
昨日、みんカラを徘徊していて思い出したので、私なりの記憶と感想を記しておきます。
17年前の当日の夜はmegane16vさんと設立した謎のカークラブの1泊ミーティングで、ギャラリーアバルトから山中湖畔の賛美ヶ丘という別荘地にある貸し部屋的宿泊施設に移っていました。現在この宿はもうありません。
いまだお付き合いいただいているS社のFさんが、夜間ミーティング(≒宴会)参加のため遅れて宿に到着されたところ、氏の、まだ今ほど普及する前だった携帯電話にフランスのご友人から直電が入り、どうもセナが大クラッシュしたらしいという話を聞きました。
その後はJOCX-TVの中継をそわそわ待ち、見た結果は当時からのファンの皆様ならご存知の通りです。このあと再開されたレースを制したのはシューマッハでした。
死亡事故後、TVは連日特番やワイドショーでセナを取り上げました。しかし、私は当時すでに死亡事故・事件をネタとして扱うTVの方法に嫌気がさしており、この手の番組も全く見ませんでした。
1~2ヶ月するうち、様々なジャーナリストによる論評の書籍も書店に見かけられました。何冊かは購入して読みました。読んでみた内で、最も的確に当時のF1ワールドの状況と、セナの死に至った背景をまとめていたのは、フォトグラファーのジョー・ホンダ氏による「セナを殺した男たち」でした。現在も私の書棚にあるこの本は、センセーショナルなタイトルですが、非常に冷静な論評になっていました。
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翻って、セナの疾走する姿を実際に見たのは87年と89年の鈴鹿日本グランプリでした。
87年はあのフワフワするアクティブサスのロータス99Tで、レースの中での相対的には見るべきスピードはありませんでした。
89年は違いました。前年に念願のワールドチャンピオンを手中にし、ターボ禁止となり3.5LのHONDA-V10を搭載したマクラーレンMP4-5は、世界一のドライバーが乗る世界一のマシンでした。この年は金曜日にも休みを取り、木曜の夜から鈴鹿へ出かけ、ほぼ徹夜明けのままF1のプラクティスを見ましたが、すでに衝撃と感動がありました。指定席は1~2コーナーからSベンド入り口を俯瞰できる位置でしたが、金曜日は各所の自由席にも歩き回り、写真を撮りました。バックストレートから130Rに最高速近くで入っていくF1は、両側の高い金網に挟まれ、700馬力の猛獣が突進している様で人間が乗っているとは信じられない光景でした。
土曜日はフリープラクティス、予選走行とも自分の指定席で観戦。マクラーレンは2台とも、S字入り口の手前で一瞬エンジンがレブリミッターに当たる音が印象的でした。最後のセナによるアタックラップは衝撃的でした。S字を駆け上って消え去る姿に、この日のポールポジションを獲得するラップだという確信と感動が確かにありました。
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F1の死亡事故は様々な原因で起こっていますが、ある日急に不運が集積して結果とでも言うべき瞬間があるのでしょうか。イモラの同じ場所ではベルガーもピケもクラッシュしましたが命は落とさずに済みました。リントはメカニカルなトラブルで帰らぬ人となってからチャンピオンになった稀有な例です。1976年のラウダの事故も救出があと何秒か遅れていたら悲劇になっていたでしょう。
セナの事故後、F1の安全対策は進歩し、極端なクラッシュでも死亡事故は起こっていません。しかし死亡事故の可能性が極めて低くなっているだけで、全く安全なレースというわけではないと思います。エンターテイメント性追求のあまり、本来的でないデバイスが導入されていますが、これらがレースに思わぬ危険性を招かないことを願いたいものです。
F1ドライバーたちも、ここ17年で主役はもう3世代くらい入れ替わっていますが、彼らが作るコンペティションの感動は全く色褪せていません。
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画像は上に記した1989年の鈴鹿で、私が撮ってきたセナの写真です。
パネルに挟んで現在も自室の一等地にあります。
Posted at 2011/05/02 11:25:37 | |
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