ま、朝から出かけて、都内の各所を周り、最後は お台場で
クリスマス・花火を高台から鑑賞して、
また、都心のイルミネーションの各所を回りながら、帰ってきました。
いつもの様に、K's一家が出かけるときには、CX-5には自転車を2台積み込んで、
○車で行きやすいところ
○自転車で行きやすいところ
をハイブリッドに回っていきます。
朝、自転車を2台積み込み、出発です。 まず、車は皇居に近い北の丸第2駐車場(8:30~22:00利用可能)に駐車し、
自転車で東京駅に向かい、自転車は大丸前に置き東京駅周りを散策します。
東京駅に戻り、八重洲ブックセンターに 専門書を探しに行きました~!
今回は 八重洲ブックセンターに海外移住や国際結婚関係の書籍を探す!と
いう目的もあったのです。
前は 「海外のマニアックな情報冊子」は地下1階のエスカレーターの裏にあったのですが、
行ってみると無くなっていて、店員に聞いてみると、1階の外苑通り側に移動していました。
探したのは、「海外移住関係」の本。
↑これに関しては、第2部でツラツラ、書きつづります。
サラリーマンの街、新橋へJR山の手線で移動し、
ニュー新橋ビルの裏のラーメン屋さんで豚骨ラーメンを食べます。
K's(ケイズ)は豚骨ラーメンが大好きです \(^o^)/
「替え玉」って、「Noodle refill」て、いうのね!! 店内表示に フムフム! ↓
新橋駅の反対側の汐留方向に徒歩で回り込みます。
↑中では 新橋~横浜の日本最初の鉄道を作った歴史がビデオで上映されていて、 最初、江戸の薩摩藩の滞在地を鉄道を通したかったが、西郷隆盛のいる薩摩藩の屋敷などを用地買収できなかったので、品川の沖合を埋め立てて、堤を作ってその上を鉄道を引いた歴史などが説明され、
ワイフと「鉄道のため、海上を埋めたてて線路を作るって、すごいね~!」っと感心しながらビデオを見ました。
新橋から汐留に徒歩で移動し、日テレに向かいます。
この日は 元巨人の宮本選手がジャイアンツのコーチに復帰するための最後の日テレの日だったので、 もしかして、宮本選手に会えないかな~とも思いながら、日テレをぶらぶら。。
(宮本選手には会えず。。。)
「イッテQ!」のイモトの蝋人形の横を通過し、↓
いろいろ展示を見て、
もう終わっちゃいましたが、「今日から俺は」の三橋のカバンを見て
↑このドラマって、単純でしたが、面白いドラマでした。
JRで一度東京駅に戻り、自転車に乗って皇居周りのランナーを見ながら駐車場に戻ります。
↑皇居のお堀の石造りも綺麗ですね~!
ちょうど皇居では 最後の平成天皇誕生日の準備中でした。
駐車場に戻り、車で 今日の花火スポットのお台場を目指して移動します。
移動します。 移動します。 い、移動しているときに、前を走るのは
お台場の夜の花火までは時間の余裕があるので、
マリオカートの追跡!に予定を変更です!
どこでスタートしているか 追いかけて、
次回、海外からのお客様に 日本の体験としてお連れしたいと思っていたので
追跡開始です。
お~! レインボーブリッジも走っていきます! ↓
↑ お!、このコースは過去にK'sがプロ・カメラマンに撮ってもらったレインボーブリッジのコースと同じです。↓
マリオカートの横に並んで も ワイフに助手席からマリオカートを並走写真を撮ってもらいましたけど、
ワイフが並走写真を撮ると、こんな感じ!! ↓
↑ワイフが並走で撮るとブレブレで 写真になりません。
やっぱ、プロ・カメラマンはすごいのね!!
かなり長時間、マリオカートを追跡しましたが、とうとう六本木で 信号に捕まり、
マリオカートの1団とはぐれてしまいました。
仕方なく、諦めて、お台場に向かいます。
お台場には「お台場海浜公園北口駐車場」(24h)に車を駐めます。
この駐車場は、自転車(台車に載せる必要有り)や徒歩で、
レインボーブリッジの遊歩道の入り口も兼ねています。
もう一つおすすめなのがお台場会場の道の反対側に
「潮風南駐車場」 24h
があります。
駐車場奥が公園に隣接していて、トイレがあります。
ご参考に!!
駐車場に車を駐め、また自転車でDiverCityに向かいます。
↑MegaWeb横の観覧車も、プロジェクション・マッピングで綺麗にライトアップされています
【ユニコーン・ガンダム】
前より、 LED照明の輝度が上がってる気がします。↓
↑全体がGoldに光って、とっても綺麗です! さっき、マリオカートを追いかけて通ったレインボーブリッジも綺麗です!↓
↑花火の時間が近づくと、屋形船もたくさん出てきます!!
東京タワーの方向にキレイに見えてます! 最高~~!\(^o^)/
花火は結構派手に打ち上がります!
花火が終わると、今度はCX-5で あちこちのイルミネーションを徘徊します!
【銀座】
丸の内 (21時以降は歩行者天国も解除されます)
↑表参道を通過してから 家に向かいました~!\(^o^)/
**** 第2部 ******
さてさて、ここからは いつものK's流のくどいブログです。
一般の方は ここまでで 終了をお願いいたします。
ここから先は いつもの くどいK'sのブログをご容認の方のみ
お進みくださいm(_ _)m
**************
さて、今回の東京都心のドライブの目的は2つあり、
一つは
○八重洲ブックセンターで 海外移住の専門書を探すこと
もう一つは
○お台場でのクリスマス・花火を見ること
でした。
↑最近、ちょっと、老後としての海外移住を考え始めてます。老後の海外移住を新たに考えなければならなくなった理由を綴ります。
すでに、K's(ケイズ)は老人の域に入ってます。
一応、手に職をつけて、一人娘には迷惑をかけることなく、
老後を夫婦ふたりで余生を 過ごしていける。。と
漠然と思える経済のベースは作ったつもりではいます。
一人娘に”ほとんど”迷惑かけないで老夫婦二人で経済的にも自立できる環境を作ったとは言え、
娘に国際結婚の可能性が出て来ました。。。
そうなると、将来、体が不自由になった夫婦二人だけで老後を暮らすために、
「マレーシアで メイドを雇った老後生活」が アイデアの一つとして湧き上がりました。
現在、娘は大学を1年休学し、オーストラリアに渡り、
オーストラリア内で働いたお金で自給自足して暮らしています。
その娘から、一月前に LINEで連絡があり、
「今晩、彼氏がパパにLINE電話で話したいことがあるので、
自宅で待機していてほしい」
と連絡がありました。
父親としては オーストラリア人の彼氏が私に話したいという内容はピンと来ました。
その夜、その彼氏からLINE電話があり、英語で会話をしました。
彼に返答した詳細内容は当ブログでは伏せますが、
否定的な回答ではありません。
と、いうのも
現地でたまたま知り合った恋ではなく、実は、数年まえから Facebookを通じて
彼は娘と交流していました。
このオーストラリア人の彼は 僕としても、 もう数年前から知っていて
数年前(娘がまだ日本にいる頃)に日本の我が家にも訪れたことがあります。↓
私が彼氏に肯定的なのは、
ただ単に、うわついた
「ワーキングホリデーの海外で知り合ったゆきずりの恋」では無いことを知っていることが一つ。
そして、彼の人間性として
○若いので、金は無いことは知っている。(これは俺だって同じこと)
○しかし、オーストラリアのダンス大会で優勝するなど、バイタリティーも知っている
○ダンスでは 独りよがりにならず、英語学校の留学生のためのダンスの講師などに入り、
第三者に対してのOpenな包容力があることも知っている。
上のことがあり、彼が僕にかけてきたLINE電話には否定的な回答はぜず、
逆に条件付きで 肯定的な回答をして 話しを終えました。
だいぶ前にさかのぼりますが、
娘が高校生の後半で海外に漠然と興味を持ち始めた時、
僕は高校生の娘にはこう言いました。
*************
将来、海外での仕事を考えるなら、海外への人脈も今から自分で作ること。
まずは自分のFacebookの投稿は、日本語の文章の後に、英語でも同じ文章を書いて、
英語圏の世界の人々からいいね!をもらい、英語圏のfacebookフレンドを作ること。
**************
キチンと娘は高3の時からfacebookで英語併記で記事をアップし続け、
海外のfacebook友達も増えました。
その中の一人が 今回の電話の彼氏です。
しかし、彼と娘が仮に結婚するとして、
今まで、老後には娘には迷惑かけ無いと思っていながら、
現実には、本当に自分の体が動かなくなると、
やっぱり誰かの介助が常に必要となるのが現実!
娘は海外に行ってしまうと、生活の補助をする親しい肉親は日本には皆無となります。
そこで我々老夫婦の生活は 「海外に移住し、メイドに頼る」という手段が浮かんで来ました。
海外移住で 割と有名な外国地の候補の一つに
マレーシア があります。
マレーシアでは 特にジョホール・バルでは
国策としてマレーシア第2の都市ジョホールバルが大々的な再開発を受けています。 また、マレーシアでは【メイド】という職業が一般的に存在しており、
実は僕も 過去に その存在を体験したことがあります。
もう、30年近く前になりますが、
僕は海外のいくつかの国で
【飛び込みで レースメカニックをする武者修行】にトライしました。
こう書くと、かっこよく聞こえますが、決して成功したとは言えません。
でも、やってみたのです。
大型の車輪付きの工具箱を一つ海外に持っていき、
まずは自分を売り込むのに、
自分のジェットスキーのレーサーとしてのテクニックととしての腕を 彼らの前で見せたり、
壊れていたマシンを彼らの眼の前で直したりして、メカニックとしての技能などの
自分の実力を見せて、彼らから拾ってもらおうとしていました。
(台湾での武者修行編)
台湾は日本以上にショップの技術力は低いので、
どのショップも修理は専業修理屋さんに任せっきりです。
現地で、そこのお店にあるジェットスキーで、
調子の悪いヤツは見てあげますよ~~と飛び込みでプロモーションです。
調子の悪いヤツは 良い圧縮、良い火花、良い混合機のエンジン3原則から見ていきます。
総合的に見るために、必要な工具は大型キャリーケースに入れてごろごろとと引いて持って行ってますが、
ま、一番簡単なのは良い圧縮で、コンプレッションゲージで計れば終わりで、
その次は良い火花で、プラグを浮かしてクランキングして元気な火花なら、とりあえずOK。
やっぱり難しいのは良い混合気ですね。
動かないところからの診断ですので、少しでも動いていた頃の状況が分かれば診断の助けになります。
なので、ヘッドを開けないで、フレキのLEDライトを使ってピストントップの状態が直接目で見えれば、けっこう診断の助けになります。
(当時はまだファイバースコープは持っていませんでした)
実際にフレキのライトをプラグ穴から入れて見て、
ピストントップの周辺までは見えませんが、
プラグホール近辺のトップ状況は良く見えます。
なので、かぶり気味でカーボンが溜まってしめっているのか、
デトネでスカスカに溶けかけているかは直接見て判断が可能です。
プラグの焼け具合の判断はプラグチョップ直後で無いと正確な判断が出来ません。
プラグががちょうどいい焼け具合でも、半日も放っておくと、
チャンバーから逆流した湿気でプラグはかぶり気味の表情を見せます。
それに、調子の悪いジェットはプラグの焼けとピストンの焼けが一致しない場合が多く、
プラグの焼けだけでセッティングを煮詰めていると、
ピストンを溶かしたりします。 (誰か、グサッと来た方もいるはずですよね。。)
ksは、現地のジェットショップやレンタル店に飛び込みでプロモーションしますが、
飛び込まれた方も、”なんだ、こいつ?”、、です。
タクシーで乗り付けた中国語の話せないヤツが、なにやら英語らしい言葉でまくし立てている!。
何々?修理させろ?ジェットに乗らせろ? 何だコイツ? です。
実際、相手が話し合っている言葉を聞いてみると”変なコリアン(韓国人)がなんか押しかけているぞ!”と仲間と携帯で連絡している場面も有りました。
すみません。ksは日本人です。
でも、変な飛び込み外人が受け入れてもらうためには、
持ってる能力・実力を彼らの目の前にみせるのが一番です。
それには ボクの場合、修理やライディングです。
修理も 1、2年もも放置されて転がっているSJ(ジェットスキー)のエンジンをてきぱきとチェックしてエンジンをばらして、
コンプレッションが下がっているならとっととシリンダーをばらして深い傷は応急処置をして、
それを短時間で彼らの目の前で(’(目に見えるように)やらなければなりません。
そのためにはハンドツールも充電インパクトレンチなどを使いながらスピーディーにやって、
腐って折れたボルトもエキストラクターをを打ち込んでスピーディーに抜き取らなくてはなりません。
古い世代の方ならご存じでしょうが、”あいつとララバイ”の中でボンバーのたこオヤジがヒカルの目の前で腐ったエンジンをあっという間にバラバラにしたあの風景を再現するわけです。
実力さえ彼らの目の当たりにすれば、言葉は通じなくても、
ショップ側から ”このジェットも見てくれないか?”となります。
そうなれば、今度は販売店同士が連絡を取り合い、”変なヤツだけど、その場で直せる変なコリアンが来ている”となり、次のショップまで自分ちの車で送ってくれます。
す、すみません。ksはジャパニーズです。。。。。ま、いいけど。。。。
直したジェットはそのままビーチで試し乗りですが、
ちょっと乗って、チョチョイとキャブレターエクステンションレンチでスクリューの調整をしてあげて、
調子が合えば、 ジャックナイフなどを見せてあげます。
”オ~!俺の((ノーマル)ジェットでもジャックナイフなんか出来るんだ!”となり、いきなり輪が広がります。
皆さん、テレビで見る(台湾で生で見ることは無い)トリックは
高度にチューニングされたエンジンでなせる特殊な世界だと思ってますが、
ノーマルエンジンでも、きちんとノーマルに戻せばちゃんと走るモンですよ。
本当は飛び技はフットホールかフットベルトが無いと危ないのですが、
一応許可がもらえればフットベルトもつけれるように材料と道具は用意してましたが、
次々と質問がくるので、それを取り付ける余裕が有りませんでした。
と、こんな感じで周ってました。
(マレーシアでの武者修行編)
マレーシアの海岸で ジェットスキーで楽しんでいる現地人のグループがいました。
30年前のマレーシアではマハティール首相が「Look East」政策を掲げ、
新興国として走り始めたばかりの時だったので、
30年前に ジェットスキーを輸入してで遊べる人たちはかなり裕福な層でした。
そのグループの中に、僕は観光客っぽい感じで、
「私は日本人だけど、そのジェットスキーに興味がある。乗せてもらえませんか?」とお願いします。
そのグループのメンバーは
「お前、ジェットスキー、乗ったことあんの??」とけげんな顔つき。
でも、彼らの眼の前で レーサーとしてのテクニックを見せると、
彼らは、アメリカのビデオでしか見たこと無いトリックが、自分のジェットスキーで眼の前で起こったので、
「お前、何者!??」となり、いきなりフレンドリーとなり、
「その技、教えろ!!」となり いきなり信頼されました。
半日、そのグループとジェットスキーで遊んだあと、
そのマレーシアのメンバーの一人が、
「お前、今日は俺の家に泊まっていけ。」となり、
彼の車に乗っていきました。
彼の車はBMWで 当時マレーシアは外車は300%の関税がかかっていたので
500万円のBMWは マレーシアでは 2000万円のBMWとなります。
ま、お金持ちの若いシャチョサンんですね。(見た感じ、30歳くらい)
家についてみると マレーシアで よく見る、長屋系のアパートではなく、
Americanな 広い芝生と、平屋の一軒家。
いろいろ その人と話しをすると、
マレーシアのDiscoやイベントの音響設備を設置する会社の社長さんだそうです。
独り身という その社長さんと 平屋の自宅の居間で一緒に夜遅くまで会話していると、
僕たち以外には誰もいないと思っていたけど、
開いたドアの向こう側を若い女性が通り過ぎていきます。
K's:「あれ~! 独身じゃなかったんですか?」
社長:「あぁ、 あいつは メイド」
これが、僕が初めて 実際に見た、「メイド」という職種の人でした。
当時は 「貧富の激しい東南アジアでは、そんな職種も 普通にあるんだね」
ぐらいにしか思ってませんでした。
しかし、ここ最近、日本の中でも、老後の海外移住を紹介する事例が多くなっていますが、
マレーシアをその候補にあげている人は ことごとく、マレーシアで確立している「メイド」業の充実を上げており、
将来 娘の介助が期待出来ないことも想定すると、「メイド」という職業を利用して、
老後を送るのもいいかな。。と考えているK'sです。
とりあえず、来年、海外旅行ついでに ジョホールバルに行ってみて、下見してみようと考えています。
(お硬いバージョン)
(柔らかいバージョン)
(負の現状記事)
最後の負の現状記事も乗せましたが、
30年前の武者修行と
実は僕は この イスカンダル計画が進行中のさなかに
シンガポール~ジョホールバル~クアラ・ルンプールを訪問しています。
負の 記事も 経済学者から見ると 確かにそのとおりですが、大丈夫です!! \(^o^)/
(マレーシア関連 ブログ)