人生を長いことやっていると、何かの節目に当たる年に遭遇する機会もひとりでに増えてきます。
例えば去年、実に久しぶりに仕事絡みでなくフランスに出掛け、ニースとパリをエンジョイしてきたのは、恥ずかしながら今の連れ合いとのシルバージュビリー、つまり結婚25周年の年だったからでした。
で、今年はというと、新卒の僕が1971年に自動車誌『CAR GRAPHIC』に編集記者として入り、自動車ジャーナリズムの世界に足を踏み込んで、この4月でちょうど満40年という年に当たります。
だからといって「オメデタイ」なんぞとはこれっぽっちも思っていませんが、「もうそんなに経っちゃったのか!」という感慨も含めて、ひとつの節目ではあるかなと思っています。
70年代初頭のあの頃は、クルマに熱い興味を持つ若者が今とは比べ物にならないくらい多かったようで、『CG』編集部への就職希望者もかなりの数がいて、書類選考の末におこなわれた筆記試験会場に集まった受験者は募集人員2人に対して百倍の200人いたと、後に(当時の)『CG』の版元である二玄社のスタッフから聞きました。
その200人からその年2人だけ採用される『CG』スタッフの1人に選ばれたのは、まったくもってラッキーだったと今でも思っています。
ちなみに1971年といえば、スポーツカーの世界ではランボルギーニ・カウンタックのプロトタイプやアルピーヌA310がデビューし、実用車ではアルファスッドが発表された年でありますね。
上の写真は、僕が『CG』スタッフになった1971年4月をイメージして71年4月号をトップに重ねた当時の『CG』を撮影したものですが、4月号は3月1日発売、したがってその取材や制作は2月中におこなわれるわけですから、当然ながら僕自身はこの号にまったくタッチしていません。
そこで、いつ頃から記事を書いていたのか当時のバックナンバーを繰ってみたのですが、当時の『CG』は大半の記事が記名原稿ではなかったので、意外と見つけるのが大変だったりします。
でも、こういう表現をした覚えがあるから、これは自分が書いた最も初期の原稿のひとつに違いないと読んでみて確信したのが、71年8月号のF1モナコGPのリポートでした。
とはいっても、当時は今ほど気軽にヨーロッパにはいけないし、もちろんF1のTV番組なんかやっていません。
そこで『CG』では、F1に限らずヨーロッパのモータースポーツに関しては、現地の特派員カメラマンから写真を送ってもらうと同時に、イギリスのモータースポーツ誌を2誌定期購読し、その2誌を中心とした英文の記事を和訳しつつ、ひとつの『CG』風ストーリーにまとめてリポートしていたのでした。
この1971年モナコGPのリポートに僕がつけたタイトルは「スチュワート、ペテルソン、モナコに光る!」というもので、優勝は当時 “タイレル” と表記されていたティレルに乗るジャッキー・スチュワート、2位はマーチを駆る若きロニー・ペテルソン、そして3位がフェラーリをドライブするジャッキー・イクス、という結果でした。
左ページのカラー写真は、上の赤いのがペテルソンのマーチ711、下は前がシフェールのBRM、後ろがイクスのフェラーリと、なんとも懐かしい面々ですが、スイスの名手シフェールは同年の秋にブランズハッチで、僕の大好きだった “スーパー・スウェード” もしくは “サイドウェイ・ロニー” ことペテルソンは1978年イタリアGPの舞台モンザで、いずれもサーキットに散ってしまうことになります。
それはさておき、果たして僕は10年後にモータージャーナリストとしての50年目を迎えることができるかどうか、それは神のみぞ知る、ということで・・・。
Posted at 2011/04/05 17:33:45 | |
トラックバック(0) | 日記