1世の息子であるオットーをアテネに送り込み、ギリシャに君主国家を樹立した。バイエルン王国は多くの官僚や学者をギリシャに派遣し、近代的な行政システムや法制度を整備した。現在アテネの国会議事堂として使われている建物も、この時代にドイツの建築家フリードリヒ・フォン・ゲルトナーが設計したものである。
しかしギリシャ人は誇り高い。彼らは外国人による統治を嫌い、1862年に武装蜂起した。このためオットーは、命からがら国外へ脱出した。
第二次世界大戦でも、ギリシャ は1941年から4年間にわたりナチス・ドイツに占領された。多くのギリシャ人は地下抵抗組織に加わり、占領軍に対するゲリラ活動を行なった。この間、7万~8万人がドイツ軍によって殺害されている。私も「パルチザンとしてドイツ軍と戦った」というお年寄りにアテネで出会ったことがある。
ギリシャ人たちは、「再びドイツ人に手取り足取り指導されるのは御免だ」と感じているのである。
エヴァンゲロス・ベニゼロス財務大臣は、「節約監督官を派遣する」というメルケル首相の提案に対して、「ギリシャは他のヨーロッパ諸国から支援を受けるのだから、自分でも努力をしなくてはならない。我々はそのことを理解している。だがヨーロッパの統合は、平等の原則に基づかなくてはならない。他のEU加盟国は、ギリシャの国家としてのアイデンティティーと尊厳に対して敬意を払うべきだ」と反論した。
総選挙後、ポピュリズムに陥る危険
2月中旬には、ギリシャのカロロス・パプリアス大統領が怒りを爆発させた。ドイツのヴォルフガング・ ショイブレ財務大臣が、「今年4月末にギリシャで選挙が行なわれた後、同国の政府がEUとIMFに約束した節減策を実行する保証はあるのだろうか?」と述べたからである。ショイブレ氏は、4月の選挙で右派政党が勝って政権に就いた場合、歳出削減に関する約束を反故にする恐れがある。選挙を1年間延期してはどうかと語った。
パプリアス氏は、軍事政権がギリシャを支配していた間、ドイツに留学していたためドイツ語が堪能である。その親独派のパプリアス氏が、「ショイブレ氏による祖国に対する侮辱を、私は断固として拒否する。このショイブレというのは、一体何者だ?」と激怒したのである。ギリシャ人は外国政府の財務大臣が、自国の選挙の日程についてまで干渉しようとすることに、怒っているのだ。
野党に属するアレクシス・チプラス議員は、「ショイブレは、第二次世界大戦中にギリシャに侵攻して来たドイツ戦車のようだ」と述べた。ギリシャの政治家の間では、メルケル政権をヒトラー政権と同列に並べる発言が日常茶飯事になっている。
こうした報道や発言のために、ギリシャの庶民の中には「ドイツが欧州通貨同盟を崩壊の危機にさらしている」と誤解している人が少なくない。債務危機の原因を最初につくったのはギリシャであり、ドイツは他の国々とともにこの国を助けようとしているのだが…
もしも反独的な発言を行なう右派政党が4月の選挙に勝ったら、ショイブレ氏の危惧が現実のものになる可能性がある。 ポピュリストが首相になって節減策を凍結した場合、ギリシャの公的債務を2020年までに120.5%に減らす目標の達成は極めて難しくなる。ユーロ救済の成否は、ギリシャの有権者にかかっているのだ。
ドイツでも高まるギリシャへの不満
ドイツ側でも、ギリシャのこうした態度に反発が強まっている。ドイツはEU最大の経済パワーなので、ギリシャ支援に費やす保証額が最も多い。2月に決まった第二次緊急融資の中で、ドイツの納税者が負担する金額は約200億ユーロ(2兆円)に達した。2012年半ばに設立される救済基金・欧州安定化メカニズム(ESM)でも、ドイツが保証しなければならない金額は、最悪の場合1900億ユーロ(19兆円)に上る。ほとんどのドイツ人は、「ギリシャは財政についてのデータを改竄してユーロ圏に加盟した。放漫な財政運営を多額の借金で補っていたために破綻しそうになった国が、EUの監視下に置かれるのは当然ではないか」と考えている。
中には「ギリシャは事実上倒産しているのだから、島をいくつか売るべきだ」と言った政治家もいる。あるドイツの週刊誌は、2010年の特集記事でギリシャを「ユーロ一家の中のペテン師」と呼び、ミロのビーナスが中指を立てている合成写真を表紙に載せた。欧米では、中指を立てるのは、強い侮辱のしるしである。一部のギリシャ市民は、この雑誌の編集長を国家侮辱の罪で、アテネの検察庁に告発した。
2012年2月末、ギリシャの国会議員による反社会的行為が明らかになった。10万ユーロ(1090万円)を超える個人資産をスイスや英国の銀行口座に送金していたのだ。ギリシャが破綻して、預金の価値が目減りするのを恐れたのであろう。
ギリシャが破綻してユーロ圏を脱退したら、ギリシャの銀行預金は、以前の通貨ドラクマに切り替えられる。その後ドラクマのユーロに対する交換レートは、急激に悪化すると予想される。つまり、銀行預金の価値が目減りする危険があるのだ。
またギリシャの銀行はギリシャ国債を多く持っているので、政府が破綻して国債が紙くずになった場合、銀行が多額の不良債権を抱えて倒産する危険もある。このため一部の議員たちは、資産をギリシャから国外へ移したというわけだ。
政府が国民に対して、預金を国外へ送金しないように訴えていた時に、一部の議員は、自分の資産を守るためにお金を外国へ送っていたのである。ドイツでは「国民の代表である国会議員ですら、破綻を防げないと考えている。そのような国を、どうして外国が救ってやる必要があるのか」という声が出ている。
ドイツの忍耐も限界に近づいているようだ。2012年2月には、ハンス・ペーター・フリードリヒ内務大臣が「ギリシャが競争力を回復し経済を再建するためには、ユーロ圏の外に出た方が、うまくいくのではないか」と述べた。メルケル政権の閣僚が、ギリシャのユーロ脱退を求めたのは、この時が初めてである。
ただし、ドイツの態度が傲慢だという批判は、ギリシャだけではなくイタリアの政治家からも出ている。
危機に臨んで噴出する国家エゴ
私は過去22年間にわたりヨーロッパを観察してきた。ここから次のことを学んだ――加盟国政府は平穏な時には協調的な態度を取るが、異常事態が発生すると途端に国家エゴをむき出しにする。EUサミットで各国首脳が見せる笑顔のすぐ下には、氷のような利己主義がひそんでいる。
ドイツのNGO「償いの証」は、長年にわたり、ボランティア活動を通じてポーランドやウクライナなど旧被害国の市民やユダヤ人との融和に努めてきた。この組織の代表だったヴォルフ・ユング氏は、私の取材に対しこう語った。「ナチスが被害を与えた国の人々とドイツ人の間で相互理解が進んでいるように見えても、それは真のものではない。意見が対立すると、“お前らドイツ人は、やはりナチスの時代から変わっていない”という決まり文句がすぐに飛び出してくる」と語った。
今、ドイツとギリシャの間で起きているのは、正にユング氏が描いている状況だ。ナチス時代の記憶は、今日のヨーロッパでも死に絶えていない。戦争で被害を受けた民族は、戦火がやんでから70年近くたっても、そのことを忘れないのだ。ヨーロッパ諸国が半世紀以上の歳月をかけて、一個一個レンガを積むようにして築いてきた連帯を、今回のユーロ危機が突き崩すかもしれない。もし、政治統合への努力が深い傷を負うとしたら、残念なことである。
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ギリシャはドイツの食い物にされたの視点をちょっと変えた記事だけど、まあ簡単に言えば、ドイツが軍事力じゃなくてユーロを使った経済戦争で欧州を席巻しているって事だよね。
ユダヤ虐殺の賠償問題でガチャガチャしてる間にユダヤ金融に乗っ取られて、ベニスの商人の金貸しになってしまったのはドイツ自身だったって感じだねぇ。
欧州近隣諸国が甘い口当たりの理想の文言に騙されてEUに加入したら金融地獄だったって事なのさ。