続きです。
ここからは国産車編。
ボチボチ疲れてきたので(苦笑)、
この辺りはコメント抜きでお送りさせて頂きます(笑)。
1966年 マツダ R360 クーペ
1962年 ダットサン ブルーバード
1965年 ホンダ S600
1965年 トヨタ スポーツ800
1965年 ニッサン シルビア
1966年 いすゞ ベレット 1600GT
1967年 日野 コンテッサ 1300クーペ
1968年 トヨタ 2000GT
1969年 マツダ コスモスポーツ
1970年 いすゞ 117クーペ
日野は漢字で、いすゞはひらがなで書きたくなってしまうのは何故なんでしょうかね(笑)?
後は参加車両以外の駐車場にいた旧車をば。
MGTC?
これもプリAかな?
ベントレーですが、1934年らしいので3.5リッターでしょうか?
戦前のベントレーはまだ顔付きでタイプを判断できるようにはなって居りませんです(汗)。
実は国産車を撮影しだした辺りでドラミをやるっていう話になったので、
ここまでの写真をバタバタバタッと撮影してそれに臨みました。
で、8時半ごろからパレードラン開始。
出発時には車両の名称の紹介が行われました。
実は参加申し込み後に書類を送られてきた時点で
年式が1961年式と間違えられていたんですが、
傍から見ると、オーナーの年式認識が間違っているように誤解されるのが普通だと思われ、
専門家として(笑)、それが耐えられなかったので、
イベント直前でお忙しいと思われる中、申し訳なかったのですけど、
修正をお願いしたのですよね。
結果、あらゆるものが1962年で修正されていてホッとして居ったのですが、
その名称紹介の際に1961年と紹介されてガクッと来てしまいました(苦笑)。
でもね、きっと申請が1962年でされている物が、
1961年になってしまったのは、恐らく車両に付いてちゃんと調べてもらっていて、
そんな中で恐らく生産開始の1961年が
車両の年式とゴッチャになってしまったんだろうと思うので
仕方ない事だと思ってはいるんですけどね。
んで、事前にルートに関しては案内があったという事もあり、
私は一応ゴリラにルートを入れておいたのですっかり安心しきって居ったのですけど、
最初に蔦屋書店をぐるっと回って行かなきゃいけない所をうっかりとしていて
のっけからミスコース(苦笑)。
大体年式順での出走だったのですけど、
必死にリカバリーを試みてパレードに復帰出来た位置はこの辺りになりました。
49番と50番の間ですね(苦笑)。
でもまぁ、デュエットのお尻を見ながら走れるからいっか、、、という感じで(笑)。
途中、206にはデュエットもろとも追い越されて、後ろはミストラルになりました(笑)。
その後の写真も。
写真には収められなかったけれど、途中でミウラが横付けになった時もあり、
最初にトラブルはありましたが、なかなか楽しく走ってくる事が出来ました(笑)。
で、無事、東京プリンスホテルに到着。
そこにはこの車が待っていました。
1955年(あれ?1956年だったような…)の300cですね。
オーナーさんが病み上がりだったので大事を取ってここからの参加だったのですが、
実はワタクシの方はそのオマケ的な参加という感じだったのですよね(笑)。
長い事乗って来られた元オーナーさんもよく知っている方で、元色は黒だったのですが、
現オーナーさんが仕上げ直されるのに当たって、
このようなグレイ系の2トーンに塗り替えられたのですよね。
実は私的に内外装をやり直した後を見るのは今回が初めてだったのですが、
塗装は勿論、クロームの類いも内装も滅茶苦茶綺麗に仕上げられていました。
ナンバーは地名なしシングルで勿論ウエスタン物。
元オーナーさん曰く、地名なし『3』シングルでは
これ以上古い物にお目に掛った事が無いという事だったと思います。
もはやbだったかcだったか判らなくなっていますが、
静岡県東部の和菓子屋さん?が所有されていた300を
親父がヤナセ経由で買いかけた事があって、
結局それはどこかの博物館に収まる事になったような話だったと思いますが、
その頃から結構憧れてきた車なんですよねぇ。
そもそもが高級大型セダン好きなので、やっぱりイイナァと思いますね~。
300SLクーペと並んだ姿をもう一枚。
なかなかこの300系同士の2ショットも見られませんよね(笑)。
ここではこのイベントにお誘い頂いた、去年のイベントの300Sクーペのオーナーさんとも合流。
300Sは現在、絶賛再塗装中なのですが、
来年元色に戻った300Sクーペをまたここで見てみたいものだなぁと思っております。
さて、ここからはホテルからの参加組の車両紹介と参りましょう。
1971年 シトロエン アミ8
実はアミ8はもう一台。
更に去年もいたアミ6も居ました。
イイナァ、、、アミ。
とりあえず現状、所有は無理ですけど、乗るだけでよいので乗ってみたいですね~。
1972年 メルセデス ベンツ 230
これも去年居た車ですね~。
1927年 ブガッティ T35B
これも去年居た車だと思うのですが、
前回はアルファベットがわかりませんでしたけれども、Bだった事がリストから判明しました(笑)。
1927年 ベントレー 4.5リッター "Old Mother Gun"
ワクイミュージアムさんの車ですね~。
帰りにはキャリアカーに載せられずにホテルの敷地を出て行かれていたので、
どうやら自走でここまで来られたという事らしいです(汗)。
一寸意外だったのは涌井さんと300cのオーナーさんがお知り合いだった事でした。
特に車を買われたというような事があるわけではないそうで、
お聞きして、なるほど、、、という理由でありました(笑)。
こちらでもう一度ベントレーの4.25リッター。
ハイビジョンルーフを内側から。
なるほど、眩しい時など、必要のない時は、
内側で巻き上げている布地を広げて遮光するように出来ているんですね。
後席も開かないけどグラスルーフになっていました。
こちらはスライド遮光板ですね。
リアシート。
クマちゃんはともかくとして(笑)、バックレスト上の飾りつけなどは
車の雰囲気に良く合っていて、いいセンスだなぁと思いました。
1936年 MG エアラインクーペ
エアラインと言うのはおそらく
ルーフからテールに掛けての空力的な曲線を指しているんじゃないかと思うのですが、
そのルーフにはこのような、、、
変わった小窓が設けられていました。
1956年 フォード サンダーバード
所謂ベビーサンダー言うのはこれでしょうかね?
歴代のサンダーバードの中では個人的にこれが一番好きかもです。
1967年 ランチア フラヴィアクーペ
顔付きはややお堅い感じもしますけれども、
ルーフラインなどはいかにもピニンファリーナという感じがしますよね。
ここで、リストにはなかったけれど参加車両枠にあった車をご紹介。
1965年 アルヴィス TE21 FHC
この車のボディってRR御用達のコーチビルダーであるMPW製なんですよね。
そう思って見てみると確かにそんな雰囲気がありますよね。
この車、RRがシルバークラウドⅢになった時期の一寸後に出た車なのですけれども、
イギリス車って異なるメーカーでの部品の共用が結構あったりしますし、
この車がMPWのボディである事も加えて考えた時に、
ふと、このライトユニットってシルバークラウドⅢ用を縦に使っていたりしないかしら?
って思ってしまいました。
さすがに違うかな~?
他にも、去年も居たオースチンセヴン、、、
や、ダットサンロードスター
や、トライアンフヴィテス
や、ポルシェ356
などが居ました。
で、今回は参加車両を1台1台紹介をしていくという話で、
紹介時には出来るだけオーナーさんは傍に居てくださいと言われたのですが、
意地悪な(笑)ぽおるさんは220君の番が来た時にほんの少しだけ離れた所から、
どのように紹介されるのかに聞き耳を立てていました。
まぁ、『意地悪な』というのは冗談ですけれども、
ワタクシ、こう見えて結構恥ずかしがり屋ですし、
何か聞かれたら黙っちゃうか、余計な事までとめどなく話しちゃうのどちらかになるので(苦笑)、
どちらにしても迷惑な事だから、遠慮しておいた方が無難だろうと思ったのですよね(笑)。
なのでこんな風にその様子は撮影しながらも、、、
表には出ずでした(笑)。
解説されていらした方はどうやら220SEbクーペに乗った事があるご様子で、
220君がマニュアルであることを確認すると、
その絶妙なギヤ比のセッティングによる走りの面を結構褒めていらして、
『国内では』希少であることなども話されていました。
仮に私が傍に居たら、
『生産台数はシリーズで一番多いんですけどね』と自爆していたと思います(笑)。
で、ここからは駐車場に居た車両の紹介もしちゃいましょう(笑)。
最初、駐車場にレストモッドの300SLロードスターが居る!とお聞きしたので
それを見に行ったのですが、こんな車でした。
上の正面からの顔を見て私的には結構な違和感が。
これって果たしてホンマ物なのかしら?と思いました。
全体的によく出来てるとは思うんですけど、
先ずはフロントバンパーの位置が異常に低いのに酷い違和感。
まぁ、これは調整とかの問題だったりするのかも知れないなァと思ったのですが、
決定的だったのはワイパーの待機位置が逆という事でした。
ホイールの穴から中を覗くとディスクブレーキなのが判ったのですけど、
割とホイールと近い場所に見える筈のダンロップ製のブレーキキャリパーが見えなかったし、
右のタイヤハウスの前側を覗くと、、、
124の世代の物かと思しきラジエターのプラスチック製サイドタンクが見えたのですよね(笑)。
これらでレストモッドではなく正真正銘のレプリカだと判明したわけですが、
これ、街中で目の前をいきなり通り過ぎられたら、恐らく判らないレベルだったろうと思います。
内装も恐らくATなのをシフトブーツで胡麻化しているのを別とすれば、
よく出来ていましたし、
このサイズの画像で判るかどうかという感じですけど、
驚く事にドアガラスにはお星さまマーク+SEKURITの文字が入っているんですよね(汗)。
ただ、この世代のオリジナルにはお星さまマークは入らんだろうと思いますけどね。
その他にも色々。
モーガンスリーホイーラー
アストンマーティン DB2 DHC
アストンマーティンは外見が好みなのですが、
私の知る範囲でDB4以降ではダッシュボードにウッドパネルが使用されていないのが、
ウッドパネル好きには一寸寂しいなと思っていたのですけれども、
この車にはそれがあったので、おっ!と思ってしまいました。
一寸調べてみた感じでは1957年のDB2/4 Mk2まではウッドパネルがあるみたいですね。
で、更にそのウッドパネルの形状はDB2とDB2/4を境に
どうやら違うらしいと言う事が判り、それでこの車がDB2の方だと判りました。
アルファロメオ
ジュリアなのかジュニアなのか門外漢には判りませぬ(苦笑)。
チンク。
オースチンヒーレースプライト。
アルピーヌ A110
ジャガーEタイプシリーズ1 4.2 OTS
BMW 3.0CSi
トライアンフ スピットファイア
とりあえずこの辺りで駐車場で見掛けた車両の紹介も終わりですが、
参加車両リストの方を改めて確認してみると、14番の1928年アルヴィス12/50FWDと
43番の1960年ロータスエリートSr.1と63番の1954年フィアット8Vを撮り損ねていました。
各車のオーナーさん、申し訳ありませんでした。
11時45分頃から昼食タイム。
去年同様、会長さんからのご挨拶がありました。
会長さんによると文化の日はまず雨が降らないとか。
去年も前日は雨だったように思いますが、当日は大丈夫でしたものね。
去年は暑かったような記憶ですが、今年は丁度良い気候でよかったです。
お食事タイムが終わると、前回には無かったトークセッションなるものが開催されました。
そのトークセッションは60年代の日本車のデザインというタイトルで
ニッサンのデザイナーで、同会の副会長でもいらっしゃる中村史郎氏と
マツダのデザイナーでいらっしゃる前田育男氏で話を展開していくというものでした。
誠に失礼な話ではあるんですけれども、私的に途中で退屈になってしまいまして、
参加者が表に居ない人が少ない中で車達を見学させてもらった方が有意義かと思い、
一足先に外に出てしまいました(汗)。
それであちらこちらと見学をさせてもらった後、15時頃に家路に就くことにしました。
そうそう、帰る一寸前位?に駐車場に居たのには気付かなかった、
こんな車が帰って行くのを目にしました。
ロールス ロイスのシルバークラウドⅢのチャイニーズアイのDHCですね。
そもそもがベントレーS3コンチネンタルのチャイニーズアイの
RRバージョンという位置づけだったと思うので、
多分こちらの方が数が少なかったんじゃないかしら(あまり当てにならない…苦笑)?
んで家路に就いて最初の内は良かったのですが、
246号に入って暫くするとモロに渋滞に嵌りました。
渋滞は断続的ではあったものの、
そこから厚木に抜けるまではスイスイっとはいかなくていささか参りました。
しかもまた眠くなってきちゃいましたしね。
東京プリンスを出る時に窓全開にしてきて良かったなと思いました。
で、厚木から先はスイスイだったので、ヤレヤレという感じだったのですが、
秦野のいつもよりちょいと先のエリアで渋滞が発生しており、
いつもは秦野市街を抜けた、下り坂の所は混む場所ではなかったのに、
結局松田惣領の手前まで渋滞していました。
東名工事の影響とかあったんでしょうかね?
で、渋滞を抜けると2連荘で前走者に恵まれず、かなりイライラ。
いや、法定速度を守るのも大事かもしれないけど、流れに沿って走るってのも大事ですからね。
2台目などは法定速度を大きく下回りすらするし、
ひょっとして嫌がらせ?と思えなくもない感じでした(苦笑)。
で、御殿場市街から国道469号線に入ると、今度は何台か前を走るトラック(苦笑)。
こいつもずっと法定速度を下回っていたんですよね。
で、そういう奴に限って、ギリギリ信号をパスして行ったりするんですけど、
例に漏れず大野路交差点を自分だけ右折していきやがりました(苦笑)。
それを見て、あんなペースで走っているなら
なんとかそいつが469号線に復帰する前に追い越せるのでは?と思い、私は直進を選択。
これが見事に当たって、恐らく追い越せたと思われるのでそれだけはスカッとしました(笑)。
この3者が私に役に立ったとすれば、怒らせて眠気を覚まさせてくれたことだったと思います(苦笑)。
そのあとは快調そのもので、18時半頃無事に車庫に帰還出来ました。
『遠足は家に帰り着くまで』なんてことを自分に言い聞かせながら(笑)、
コペンさんに乗り込むと、疲れている中なので、出来るだけ広い道を選んで帰りました。
帰りの渋滞だけは×でしたけれども、
文化の日に各国の自動車文化に触れる事の出来た、楽しい一日となりました(笑)。