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U-TAN(う~たん)のブログ一覧

2022年03月19日 イイね!

芽が出た

畑に植えてある山採りのタラの木。
このところの暖かさに刺激されたか早くも”芽”を出した。
昨年の初収穫は、27日。
温暖化は確実にすすんでる?


若木の方が芽を出すのが早いようで、小さなものばかり。
でも、これぞ春の知らせ!
”なんかうれしい”なぁ・・・。


こやつも春の陽を浴びて大股開き。 ”なんかうれしそう”


戦争、天災・・・平穏って心底有難い。
Posted at 2022/03/19 22:47:42 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2022年03月09日 イイね!

山村ジョグ・・・山梨県南巨摩郡身延町根子~折門八坂

前回の終点、根子地区「蔵屋敷」集落のさらに奥、「折門・八坂地区」の最奥集落
のひとつ「三ツ沢」集落を目指す往復12kmのジョグ。


「蔵屋敷」のすぐ先の反木川河畔にシエラを置いて出発。


すぐにこの辺りで最も大きな集落である根子地区「中河原」集落。
反木川を挟む斜面に多くの家が建ち並ぶ。
過疎地区ではあるものの、今でも住んでいる家が何軒もあるし、二人のお婆ちゃん
が畑でお喋りする姿も見掛けた。


集落のはずれに思いがけず立派な神社!
名を「根子上諏訪神社」という。


こんな山中の神社にしては、破風に随分手の込んだ鶴の彫刻が見える。


堂内に入って見上げると元々茅葺だった屋根に鋼鈑を被せたことが分かる。


奥には五つの祭神。
「建御名方命」、「菅原道真」「五男三女命」、「大己貴命」、「根子弾正」
とある。
根子弾正・・・何者?根子地区の由来と関係あるのだろうか?


堂内を見渡すとその根子弾正之助に関する資料が額に入って飾られていた。
それによれば、富士川筋河内出身の根子弾正之助は天正七(1579)年に武田の命
により越後に出向き、長尾景勝の家臣となったが甲斐に戻り、反木川筋において
かなりの勢力を持ち、流域の一帯を掌握していたらしい。
弾正之助は、この地で岩を深く掘ってその岩の内に本殿を造り、根(子)の神を
氏神として勧請した。その洞穴には弾正之助が奉納したという武具もあり、そばに
は同人の墓もあるという。
弾正之助は、はるか川下の部落である古関の馬場の神杜の創建もしており、流域の
各部落に建つ神社等の修築に、其のほとんどが弾正之助、若しくはその末孫と思わ
れる者が根深く関係をしている。
とのことで、かねてより興味をもっていた根子地区の名の由来は、この根子弾正之
介及び根子氏に因むものと知ることが出来た。


また、本社の由緒書きによれば、創建時期は不明ながら嘉永4年(1851年)と
明治13年の2度社殿の改築がなされたとあり、弾正之介が洞穴に建てた本殿とは
別のものであろう。
珍しく鳥が描かれた漆喰壁は、いずれの改築によるものだろう?


諏訪神社で時間を喰ってしまった。
先を急ぐと1kmほどで、立派な石垣の斜面に豪壮な屋敷が建っていた。
手入れはされているようだが、暮らしてはいないようだ「


倉の軒先にスズメ蜂の巣が連なっているのが見えた。


なんと、もう一つの倉にさらに巨大な巣が・・・何度もスズメ蜂の巣はみたことが
あるがこれは凄い!!


屋敷の下の道には、道祖神。


寛政・・・とは読めるが、年数は?


すぐそばには、川の水を引いた大きな池。
近づくと餌を欲しいのか、鯉たちが寄ってくる。


川を遡るにつれて気温が下がる。
日の当たらない田んぼでは、まだ一日中氷が融けない。


「折門・八坂」地区の手前に大きな「御内八海道供養」の石碑。
江戸時代末期に盛んであった冨士講の巡礼者は、富士五湖に加えて四尾連湖、
明見湖、泉水湖を加えた八海において身を清め富士の頂を目指したと言う。
しかし、志半ばで受難した者も少なくなく、そうした巡礼者の供養の為に建立
されたこの石碑は、富士講の衰退にともなって路傍の石として土砂を被り忘れ
去られていた。
それが平成になって、偶然、土木作業中に発見されて同地に再建されたもの。
富士五湖はもちろん四尾連湖も何回か訪れたことはあるが、明見湖、泉水湖は
知らない。また、宿題が増えた・・・。


「折門・八坂」地区に近づくと罠猟の注意書きが随所に見られるようになる。
山から下りてくる獣道に括り罠が仕掛けられている。


そして「折門」地区の「沢」集落。
生活の気配はあるが、人影は無し。


留守番の甲斐犬には、盛大に吠えられた。


渓にルアーを振る釣り師が。
「どう?」と声を掛けると、「小さいアマゴが少しだけ」と応えてくれた。


やがて川は二又。
反木川を左に分け右の「三ツ沢」への支線にはいる。


道の傾斜が増したとたんに熊注意!!の看板が増える。
雰囲気的には、いつどこから出てきても不思議じゃない・・・。


とてもじゃないが走れない急坂を歩くこと30分、ようやく「八坂」地区「三ツ沢」
集落の入口に到着。
集落を守るかのように立っている道祖神にご挨拶。


とうとう来れた、ここが「折門、八坂」地区最奥の集落のひとつ「三ツ沢」集落。


最初の家には、獣避けだろうか、軒先に光る風鈴のようなものが沢山吊るして
ある。冬は甲府で暮らし、春から秋まではここで暮らすご夫婦がいるらしいが
その方の住居だろうか?


火の見櫓が無くても一目で全集落が見えるんだけど・・・?


その他の家々は、もう空き家となってかなりの時間が経過しているようだ。


村はずれから少し山に上がったところにある「八坂金山神社」へ向かう。
落ち葉の積もった山路そのものといった風情の参道を10分ほど登る。


ようやく現れた本殿は、何の趣きも無いトタン葺き・・・。


引き戸には錠前が掛けてあったが、施錠はされていなかったので少しだけ開けて
お参りだけさせて貰う。
実は、「三ツ沢集落」は、この付近一体の集落では最古参と成る平安時代に形成されたと言われるが、歴史を伝える記録として残るのは、戦国の世にこの地へ逃げ延
びて生活していた武士がいたという1573年(天亀3年)あたりからで、現住の
三ツ沢民と移住の武士が一緒に成ってから「三ツ沢」の歴史が史跡に残る様に
なったという。
そして、現住民は製炭、移住民は刀鍛冶と言うそれぞれの産業をこの地で行なって
おり、その刀鍛冶が彫ったと言われる彫刻像達が貴重な歴史的資料として八坂金山神社に奉納されている。
こんな、にわか勉強をしてきていたのでその彫刻象を一目だけでも拝めたらと、密かに期待していたのだが・・・残念。


今にも向こうから丁髷の樵でも歩いてきそうな道。


集落を囲む林の中には雪が残り、梅の蕾もまだまだ硬い・・・。
耳を凝らせば千年もの昔からこの地に住んだ人々の息遣いが聞こえてくるようだ。


「三ツ沢」集落を後にして、急な坂をくだる。
・・・と、林道脇に物置替わりに放置された三菱車!!
4WDのマークもある、1990年頃のミニキャブバンU19T/19V型のようだ。
これも歴史的遺物?


いつものように、人の営みの儚さに胸が締め付けられるような思いの帰り道。
「中河原」集落まで戻ってくると、集落を見下ろす山腹にお墓が見えた。
墓参りにいくのも大変な場所だとは思うが、ご先祖様が集落を見守る最適地として
選ばれた場所なのだろう。


「折門・八坂」地区には、まだ山の上に残る集落がある。
また、次回だ。


Posted at 2022/03/10 22:00:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2022年03月06日 イイね!

山村ジョグ・・・山梨県南巨摩郡身延町根子

根子・・・「ねっこ」・・・何だかそそられる地名だが・・・。
ネットで調べても、明治22年7月1日 -に町村制の施行により、大磯小磯村、瀬戸村、
釜額村、中倉村、旧古関村ととも古関村に組み込まれたということ以外は分からない。
以前からずっと気がかりだったこの山梨県の山奥へ山村ジョグ。


出発地は、下部から本栖湖へ抜けるR300、所謂本栖道にある道の駅「しもべ」。
ここから根子地区の蔵屋敷集落までの往復。


古関でR300からK404へ。


さらにK416古関割子線へ入るとだんだんと鄙びた感じになってくる。


廃校となった「古関中学校」、いまは下部地区公民館古関分館。


昔は、どこの村にもあった火の見櫓。


バス停の時刻表を見てみる・・・一日3本。
時間からするとバスと行き会ってもいいのに?
・・・・あっ!今日は日曜日、運休だ。


青い空に真っ赤な鳥居の道祖神。
桜が咲いたところを見てみたい。


瀬戸地区へ入っていくと川向うに見事な山門が見える。


この寺院の縁起によれば、
本山は、「龍湖山方外院」と称し、貞治元年(1362年)の開山である。
当初は本栖湖のほとりにあり、山号「龍湖山」も本栖湖に由来する。
戦国時代、甲斐の武田信玄公が三河へ出陣のおり、本栖湖の付近で雷雨が激しく
なり軍を進めることができなくなった。
その際、当院の観音様に祈願したところ、たちまち雷雨が晴れ、無事に三河に
向かうことができた。信玄公はこの仏恩に感謝し、観音様を厚く保護したと伝え
られる。
その後、武田家の滅亡の混乱や本栖湖畔の村々の衰退などにより、慶長2年
(1597年)に現在の地に移された。
江戸時代には、全国的に巡礼が盛んになる中で、当院も甲斐三十三観音霊場の1つ
として人々の信仰を集めた。
当院の本堂に入って正面に掲げられているのが、身延町の文化財の「千匹絵馬」で
大きさは横19.42m、縦2.24m、その大額に千頭近い数の馬が描かれている。
由来は、江戸時代末期、近隣の住人が飢饉で苦しんでいた時、ご本尊の観音様から
「馬の霊が飢えて稲を食べてしまっているから、一匹ずつ馬を奉納しなさい」と
いうお告げがあった。
そこで千匹馬の大額を奉納して祈願したところ、翌年から豊作になったと伝えられ
ている。絵馬の記述によると奉納されたのは明治5年とのことである。


ふ~む、その「千匹絵馬」の大額、是非とも拝観させてもらいたいものだ。
仁王門をくぐって本堂に向かう。
並び立つ仁王門と鐘楼は珍しく、さらに仁王門に金シャチが載っているというのが
また不思議だという。


施錠された本堂の中は覗けなかったが、賽銭を入れようとして小さな引き戸を
開けると僅かだが「千匹馬絵馬」を見ることができた。
なるほど、なんと巨大な絵馬!・・・これだけで、今日走って来た甲斐があったと
いうものだ。


瀬戸の集落からは、空き家が目立ち始める。
昔は見事な家屋だったろうに、今では土壁が剥がれつつある。


向かう先の山の上から導水管が下りてきているのが見える。
発電用だろうか?


1kmほど進むと、導水管の下に小さな発電所があった。
日本軽金属のものだ、きっと静岡のアルミ工場に送られるのだろう。


谷が深まり、峡谷状になると対岸に巨大な一枚岩が現われた。


車道からこんな凄い岩を見れるなんて、めったに無い。
ロープがあったらちょっと登ってみたい誘惑にかられる。


再び、谷が広がるといよいよ根子地区。
夏作集落の入り口には雪だるまが「おかえりなさい」とお迎え。


夏作集落・・・良い響きの名前。その由来も知りたいものだ。
この地の諏訪神社本殿が、寛永元年(1624年)に再建されたというので、それ
よりずっと前から存在した集落だろうが、現在、人の暮らす家は、集落の1/4程度
だろうか。


ここにも火の見櫓。
倉庫の中には、厚く埃を被った消防ポンプ車があった。


走ること約5km。
目的地の蔵屋敷集落に到着。5軒ほどの家が見えるが、住んでいるのは1軒だけ。


根子地区にしては、広い田んぼ。
集落名にふさわしく、かっては米が沢山採れる裕福な集落だったのだろうか?
暖かな田んぼの畔で小休止。
まだ根子地区の入り口に到達したに過ぎないが、今日はここまで。


来る時には聞こえなかったチェーンソーの音がする。
薪を切るお爺さんと箒を持ってお手伝いの孫の姿が見えた。
これが、今日初めて見た人の姿・・・過疎の村に子供の姿、何だかホッとした。


来る時には、通らなかった日陰の対岸の道を通ると融け残った雪があった。
ここだけは気温も低く「寒村」という言葉が頭をよぎる。


下りは、楽だ。
再び峡谷の流れを愛でながら帰る。


往復約10km。
道の駅の駐車場では、今日の足「高速ライトバン」が、日向ぼっこで待っていた。

さぁ、帰ろう。また来よう。






Posted at 2022/03/07 18:46:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2022年03月05日 イイね!

世界最大の鯛焼き

朝、起きると驚きの暖かさ・・・まるで初夏のよう。
よーし、今日は走るぞ!と OPEN!!


とは言っても行く当ても無く、いつもの在来蕎麦屋でランチ。
と、突然、山神様が”鯛焼きを買いにいく”と言いだした。

やってきたのは、静岡丸子宿から少し山に入った「大鈩(おおだたら)不動尊」。
小さな流れの奥に丸子城で武田信玄の守り本尊となっていた「愛宕山大権」のお堂と
「不動明王堂」が建っており、滝の周囲には300体以上の地蔵が整然と並んでいる。
山神様によれば、この界隈では、古くから霊験あらたかなこととで有名・・・
と、婆ちゃんから聞いたらしい。


その不動尊の門前にあるのが、コレ!


薄汚い店の構えだが、それなりの風情はある?


入口には、写真入りメニュー!
サイズは16cm、26cm、そしてなんと60cmの3種だ。


60cmを石ちゃんが持つとこんな感じらしい(笑)
何でも子供のお祝い事に使われることが多いようだ・・・そりゃ、このサイズなら
文句なしにお目出鯛!


最小の16cmでも通常の鯛焼きの倍くらいに感じる。
これでもとても一人では食べ切れまいと思ったが、意外にあっさりした餡でペロリ
と完食♪


次は、同好の士を集めて60cmに挑戦してみようかネ・・・?
(60cmの焼き型)



Posted at 2022/03/05 16:54:46 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2022年03月02日 イイね!

小さい春

寒さも緩んだ朝、畑の片隅に小さな春を見つけた。


陽気に誘われて東名・新東名を繋ぐ清水ジャンクションから清水湊を見下ろす
”みかんの丘”までjogに出掛けてみた。


法面に植えられた河津桜を揺らしながら吹き抜ける薫風が心地よい♪


そして夕餉、蕗の薹と駿河湾の桜海老。
世界中に嵐が吹き荒れているけれど、今年もまた春は来る・・・。
悠久の平和を祈りつつ、小さな春と小さな幸せに感謝。




Posted at 2022/03/05 16:01:18 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「サボった日記、冬の思い出 http://cvw.jp/b/1240840/47676157/
何シテル?   04/24 23:41
U-TAN(う~たん)です。 見た目は可愛い性悪娘エリに苦労してます。 よろしくお願いします。
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