当社にはそう聴こえたの!w
だが当時の友人は↓聴こえたという
たまらなく手臭ぇ~!
まあどっちにしろ42年前の空耳なんですがねw
というわけで…オリンピックが終わったお仏蘭西から↓の方の訃報が入ってきますた
アラン・ドロン
1935.11.08 - 2024.08.18 1960年代から1970年代にかけてその類稀な美貌から
世紀の二枚目として人気を博したフランスの映画俳優である
自宅にて死去したことが3人の子供により発表された 88歳没
今で言うところの元祖イケメンであるんだけど映画俳優としてのピークは
1970年代前半あたりまでで1972年に制作された映画"ショック療法"
(原題:Traitement de choc)ではフル●ンでビーチを走り回るという
タイトルどおりにショッキングなシーンもあったりするわけで最早二枚目路線から
社会派とかにシフトしていたわけですが日本ではレナウンのCMへ出演をキッカケに
CMタレントとしての起用が多くなってきておりましてシッカリとクルマ関係にも
足跡を残していたりしまして↓なクルマのイメージキャラクターも務めますた
MAZDA CAPELLA Type:GC (1982 - 1987)
カペラとしても3代目となるFF化された最初のモデルで姉妹車として
フォードブランドからテルスターがOEM製造されオートラマから販売された
で…当時のMAZDA=東洋工業がどれくらいこのモデルにリキを入れていたか?
BD系ファミリアが超ヒット商品になってしまった勢いを借りてというと
語弊があるかもしれませんが防府工場を建設してしまったわけですし
イメキャラに大物をということで欧州を意識してアラン・ドロンを起用した
国立自動車総研的にはそう言ってもいいような気がします

そこで当時のカペラのカタログを持ち出してみましたが…
右下以外クルマのカタログとはわかんねえw
要は東洋工業としてもそれだけアランに依存してたとわかるカタログかと?

セダン以外にもクーペと後に5ドアHBが追加されているのですが
80年代前半のCセグメントかつ対ヨーロッパ輸出を考えても完成度は高いかと?
逆に日本でのイメージ展開でアランというのを改めて強調したかったんだろうね
Alain Delon Version
↑な特別仕様車まで設定しちゃったくらいですからwww
だからこそ↓なキャッチコピーを使ったわけです
もうおわかりですねw
たまらなくペイズリー&たまらなく手臭ぇ~!
元ネタは↑のコピーを空耳アワーしていたw
だからCMは↓な感じですた
◆MAZDA CAPELLA CM 1982◆
如何にも80's前半のクルマCMだことw
イマドキあんなスラロームやったらそれだけでコンプライアンス的にアウトww
そんな一方でいつもの広川節を封印して二枚目ボイスに徹した広川太一郎氏のNa
チョットだけ津軽弁っぽく聴こえるアランの生声もいいんですけど
どうしても気になるのが↓
Song by A.Fuse のテロップ
エーヒューズ? なんだよ電気関係のパーツみたいなユニット名は?www
まあ よくよく考えたらわかるつーかこの方だったわけです(笑)
♪たまらなくテイスティー/布施明
A.Fuse→Akira Fuse→布施明
これ完全に狙っただろう?(笑)
もうね…CMに出てくる人も歌もNaも全部二枚目にしたい魂胆が見え見えwww
確かに80年代前半ってシティポップスが台頭してくるんだけど
このナンバーに関して言うと完全にAORだよなあ
作詞が有川正沙子っていう時点でこの前年(1981年)に大ヒットした寺尾聰を
意識しちゃっているのもわかるんだけど当社的には隠れ名曲だと思いますよ
ただですね…あまりにも二枚目路線を貫いちゃうがどうかと思っちゃうわけで
タイトルみたいな空耳コピーを自ら仕掛けに行ったというのもまた事実でして
それを世紀の2枚目アランの死で思い出してしまったということですね
尤も…"たまらなくペイズリー"な1台
サスガにそんなクルマとかコピーだったら売れないと思いますけどね(笑)
Posted at 2024/08/19 02:22:20 | |
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