ジトッとした朝で迎えた土曜、
そろそろ隔離から戻してもええかな。
ひまわりに水やりを。
ヤバイなぁ。
枯れてきてるし(・。・;
下の葉を除去。
今度はメダカ。
育った稚魚を
睡蓮鉢へ。
その睡蓮鉢のホテイソウを取って
週一の浚渫作業。
本日もメダカの天敵は見つからず(*^-^)
新聞を開くと片上鉄道のディーゼルカーの記事が。
また吉ケ原行こうかな。
溜まった録画番組消化。
岡山駅西口の道じゃな。
ん?あのシルエットはレール輸送列車牽引機の凸じゃね~の?
金魚の水換えを。
病気もほぼ治ったので隔離解除。
今日は「車を動かさんday」にしてたので、午後からも家で過ごしオタ本を。
自分が中学生当時⬆️のEF58電気機関車は山陽本線で今は亡き荷物列車や
団体臨時列車を担当してました。
総勢172両存在したEF58(以下ゴハチ)にはそれぞれに個性があり、それが魅力でもありました。
中でも一番人気だったのが天皇陛下専用列車・お召列車専用だった61号機。
色も去ることながら、原型大窓と呼ばれる大きい前面窓(⬆️の窓と比べると大きさの違いが分かるかと。⬆️は原型小窓。)側面まで回り込んだステンレスの帯など特徴的でした。
東京に在籍してた61号機に対し、“西のロクロク”と呼ばれて人気を二分したのが66号機。
やはり原型の大窓を維持し、上越線で冬季のトンネル内に出来る氷柱から前面窓を守る大きいヒサシ“ツララ切り”を装備、お召と言う特別な存在ではなく普通に使われてたこともあり大人気でした。
この36号機も特徴的な姿を持っており、沿線で待機しててやって来た時には狂喜乱舞でした(⬇️まさにこの時の自分)。
乗務を終えた機関士さんとこれから乗務の機関士さんの立ち話が長く、写り来んでますが(;^_^A
吹き上げる暖房用の蒸気も冬の風物詩でした。
36号機は66号機と同じく上越線トンネル対策の氷柱切り装備もさることながら、側面の窓の数が通常のゴハチの5枚よりも
2枚多い7枚窓でした。
話せば長くなるので割愛しますが、35と36号機だけ、このタイプの車体に頭をくっつけたので7枚になってます。
所属してた基地毎の装備の違いによる特徴もありました。
広島のゴハチに見られた新型の機関車と共通になったパンタグラフ◇。
小型で、根っこの方でクロスしてますよね。
米原の一部のゴハチに見られたのはワイパーカバー。
ワイパーの根元に小さなカバーが付いてるのが分かります?
着雪で動かなくなるのを防ぐ為だったようです。
浜松のゴハチは前面窓を小型に改造、その窓を固定する支持ゴムの色が黒でした。
照度アップの為、大きい白熱灯から2灯のシールドビームに改造された個体も。
この143号機は他にも細かいながら多数の個性の塊でした。
日常的に活躍してたゴハチも
(当時、機関士さんの詰所があった宇野線ホーム先端を通過する150号機。京都鉄道博物館で保存中)
信州から流れて来たEF62に交代、消え去り
(当時の宇野線、現在の瀬戸大橋線ホームに停車中の宇野行き荷物列車。)
荷物列車自体も廃止に…。
ちなみに自分はゴハチより一足先に消えたEF61電気機関車も好きでした。
またまた話が大幅に反れましたね(;^_^A
その後は三女の宿題を見て
夜には博士ちゃん。
高知県の可動橋、有名よな~。
そして今日1日が終了。
~おしまい~
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Posted at
2022/07/30 23:15:49