
今日は新ネタが無いので過去乗っていたクルマの事を記します。
【不定期シリーズになると思います】
愛車ログには入れてありますが、過去所有した中で最も過激な車がこのスピダートロフィーでした。
SiFoとの付き合いは1994年の106Rallye1.3購入からでしたが、その直後スピダーの輸入が始まりました。日本第1号のソットバンを買ったのは現在も時々会う知人のK氏でしたが、私個人的にはソット、パラとも欲しい!の域には至らず静観していました。
1995~1996年頃、SiFoの手によりスピダーのワンメイクレース仕様である、スピダートロフィーが少数輸入されました。うち1台はSiFoのレース計画により全日本GT選手権用に改造され、1997年の秋、菅生のレースに1度だけ出場し、GT300クラスで涙モノの完走を果たしました。私はこの時、金曜日から菅生のピットにいました。ドライバーは砂子さんと吉富さん。
同時に輸入されたうちの1台に、保安基準による車検対応の装備をしてナンバー登録可能になった車があったのですね。
車検対応の作業前にも、例えば富士高原サーキットのAGRイベント等で、この車は何度も見ていました。それで、すでに●れ縁的友人的客となっていたわたくしが、長期ローンを組んで買ったわけなのでした。
ナンバーが付いて納車(!)になったのは96年のフレンチブルーミーティングへの出発前夜でした。FBMでは当然、この車をSiFoブースに展示するので、今夜は乗って帰って明日朝集合!という鬼約束になりました。
その晩は広尾駅近くのガススタで満タンにしてもらい、文字通り恐る恐る乗り出しました。われながら当時から強者だと思うのは、半クラッチ領域が全く無いレース用のメタルクラッチをその晩初めて運転したのですが、エンストせずに自宅まで帰り着いたことです。
ミッションもレース用で、Hパターンのノンシンクロ6速です。この初乗りの晩マイッタのは、交差点の右折車線の先頭でローギアに入れようとしたらギアが入らなかったことです。ナンダコレハ~!と思い、某雑誌に載っていたジャーナリストS氏による、この車のインプレッション記事を思い出し、ほとんどストロークの無い半クラッチ部分を使い、ドグクラッチ同志の角度をずらしながらレバーを押し込むとちゃんとギアは入りました。この時後ろには深夜の時間帯でタクシーが2~3台程並んでいましたが、信号が変わってから私が発進するまでの10秒ほどの間、誰1人としてホーンを鳴らさなかったのは特筆すべきでした(爆)
納車時のシートは運転席のみの1座席でしたが、私は106で使っていたレカロのSP-Gを運転席に付け、元の運転用シートを助手席に移設して2人乗れるようにしました。シート固定用の金具はアルミ板を切り出してネジを切って自作しました。
この車はレース用なので、ノーマルのスピダーより遥かに固いスプリング、ショックと低めの車高でハンドリングは鋭く全く異なる乗り味でした。
ただし乗り心地の悪い印象は全然無く、何度か助手席に乗ったmegane16vさんは確か東名高速走行中に、横でヘルメットをかぶったまま居眠りをした事実もあります(大爆)
ノンシンクロのギアボックスによる変速操作は実に素早く快適でした。そのソリッドな変速と加減速のフィールは絶品でした。
この車にドアは無く(!!)乗り込むのは上のロールケージの間からになります。オーナーである私は容赦なくボディ上面を踏んずけて乗り降りしました。
サーキット走行はほとんどしませんでした。当時はなんだかもの凄く忙しい身で、週末出かける元気もあまり無かったような気がします。また、私自身の体調が芳しくない時期でもあり、結局97年頃の豊洲ベイサイドジムカーナで行われたACEGローカルジムカーナ大会で総合1位になったのと、その後は筑波2000で3回ほど走行しただけです。
このクルマ、写真がほとんど無いのです。理由はカメラを積むスペースと環境が無いから(笑)。当時はまだデジカメ導入前で1眼レフを使っていたのですが、カメラを気軽に持ち歩ける車じゃなかったのです。
若干残っている写真を上げておくと、タイトル画像とこれは98年の筑波C’sスピード走行会。
この日はヨコハマのスリックタイヤで走りました。1分8秒台だったか?

後ろのメガーヌ2台とその後ろの5速マニュアル付きラグナは私の友人達の車です。ウイリアムズは誰のだったんだろうな?
97年~98年頃の、筑波でやったSiFoによるRenault Sport Trophy。
大雨です。
タイヤはミシュランのレインレーシング。

グリッドで手前に映っているのは誰あろうスピダー購入直後のK-matsuさんです。
この日はこうして
K-matsuさんの後ろを走り、
中団くらいでフィニッシュ。
この日は寒かったこと以外記憶がありません(笑)
このイベントには現在自動車ジャーナリストとして有名な某氏がサンクターボで出走していました。
結局このクルマは2003年まで保有して、ちゃんと車検も通していましたが、SiFoでクリオ・ラニョッティを購入するに当たって良い値で下取りしてもらい、手放しました。距離を乗っていなかったこともあり、トラブルはほとんど無かったですが、1度自宅でエンジンをかけようとしてクラッチを踏んだら、クラッチワイヤーがばっつん!と切れました。スピダーのクラッチワイヤーは定期的に交換しいないとイケナイそうです。
多分自分の保有時期には3000kmも乗っていないと思います。
私が所有していた時期、Tipo誌上に大田哲也さんによるメガーヌトロフィーとこの車の試乗記事が載りました。
その後は3人ほどオーナーが変わり、恐らく国内に現存しているハズですが、現オーナーはイベント等にも現れず、隠し持っておられるようです。
今また、所有したいかと言われると自分の体力的にちょっとなぁ~?という所ですかね。
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クルマ | 日記
Posted at
2012/01/08 00:29:58