
これもホンダコレクションホールに展示保存してある1986年型のマシーンです。
ウイリアムズFW11ホンダ。
1986年は1985年からウイリアムズに乗っていたナイジェル・マンセルに加え、前年までブラバムBMWに乗り、すでに2回のチャンピオンを経験しているネルソン・ピケが加わり、ウイリアムズホンダチームは必勝体制になっていました。
この年は、中島悟のF1デビューとともに、フジTVがF1の全戦中継を始める前年でした。
しかしあのドラマチックな最終戦であるアデレイドでのオーストラリアGPは、TBSの手により取材され、非常に味わい深く重要な30分の特集番組として放映されました。
以下はそのレースの要約です。
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この年、最終戦を前にチャンピオン候補が3人残りました。
☆N.マンセル(ウイリアムズ・ホンダ)・・・・70ポイント
☆A.プロスト(マクラーレン・TAG)・・・・64ポイント
☆N.ピケ (ウイリアムズ・ホンダ)・・・・63ポイント
1位~6位までのポイントは9,6,4,3,2,1でしたから、
マンセルは3位以内でフィニッシュすれば、チャンピオンが取れるはずでした。
予選のトップ4は、
P.P:N.マンセル
2位:N.ピケ
3位:A.セナ(ロータス・ルノー)
4位:A.プロスト
です。
スタート!マクラーレンのケケ・ロズベルグが序盤猛ダッシュを見せます。
☆2周目
1位:N.ピケ
2位:K.ロズベルグ
3位:N.マンセル
☆6周目
1位:K.ロズベルグ
2位:N.ピケ
3位:N.マンセル
4位:A.プロスト
☆10周目
1位:K.ロズベルグ
2位:N.ピケ
3位:A.プロスト
4位:N.マンセル
☆22周目、なんとピケがスピンし、4位に落ちます!
☆32周目、プロストがタイアのエアー漏れでピットイン、4本のタイアを交換しました。
☆58周目
1位:K.ロズベルグ
2位:N.マンセル
3位:N.ピケ
4位:A.プロスト
プロストと同じマクラーレンに乗るケケ・ロズベルグは捨て身の速さでトップを走り続けます。
中団以下のチームはタイアの異常が多発し、次々とピットでタイア交換をしています。
☆64周目
ケケ・ロズベルグが右リアタイアバーストでリタイア!
☆65周目
なんとN.マンセルもバックストレートで左リアタイアバースト、真直ぐエスケープロードに入りリタイア!
N.ピケはここで、バーストのリスクを避けるためピットインしてタイア交換。これで序盤にタイア交換したプロストは労せずしてトップを走る事に。プロストとピケは1ポイント差ですから、先にゴールした方がチャンピオンを獲得です!
A.プロストとN.ピケの間には約20秒の差が出来てしまいます。
☆70周目
1位:A.プロスト
2位:N.ピケ(21秒差)
☆80周目
1位:A.プロスト
2位:N.ピケ(20秒差)
ゴールまであと2周、プロストはここで安全のため大幅にペースを落とした様です。
☆82周(ゴール)
優勝:A.プロスト
2位:N.ピケ(約4.1秒差)
結果、チャンピンシップポイントは、
チャンピオン:A.プロスト(73P)
2位:N.マンセル(70P)
3位:N.ピケ (69P)
奇跡の大逆転を成し遂げたプロストがマシンから降り、ジャンプして喜んでいた姿は忘れられません。
このレースには必勝を期して、珍しく本田宗一郎氏も観戦していました。
TV放映された映像の中には、レース前に本田宗一郎とアイルトン・セナが初対面らしき握手をするシーンも収録されています。
ウイリアムズ・ホンダとしてコンストラクターズタイトルはなんとか手中にしましたが、F1チャンピオンシップの本筋はドライバーズタイトルであることは誰しも認めることでしょう。
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ピケは翌87年に3度目のワールドチャンピオンを獲得。
マンセルは87年も最終戦の鈴鹿で金曜日にクラッシュ、負傷して帰国してしまい、チャンピオンに到達するまで更に数年の苦闘を要しました。
ここに保存してあるFW11はカーナンバー5が着いていますから、マンセルのマシンだったのでしょう。
この迫力あるスタイリングを見ていると、1986年のオーストラリアGPのシーンと、当時の個性豊かで明確なキャラクターを持ったドライバー達の顔を、走りを思い出します。
Posted at 2011/05/15 01:28:56 | |
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