2024年04月30日
私も間もなく51歳。
織田信長が「人間(じんかん)50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と歌われてたように、人の世の50年とは天上世界と比べれば夢や幻のように過ぎ去るもの・・・昔の人はだいたい50代で老人だったようで。今の時代70代でも若いと言われておりますが、私の母親はその70代で今末期の癌で病室にいます。
弟や私は毎週のようにお見舞いに行っていますが、先週は私の目から見ても長くはないと感じ、九州の妹に連絡しました。今妹は実家に帰省し、毎日のように母親の病室にお見舞いに行っています。すると衰弱していた母親が奇跡のように回復し、会話も出来、食べたいものもお願いするように。
70代の父親もいますが、若い時から酒やマージャン、ゴルフに明け暮れ帰宅はいつも午前様。朝起きたらもう出勤してたので、週の内5~6日は親父の顔を見ない日々。日曜の夕方、家にいると機嫌が悪くなり毎週日曜日は修羅場でした。金は使い放題自分の為に使い、家族サービスなんてゼロ。家事や育児、同居の両親の世話は全て母親一人でこなしていました。
日曜の修羅場?今で言う虐待ですね。殴る蹴るの暴行は「日曜茶飯事」本人は「ワシは人を殴ったことは一度たりとも無い!」と豪語してますが嘘です。トラウマとして今も私や妹、弟の心の傷となって残り続けています。そんな親父が認知症に。自分がして来た私たちへの仕打ち、覚えてないんだそう。家族サービスゼロ、殴る蹴るの暴力。さんざんして来て覚えてない。幸せな人。
親父は認知症以外、今のところ体は元気で毎日の散歩、自炊は出来てますが、人との会話を覚えることが出来ません。話している時は会話が出来ているように思うのですがその内容は3分後には忘れる始末。なのに不思議と『お金』が絡むと全て覚えているのです。認知症ってそういうものなんですかね。
神様は不条理で、あれだけ頑張って来た母親を先に連れて行こうとしています。私たち兄弟が道を外さず、人として人の心を持った大人に成長できたのも全て母親のお陰と思っており、そこに親父は介在していません。ここまで読んで「いや、そうではないよ」と戒める気持ちをお持ちの方もいらっしゃるでしょう。幼少期から私たち兄弟が父親から受けた虐待や苦しみは理解できなくても仕方ありません。普段は思い出すのも嫌なので心の奥底にしまっています。
病室で小さくなった母親を見た時、私たち兄弟に注いでくれた愛情の大きさを改めて感じました。やっと今から自分自身の為に人生を楽しもうとした矢先の癌。癌になっても弱音を吐かず、生きる気力を身をもって見せてくれている母は、やっぱり立派で心の大きな人だと思いました。今は母自身の気力で元気になってくれることを願っています。
Posted at 2024/04/30 23:03:29 | | 日記