結構前のことになりますが、昔の歴史の教科書を手に入れました。古本屋とかで買ったものではないんです。そんな貴重なものをもらっていいのかと思ったのですが、あげるというのでありがたく頂戴しました。
で、しばらく無造作に見えるところに置いてあったのですが、うちの子たちが興味を持ってねえ。さとはなんとも思わなかったというか、もしかして置いてあることに気づいてなかったりして。というわけで、拾い読み程度ではありますが、ちょっとまじめに読んでみたのでした。どれくらい昔のものなのかについては、最後までお読みいただければおわかりいただけるかと。なにぶん昔のものなので文体はお堅いのですが、古文の教科書よりはずっと読みやすいです。
最初のページは、あぁ〜納得という感じの神武天皇から始まります。そしてまだ卑弥呼の存在は判明していないのか、それとも当時の歴史観を反映していることによるのかはわかりませんが完全にスルー。ちょろっと調べたところによると、新井白石の頃から邪馬台国の存在は知られていたらしいのですが、卑弥呼の存在についてはいつ頃から明らかになったのか。本居宣長の頃は神功皇后のことと解釈されていたらしいのですがね。
渤海が「入貢」してきたとする解釈はなかなか。でもこれもまた、あれこれ調べたところによると、渤海使の来航を日本側では朝貢であると判断したことを、正確に教科書の記述にしているだけのことのようです。なお渤海としては日本に朝貢しようという意図はなくて、唐に対抗するために日本と軍事同盟を結びたかったらしい。しかし日本は朝貢しに来たと解釈したため、持参された品物の数倍の価値の品物を持たせて返していたものの、それが日本側にとっては結構な負担にもなっており、来航回数に制限をかけようともしたらしいと。へぇ〜。
文治元年(1845年)って、誤植かと思ったのですが、その後もずっとその調子。と思ったらこれ、西暦じゃなくて
皇紀ですね。さすが戦前の教科書。別のところでは「西暦+660年で皇紀が出せる」とか、「日本人として知っておきたい素養のひとつ」とか書いてありましたが・・・。日本史好きなら知っておきたい素養のひとつってところじゃないのかなぁ。鎌倉幕府の成立年が1185年っぽい解釈をしているところはなかなか。いつの間に、今では疑問視されている1192年説が定着するに至ったのかと思うとなかなか興味深いです。
このへんの人たちは、今も昔も変わらない感じがしますね。つまり、さかのぼっていくと結局は同じものにたどり着くってことだ。まぁ最近では、
左端の人は武田信玄ではないという説も出てきてますけどね。
基本的に大枠は現代のものとほとんど変わらないなぁ。神武天皇から始まるとか、卑弥呼がいないとか、それ以外にもっと今との違いはないのかと。意外と足利尊氏に対する記述もそんなに今と変わらなくて拍子抜けしたくらい。と思ったら、こういうページを見つけました。貨幣経済の進展に対して、お金を集めればいいんだと考えた田沼意次に対しては近年結構再評価されていると思うし、個人的には数十年先の時代を見ていた政治家だと思っている。ほかの政治家たちは、お金が必要だってわかっていたのに、昔ながらの米を集める方法に固執してたわけだからね。
最後のページです。というわけでだいたい今から100年くらい前の教科書だったのでした。しかしこの、前途洋々とした締めくくりは、この後どうなっていくのかを知っている者としてはなんともいえない複雑な気分にさせられます。明るい未来を提示することで、その逆の、暗い未来のフラグを立てているという感じでしょうか。
ちなみにさとの話がなにげに印象的でした。「こういうものを丸暗記するだけで、ある程度通用した時代があったってことだよね」と。そういえばわたしがまだ生徒だった頃は、教科書を読んでるだけとか、教科書の内容を言ってるだけの授業って普通にあったなぁと。もちろんそうではない授業もまた、普通にあったけれど、それでも教科書を持ち込めればかなりいい点数を取れるようなテストだった。そうねぇ、今だったら、あえてこの教科書の最後のページを削除した上で、「どんな記述でこの教科書を終わらせますか?」ってのがおもしろいかも。今から100年くらい前、第一次世界大戦が終わって、のちの昭和天皇が大正天皇の摂政となった頃までの日本の歴史を、どう評価しますかってことなんだよね。それって今の教科書でも同じことを考えたり、書いたりできそう。2030年の歴史の教科書の最後はどんな文章になってる?ってのも、おもしろいような恐ろしいような。
Posted at 2023/05/10 16:57:11 | |
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