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U-TAN(う~たん)のブログ一覧

2022年03月09日 イイね!

山村ジョグ・・・山梨県南巨摩郡身延町根子~折門八坂

前回の終点、根子地区「蔵屋敷」集落のさらに奥、「折門・八坂地区」の最奥集落
のひとつ「三ツ沢」集落を目指す往復12kmのジョグ。


「蔵屋敷」のすぐ先の反木川河畔にシエラを置いて出発。


すぐにこの辺りで最も大きな集落である根子地区「中河原」集落。
反木川を挟む斜面に多くの家が建ち並ぶ。
過疎地区ではあるものの、今でも住んでいる家が何軒もあるし、二人のお婆ちゃん
が畑でお喋りする姿も見掛けた。


集落のはずれに思いがけず立派な神社!
名を「根子上諏訪神社」という。


こんな山中の神社にしては、破風に随分手の込んだ鶴の彫刻が見える。


堂内に入って見上げると元々茅葺だった屋根に鋼鈑を被せたことが分かる。


奥には五つの祭神。
「建御名方命」、「菅原道真」「五男三女命」、「大己貴命」、「根子弾正」
とある。
根子弾正・・・何者?根子地区の由来と関係あるのだろうか?


堂内を見渡すとその根子弾正之助に関する資料が額に入って飾られていた。
それによれば、富士川筋河内出身の根子弾正之助は天正七(1579)年に武田の命
により越後に出向き、長尾景勝の家臣となったが甲斐に戻り、反木川筋において
かなりの勢力を持ち、流域の一帯を掌握していたらしい。
弾正之助は、この地で岩を深く掘ってその岩の内に本殿を造り、根(子)の神を
氏神として勧請した。その洞穴には弾正之助が奉納したという武具もあり、そばに
は同人の墓もあるという。
弾正之助は、はるか川下の部落である古関の馬場の神杜の創建もしており、流域の
各部落に建つ神社等の修築に、其のほとんどが弾正之助、若しくはその末孫と思わ
れる者が根深く関係をしている。
とのことで、かねてより興味をもっていた根子地区の名の由来は、この根子弾正之
介及び根子氏に因むものと知ることが出来た。


また、本社の由緒書きによれば、創建時期は不明ながら嘉永4年(1851年)と
明治13年の2度社殿の改築がなされたとあり、弾正之介が洞穴に建てた本殿とは
別のものであろう。
珍しく鳥が描かれた漆喰壁は、いずれの改築によるものだろう?


諏訪神社で時間を喰ってしまった。
先を急ぐと1kmほどで、立派な石垣の斜面に豪壮な屋敷が建っていた。
手入れはされているようだが、暮らしてはいないようだ「


倉の軒先にスズメ蜂の巣が連なっているのが見えた。


なんと、もう一つの倉にさらに巨大な巣が・・・何度もスズメ蜂の巣はみたことが
あるがこれは凄い!!


屋敷の下の道には、道祖神。


寛政・・・とは読めるが、年数は?


すぐそばには、川の水を引いた大きな池。
近づくと餌を欲しいのか、鯉たちが寄ってくる。


川を遡るにつれて気温が下がる。
日の当たらない田んぼでは、まだ一日中氷が融けない。


「折門・八坂」地区の手前に大きな「御内八海道供養」の石碑。
江戸時代末期に盛んであった冨士講の巡礼者は、富士五湖に加えて四尾連湖、
明見湖、泉水湖を加えた八海において身を清め富士の頂を目指したと言う。
しかし、志半ばで受難した者も少なくなく、そうした巡礼者の供養の為に建立
されたこの石碑は、富士講の衰退にともなって路傍の石として土砂を被り忘れ
去られていた。
それが平成になって、偶然、土木作業中に発見されて同地に再建されたもの。
富士五湖はもちろん四尾連湖も何回か訪れたことはあるが、明見湖、泉水湖は
知らない。また、宿題が増えた・・・。


「折門・八坂」地区に近づくと罠猟の注意書きが随所に見られるようになる。
山から下りてくる獣道に括り罠が仕掛けられている。


そして「折門」地区の「沢」集落。
生活の気配はあるが、人影は無し。


留守番の甲斐犬には、盛大に吠えられた。


渓にルアーを振る釣り師が。
「どう?」と声を掛けると、「小さいアマゴが少しだけ」と応えてくれた。


やがて川は二又。
反木川を左に分け右の「三ツ沢」への支線にはいる。


道の傾斜が増したとたんに熊注意!!の看板が増える。
雰囲気的には、いつどこから出てきても不思議じゃない・・・。


とてもじゃないが走れない急坂を歩くこと30分、ようやく「八坂」地区「三ツ沢」
集落の入口に到着。
集落を守るかのように立っている道祖神にご挨拶。


とうとう来れた、ここが「折門、八坂」地区最奥の集落のひとつ「三ツ沢」集落。


最初の家には、獣避けだろうか、軒先に光る風鈴のようなものが沢山吊るして
ある。冬は甲府で暮らし、春から秋まではここで暮らすご夫婦がいるらしいが
その方の住居だろうか?


火の見櫓が無くても一目で全集落が見えるんだけど・・・?


その他の家々は、もう空き家となってかなりの時間が経過しているようだ。


村はずれから少し山に上がったところにある「八坂金山神社」へ向かう。
落ち葉の積もった山路そのものといった風情の参道を10分ほど登る。


ようやく現れた本殿は、何の趣きも無いトタン葺き・・・。


引き戸には錠前が掛けてあったが、施錠はされていなかったので少しだけ開けて
お参りだけさせて貰う。
実は、「三ツ沢集落」は、この付近一体の集落では最古参と成る平安時代に形成されたと言われるが、歴史を伝える記録として残るのは、戦国の世にこの地へ逃げ延
びて生活していた武士がいたという1573年(天亀3年)あたりからで、現住の
三ツ沢民と移住の武士が一緒に成ってから「三ツ沢」の歴史が史跡に残る様に
なったという。
そして、現住民は製炭、移住民は刀鍛冶と言うそれぞれの産業をこの地で行なって
おり、その刀鍛冶が彫ったと言われる彫刻像達が貴重な歴史的資料として八坂金山神社に奉納されている。
こんな、にわか勉強をしてきていたのでその彫刻象を一目だけでも拝めたらと、密かに期待していたのだが・・・残念。


今にも向こうから丁髷の樵でも歩いてきそうな道。


集落を囲む林の中には雪が残り、梅の蕾もまだまだ硬い・・・。
耳を凝らせば千年もの昔からこの地に住んだ人々の息遣いが聞こえてくるようだ。


「三ツ沢」集落を後にして、急な坂をくだる。
・・・と、林道脇に物置替わりに放置された三菱車!!
4WDのマークもある、1990年頃のミニキャブバンU19T/19V型のようだ。
これも歴史的遺物?


いつものように、人の営みの儚さに胸が締め付けられるような思いの帰り道。
「中河原」集落まで戻ってくると、集落を見下ろす山腹にお墓が見えた。
墓参りにいくのも大変な場所だとは思うが、ご先祖様が集落を見守る最適地として
選ばれた場所なのだろう。


「折門・八坂」地区には、まだ山の上に残る集落がある。
また、次回だ。


Posted at 2022/03/10 22:00:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記

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