春一番が吹き抜けた昨日に比べ、嘘のように穏やかな天気となった今日、もう
何度か訪れている山梨県早川町の赤沢集落へ向かった。
地誌に基づいて、改めてこの集落についておさらい。
「早川町赤沢は山梨県西部、日蓮宗総本山で知られる身延山久遠寺の裏側に
あたるところに位置している。標高は400m位で、春木川を挟んで七面山
(標高1983m)を望み、東の身延山(標高1148m)の山麓傾斜の緩い台地上
にある。
江戸時代の中頃には、信仰を理由にした旅行が急に盛んとなり信仰にかこつけて
の物見遊山が始まった。
富士講は富士登山、身延講は久遠寺参りと身延山・七面山登山、伊勢講は皇大神宮
参詣など、白装束に桧笠、手っ甲、脚絆、草鞋履き姿の大勢が旅をした。
山岳信仰の霊場であった七面山は、江戸を中心に組織された身延講の発達とともに
七面山への参詣が身延山参詣とセットで行われるようになり、身延山久遠寺に詣でた人々は身延山山頂の奥の院を経て、春木川を渡り七面山山頂に達した。
身延山から春木川に下る直前の山腹にしがみついた唯一の宿場である赤沢は、山岳
霊場身延山(1152m)から七面山(1982m)へ登る唯一の道筋の宿場町として
開けた。
最盛期の一日当たりの宿泊客は千人、食事をとる客は五千人と推定されるが、講中
組織が解体し、自動車道が早川沿い整備されて、参詣客が赤沢を通ることなく七面
山登山口へ直行できるようになると衰退の一途を辿った。
集落は上村と下村に分かれ、上村には日蓮宗の妙福寺をはじめ恵比須屋、玉屋、
両国屋、大黒屋、萬屋、喜久屋、信濃屋などが身延往還道という3m足らずの
石畳の急坂道に沿って並び、下村は比較的勾配が緩やかで、そこに清水屋、そして
赤沢の草分けといわれる大阪屋、江戸屋などが今も残る。」
この身延往還道を赤沢から身延山まで逆に辿って往復するのが、今日の計画。
ピーンと張りつめた朝の冷気の中、車を置いた下村から急な石畳を踏んで上村へ
上がっていく。
集落のはずれに大正13年に七面山に向かう道中に赤沢に投宿した若山牧水の
歌碑がある。
「雨をもよほす雲より落つる青き日ざし山にさしゐて水恋鳥の声」
ま、この季節、水恋鳥は鳴くまい・・・。
すこし行くと道は二筋に分かれる。
身延山へは左手の道に入るのだが、徒歩以外の通行は禁止されている。
地図では、山道を表す破線で示されているこの道。
実際は、コンクリート舗装の林道で「古道」と呼ぶには、いささか風情に欠ける。
急な九十九折れを小一時間登ると宗説坊という宿坊がある。
背後に南アルプスの笊ケ岳を望む素晴らしいロケーションだが、現在は廃屋で
獣の棲みかと成り果てている。
今も残る「講中札」、いつの頃の物だろう?
高度が上がると身延往還道は、落葉樹林の中をいく。
相変わらず舗装は続くが、この辺りには古道の雰囲気が漂う。
振り返れば、南アルプスの白峰三山。
先を仰げば、目指す身延山が見えて来た。
そんな尾根の乗越ポイントに日蓮大聖人の高弟である六老僧の一人、日朗上人に
よって1297年に開山された十萬部寺という古刹がある。
現在、常駐の住職はいないが定期的な保全はなされているようだ。
向かい合わせで対になったお堂には、日蓮大聖人と鎮守神「妙法両大善神」が
祀られている。
十萬部寺を過ぎると路傍に野仏があったり
斜面の崩壊があったりと味わい深い?道となる。
荒れた道の終点には、いまも身延山の僧侶が管理する感井坊がある。
久遠寺側からジムニーに乗って上がってきた若い僧侶が、ちょうど今日の御勤め
を始めたところだった。
一休みさせて頂いたあと、僕達もお詣りさせて頂く。
そして、奥の院へ続く整備された林道をさらに2kmほどすすむとロープウェイの
駅に着く。
赤沢宿から約3時間、およそ8kmの道程だった。
ロープウェイは、ゴンドラのリニューアルとのことで2月下旬まで運休だった。
参詣客は一人もおらず、数人の工事関係者が作業をしているだけだった。
山頂には、4カ所の展望台があり、
南方には富士川、波木井川の流れ
西には、七面山
北側展望台からは、南アルプス北部
南アルプス南部
さらに甲府盆地と八ヶ岳、秩父山系までが手に取るように望めた。
そして、日蓮大聖人が、この山頂から故郷の房州の方向を向いて親を慕い、
思いをはせたことから「思親閣」と呼ばれる境内に入る。
日蓮大聖人お手植えの大杉が聳える階段を
仁王門へ向かって登る。
門をくぐった先、誰もいない常護堂で
お詣り・・・山神様が何を祈ったのかは、笑って教えてくれなかった。
人気のない奥の院を後にして、林道わきの暖かな場所で南アルプスを眺めながらの
贅沢なランチタイム。
右から北岳、間ノ岳、農鳥岳の3千m達。
昨秋、農鳥岳以南のあの稜線を2度も辿ったのは、随分前のことのように思える。
この遠い峰々が白く輝く絶景は、古の巡礼達の目にはどのように映ったのだろう?
帰りは、赤沢に向かってひたすら下る。
時折、軽くジョグの真似事をしたりしてみるが、山靴では走りにくい。
登ってきた時も急な坂だと思ったが、上から見下ろすとまさに九十九折れの見本
のような道だった。
朝よりも咲きのすすんだ梅まで下ると集落が見える。
石畳の隙間に美しく生えた苔達が、疲れた脚を癒してくれる♬
ようやく上村に入る。
今日は僕達も巡礼・・・。
おもてなしの冷水を頂戴。
後を仰ぎ、歩いてきた尾根に別れを告げる。
下村の清水家さんの赤い梅も開いた。
清水家さんは、今では集落唯一のカフェ。
地元産品の山葡萄と柚子のジュースと、この地方の豆餅を頂く。
ここに立ち寄るのは3年振りだろうか?
清水家さんには、以前、この集落で育ったとても気立ての良い可愛い娘さんが
いた。
今日は別の娘さんなので、尋ねてみると県内にお嫁に行ったとのことだった。
そりゃ~良かった・・・でも、少し残念。
昔懐かしい縁側での美味しいお茶。
そして、心地良い疲労感。
老人には、そろそろこんな古道散策もいいのかな?。