今日の朝、
娘(二十歳)が、自分でバイトして稼いだお金で成田から留学に出発しました~!
と、いうことで、みんカラしく、モータースポーツ関連で、
娘の「初 ○✕△。。」関連の写真を まとめてみました。
最初はちっちゃかった娘ですが、
バイクでは小学5年生で 僕を打ち負かしたX-dayを経て
大学生になって、かなりバイトしまくってましたが、
飛行機、留学費用も 全部自分で稼いだ費用で留学行くまでになりました。
ま、この 一人旅でも、 更に大きくなるでしょう。
【誕生: ゼロ歳】
車好きはワイフもですが、この車は 僕の車ではなく、ワイフの車です。
ワイフも車好きですので、自分のお金で この車を作ってもらったりしていました。
そういった家庭に生まれた娘です。
【3歳: アリゾナ州で 初 ジェットスキー 世界選手権観戦】
ヤマハワークスのチームと
【4歳:初 サーキット スポーツ走行】助手席ですが、、、
【4歳 初バイク 】
ここから 彼女自身のモータースポーツの関わりは始まった!
↓5歳~15歳までの10年のバイクまとめ動画
↓
Do you have a Yamaha !?
http://ksoffice-jp.com/movie/doyouhaveayamaha.mp4
【5歳:初骨折】
ま、こういったSPORTすると、骨折はつきものです。
合計、3回骨折しましたが、
ま、モトクロスする連中の中では、3回でも、まだ少ない方です。
モトクロス。。。 それはノリと勢いで ジャンプが出来るスポーツではありません。
「絶対に安全に着地出来る自信」がないと、
たとえ50cmの段差でも バイクで ポンと飛び降りることさえ出来ません。
もし、疑うなら、
自転車で 20cmの段差を上から勢い付けてポンと降りてみてください。
実際、やってみると、たった20cmの段差を飛び降りるだけで、足がすくみますよ!!
なので、「安全に着地出来る自信」を得るためには、何回も、そして1cmずつジャンプをまして、確信を持つだけの練習が必要です。
小学生の最後には彼女は13m(車3台分)を飛び越せるようになりましたが、
2連ジャンプの視覚的恐怖感に打ち勝てず、中学生の内に16mを飛び越すことが出来ませんでした。
モトクロスには中学生→高校生に上がる時に一つの関門があります。
「男子は21m,女子は16mが飛び越せないと、
高校生以上は(MFJ)レースを続けるべきではない」ということです。
これがジュニアからシニアに上がる暗黙のルールです。
高校生になると、自動的にシニアクラスに上がってしまいます。
レースは「見せて、お客を呼べてナンボ」の世界です。
モトクロスで3連ジャンプ、あるいは弘楽園のコースにあるラムソンジャンプは21mに設定されています。
これを(男子は)1ジャンプ(21m:車5台分)で飛び越えないと、後ろからジャンプする人が頭の上から降りてくることになります。
(実際に飛べなかった人の上に降りてきて、死亡事故も有りました)
女性は2連ジャンプは16m。これが飛べないと危険。。となります。
よって、残念ながら、我が家の娘は高校生になってMFJレース(公式レース)は あきらめましたが、モトクロス自体は 細く長く続けています。
【5歳:初 ロシアの潜水艦 】
ロシアの潜水艦 スコーピオン号の魚雷室で。
【6歳:フルサイズ50ccモトクロッサーで初モトクロスレース】
【7歳:初ユンボ】
自分達で走る キッズ用のモトクロスコースの整備で。。。
【7歳:初 モトクロス全日本選手権】
↓僕が娘と一緒に写っている写真で一番のお気に入りです。
レース後の娘にドリンクを手渡している写真
【7歳: 初 モタードで ロードレース参戦】
乗り方は昔のエディー・ローソンみたいに素直なリーンウィズです。
でも、モトクロスをずっとしてたのに、
サーキットを走ると自然にハングオンになります。
【 9歳: ジェットスキー 初レース 出場】
【 9歳:モトクロス日本グランプリ】
モトクロス全日本選手権では、男女の区別がなく、
年間ポイントランキングで、最終の日本グランプリで
出場枠40人の中で、女の子では唯一 娘だけが出場権を得ました。
【 9歳:サーキット】
【10歳:初 ドラッグレース】
【 10歳:USA アリゾナ ジェットスキー世界選手権】
イギリスから世界選手権ジュニアクラスに参加した10歳のボーイズと。
【11歳:アイスホッケー ジュニアチーム入部】
【 11歳:モトクロス全国大会 広島大会】
↑ここまでジャンプ出来るように乗れてくると、とうとう僕をラップタイムで打ち負かしました。
上の写真は広島で行われるモトクロス全国大会に久々に娘がエントリーするので、事前に同じコース(グリーンパーク弘楽園)に練習に行った時の写真です。
今まではks(私)でもまだまだ娘を余裕で押さえ込めてましたが、今回はあわてました。
娘は午前中はいつもの調子で、ボチボチ走ってますが、コースを覚えるに従い、だんだんペースアップ!
午後にはとうとうボクのペースを超えたスーパーラップを見せました。
娘の集中力が続いたのはたった2周で、その後はペースが元に戻ったのですが、それでも、“パパはやられたぜ~~!”と実感しました。
追いつこうと思ったフープスでは、ボクの方が振られて、コースアウトしそうになりました。
とうとう娘の時代が来たのですね。 ついに親父が抜かれたX-dayを迎えました。
でも、速いだけではダメなのだよ。 娘よ、目指せ“峰不二子だ!
広島から帰った後、家で娘と一緒にお風呂に入りながら トクトクと説教しました。
“本当~に速くなったな。 パパはびっくりしたぞ!
でも、いいか、セリカ。
女の子は 速いだけじゃダメなんだ。
レディースのライダーがいたろう? あのお姉さん、すごく速かっただろう。
ジュニアの兄ちゃん達をばんばん抜かしていただろう。
でもそれだけじゃ無いんだ。
走って無い間は暑いので、休むたびに服(ジャージもモトパンも)を脱いでいたろう。
車の中で隠れて脱がないで、車の外で脱いでていたろう?。
でも 脱ぐ途中や脱いだ後でも見られてセクシーに見えるように、シャープなスパッツをはいているだろう。
女の子はそういうところが大事なんだよ。
それに速いけど、優しそうな顔をしていただろう?
実力がある女の人は逆にギスギスしなくて、とっても優しいんだよ。
実力が無い女の人ほど、ギスギスして肩肘はって、自分を大きく見せようとするだよ。
セリカもそういうところを見習いなさいよ。
セリカは服を脱いでセクシーに見えるように、MXジャージの下にはビキニを着ていなさいよ。
そういうのがちらっとみせるのがセクシーなんだよ“
ウチの娘も、前から“目指せ!峰不二子!”と教育しているので、
本人は本当に峰不二子を目指してます。
胸はまだ無いけど、ビキニの用意は出来てます。 大人用のビキニを買って、ママにミシンをいれてもらって、子供用に作り直してもらいました。
娘よ! 目指せ峰不二子! (やっつけられた親父より)
モトクロスでやっつけられたので、老いぼれていたボクも、これでバイクを降りる決心がつきました。
ここから先はボク自身は娘のメカニックとしてレースを回りました。
【13歳:モトクロッサーのメンテナンスも自力で】
練習後毎回、エアフィルターを外して、灯油で洗って基礎メンテナンスは娘が行います。
【13歳:モトクロス 全日本選手権 関東大会】
【15歳 2011 東北大震災】
震災直後、家族で宮城県南三陸町志津川小学校の避難所の体育館にボランティアに行きました。
事前にTwitterで「水道無く、お風呂が入れない」という情報があったので
知り合いからドラム缶をもらってきて、
娘と一緒に現地で使うドラム缶風呂をサンダーで切って作ったり、
ドラム缶風呂用の水は避難所の小学校のプールに溜まっている水を利用出来るように、溜まり水の浄化装置はボクが作り、殺菌薬剤を用意しました。
ガイガーカウンターはベラルーシ共和国から、
放射性ヨウ素131を体に取り込ませない様にする安定ヨウ素剤、体内から放射性セシウム137を除去する
プルシアンブルーなどをUSAから取り寄せました。
実は福島第一原発の水素爆発の翌日には、もう政府から、全ての薬品会社や、オンラインショップの薬品並行輸入会社へ
「安定化ヨウ素剤は 福島に回せ!」の通達が出ており、
個人ベースでは入手できなかったので、直接USAやガイガーカウンターはベラルーシ共和国(チェルノブイリの隣の国で、日本の国土の50%に総統する面積が放射線管理区域の国なので、ガイガーカウンター在庫が豊富)から 個人ベースで発注しました。
福生警察署からは民間人としては初めて「緊急車両通行許可証」を認可され、
当時は自衛隊と医療従事者しか通れない東北自動車道を通って、事前に作ったドラム缶風呂、医薬品、ガソリン、発電機2台などなど、トレーラーに満載してボランティアに向かいました。
途中、高速道路上でも、車内のガイガーカウンターは警報を出す始末。
ニュースにはなかっかけど、東北自動車道まで放射性物質は流れていたようです。
出発前に未成年の女性である娘に安定ヨウ素剤を飲ませてから出発して良かったです。
娘もボランティアとして参加。
避難所は200人。水、電気はなく、唯一発電機1台のみ。
学校も再開できず、時間を持て余した子どもたちと、
学校に残っていた習字道具と、
半紙はなかったので、支給物資のダンボール箱を割いて
習字大会などをして、子どもたちと遊んでいました。
それもまた、一つのボランディアです。
「生きる!」とズバリ書いた娘のダンボールの習字。。。
これは 我が家の記憶として このダンボールは持ち帰っています。
ボクはボクで、事前にTwitterで「自動車どころか、自転車さえ瓦礫を踏んでパンクしまくって、使える自転車が無い!」という情報があったので、
バイク仲間にメールで配信して、たくさんの自転車パンク修理キットをもらって持ち込みました。
現地では ず~っと皆さんがあきらめていた自転車のパンクを修理していました。ほとんど、現地では自転車屋さんになっていました。↓
そうしていると、何キロも離れた避難所から、
「この避難所には自転車屋さんがいる」という噂がながれて、
遠くの避難所から自転車を延々と押してきた人も出始めました。
びっくりしたのは、この避難所管理者さんから、
「実は、ある企業から、支援物資として、新品の自転車が10台、箱詰めで送られてきたが、組み立てる工具が無いので、箱に入ったまま、倉庫の角に埋もれている」という告白が!!
企業も、ど~んと大盤振る舞いで送ってくれたのですが、
現地では組み立てる工具も無く、組み立てられる人もいないので、忘れ去られていた様です。
当然、全部組み立てて、分配は 避難所の管理者様に授けました。
実は、ボランティアに行くかどうかは家族会議でもめました。
・放射能はどうなっているかわからない。
・高速道路は未開通
・東京だって、ガソリンスタンドに4時間並ばないと給油出来ない。
私達がなぜ行かないとダメなの?募金じゃダメなの?
という議論の中で、
娘は「行きたい!」の一言だけの発言です。
この発言に後押しされて、全ての行動が始まりました。
これらの経験は 娘の人格形成にも 大きく関わったと思います。
【 15歳:初F1観戦 マレーシア セパンサーキット】
スペシャルチケットで、ピット中まで入れるので、ワイフと娘は一緒にロータスのリヤタイヤで休憩中。
味気ないタイヤウォーマーでタイヤを温めるより、
女性のお尻の方が、フォーミュラーカーも スライドが収まると思います!!o(*⌒O⌒)b
【16歳:アナハイムでモンスターガールズさんと、、】
【16歳:初 インドア スカイダイビング】
カリフォルニア州 i-Fly
【 16歳:初 サバゲー】
【18歳:初の車の運転】
娘の初の運転は、私の前車(三菱デリカ)で、
半身が不自由なおばあちゃんを車椅子を積み込んで、近くのショッピングモールに連れて行ってあげたことが娘の初運転でした!
おばあちゃんも 孫の運転でショッピングモールに連れて行ってもらって、うれしそうでした!
o(*⌒O⌒)b
【19歳:大型バイク デビュー】
大型2輪免許は高校生の時に取った娘ですが、
実際に乗ったのは 19歳になってからです。
YZF-R1でバヒューンとバイトに出撃です!
【20歳: 初 CX-5運転デビュー】
娘の運転で CX-5で中央高速通って、表参道のアップルストアまで行きました~!
娘は小さい頃から色々X-Sports系をやってきましたが、
その娘をサポートすることで、
我が夫婦も成長させていただきました!
今日から、一ヶ月間、自分でアルバイトで稼いだお金で、
フィリピンへ短期留学です。
大学入学する前に
娘にはA4の用紙2枚ににびっしり色々条件出していました。
・携帯代は自分で払え!
・通学費は1万円/月を超える分は自分で払え!
(交通費を節約する手段は自分で考えろ)
・(外語系の学科だったので)留学するなら、自分で払え!
その他、諸々 A4用紙2枚にびっしり条件は出していましたが、
あの野郎(野郎じゃないですが)
ホントに全部実現させています。
娘ながら 良くやっています。
今回、海外で完全一人暮らし ! 頑張ってくれ!