今年の総括、第三回目は90年代の車です。
今年も1990年代の車を多く見かけましたが初年登録13年以上の登録車に適用される自動車税の増税額が10%から15%に変更されて4年目に入ったことと新車ナンバー取得から13年以上経過する軽自動車にも軽自動車税の増税が開始されて3年目に入ったことと同時に高齢ユーザーさんの引退がさらに進んだことと一部車種の部品再生産が始まっても製廃された部品が多くなったから古いクルマを見る機会が少なくなりました。
中古車の台数についても昨年同様に初年登録25年以上であればアメリカへの輸出が緩和されることからスポーツカーを中心に値上げが進んでいてほとんど解体されてエコカー補助金開始以前でも市場に出回らなかった一部の実用車が「応談」という形で市場に出るケースもあるようです。
来年以降はさらにエコカー減税が厳格になっても来年10月に実施予定の消費税10%化前と4月までの元号が「平成」のうちに初年登録の新車への乗り換え、予定通りに消費税が10%化された場合は経済刺激対策減税が行われると予測されることから第一次エコカー補助金・減税から10年経過することからエコカー減税実施前の車は少なくなるでしょう。
来年度以降から消費税10%化以降に新車登録された車両に対する自動車税の減税など自動車関連税制減税が実施されるようですが旧年式車両に対する重加算税の廃止・縮小については現段階では不明で自動車の前車検時と次車検時の走行距離によって行われる予定の「走行課税」の導入も検討されていることから初年登録13年以前の既存車両と13年以上の既存車両の課税格差を減らすことが今後の課題といえます。
本文と関係ない話ですが。 2020年から2009年4月からのエコカー減税により自動車取得税・重量税新車登録時に100%免税とされていた平成21年排出ガス規制適合クリーンディーゼル乗用車(LDA‐)が初年登録から12年を経過することによりクリーンディーゼル乗用車に対しても従来型ディーゼル乗用車もしくはディーゼル商用車・特殊車両同様に初年登録11年以降の自動車税重課が適用されるのかハイブリッド車同様に自動車税重課適用除外対象にされるのかどのような扱いにされるのか今後を見守っていきたいと思います。
今回の画像は1998年(平成10年)4月から12月に発売した車を特集します。
1枚目の画像ついては1998年10月にトヨタ自動車からオート店から改称されたネッツ店の旗揚げ時に発売され16系アリスト(レクサスGS)と同一のロングホイールベース・ショートオーバーハングと1G‐FE型と3S‐GE型の2種類のエンジンをフロントミドシップに搭載、後輪車軸前への燃料タンク搭載など重量配分を適正化する新世代FRプラットフォーム採用のFRスポーツセダン(サルーン)として発売され、「レクサスIS (2代目からレクサスブランドの展開により国内でも同一)」として世界市場にも導入された一部のメディアからAE86型レビン・トレノの再来と言われたトヨタアルテッツァRS200Zエディション前期型(SXE10)です。
2枚目の画像については10系アルテッツァでも2001年5月以降のマイナーチェンジ後のモデルで2001年7月にステーションワゴンとハッチバックの中間のショートワゴン(シューティングブレーク)として発売され海外仕様のレクサスIS300と同一の2JZ‐GEを搭載する「AS300 JCE10W/15W」も用意されたトヨタアルテッツァジータAS200ZエディションFour(GXE15W)です。
3枚目の画像については1998年6月に富士重工業(現SUBARU スバル)の主力車種「レガシィ」の3代目モデルとして6月にツーリングワゴンとランカスターが発売され、12月にツーリングセダンがフルモデルチェンジと同時に「BE系B4」に改称・発売されて人気が上がったと同時にと同時に2WD(FF)車が廃止され4WD(シリメントリカルAWD)車のみの設定と基本ボディが5ナンバーサイズ最終世代で2001年5月のビッグマイナーチェンジ以降のスバルレガシィツーリングワゴンGT‐B Eチューン(BH5 アプライドD型 E型と思われる)です。
4枚目の画像については1998年5月に日産自動車からプリンス自動車時代から続くスポーツアッパーDセグメントカー「スカイライン」の10代目モデルとしてセダンとクーペが発売されR31系から続いたRB系直6エンジン最終世代で先代R33系同様に後輪車軸前への燃料タンクが採用された日産スカイライン2ドアスポーツクーペ25GT‐t前期型(ER34)です。
5枚目の画像についてはいすゞ自動車が1997年の東京モーターショーに「145X」という名称で参考出品され、1998年に北米SIA(スバル・イスズ・オートモーティブ 現スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ)により「ロデオ」として北米モデルの生産が開始され、1998年6月に日本国内におけるいすゞ乗用車事業最後のニューモデルでUCS69GW型ミューウィザードの後継車としていすゞ自動車から輸入販売された5ドアSUVのいすゞウィザード後期型(4JX1型3.0直噴コモンレールディーゼルターボ搭載のUES73FW型LS思われる)です。
6枚目の画像については1998年ドイツBMWAGがDセグメント主力車種「3シリーズ」のE46系(4代目モデル)でとしてサルーンの発表を行い、日本では1998年7月にBMW(正式社名ビーエムダブリュー株式会社)からセダン(ツーリング クーペは2000年以降からの輸入販売が開始されたBMW3シリーズ 318iセダン後期型(AY20 2002年モデル以降)です。
1998年に発売した車については昨年同様にデュアルエアバッグとABSをはじめにフルラップだけではなくオフセット衝突、側面衝突に対応する衝突安全ボディの採用は当たり前となり欧州オフセット衝突基準をはじめに10月以降の新車に義務化された日欧側面衝突基準適合化への対応が進み同時に後席中央部の3点式シートベルト・独立式ヘッドレスト、現在では義務化されたスタビリティコントロールを用意する増え、エンジンの直噴化、排出ガスのLEV化、内装の抗菌化、エアコンへのクリーンフィルターの採用という環境問題への取り組みも昨年以上に進んできたと同時にミニバンをはじめにハイトワゴンの一般化により全高の高い車が主流になったといえます。
10月から安全対応を主に置いたサイズの大型化を行う軽自動車新規格化により軽自動車のフルモデルチェンジが行われ、それにより普通車と同様の安全テストが義務化されたことにより一世代前の普通車を超える安全性の軽自動車も増え軽をファーストカーに選択するユーザーも多くなったといえます。
排ガス規制をはじめにマーケットの変化によりこの世代を最後にモデルサイクルを終えた車も多く、海外メーカー勢もフィアットオートジャパン(FCAジャパン)から輸入されたDセグメントカーアルファロメオ・156(932A系)に右ハンドルが用意されたことによる大ヒットよりマニア向けが多かった「イタ・フラ」系も一般化したといえます。
昨今は1999年にルノーSAとの資本提携を行いアライアンスを締結の数か月後に日産のCOO(最高執行責任者)に就任その後は日産の代表取締役社長兼CEO(最高経営責任者)をはじめに会長兼CEO(最高経営責任者)を務めたカルロス・ゴーン容疑者の逮捕に揺れている日産自動車ですが1998年4月から12月には経営危機により自主再建と同時に当時はマツダを傘下に収めていて、日産とJVも行っていた北米フォード・モーターをはじめに独・北米ダイムラー・クライスラーという外資への資本提携を模索と同時にフルモデルチェンジとニューモデルの投入を行っていました、5月に発売のR34系スカイラインは先代R33系の肥大化により不評だったことによりR32系以前のユーザーを取り戻すために全長とホイールベースの短縮化を行っても安全性の関係から3ナンバーサイズということもあって生産中止後にドリフト族に人気になってもR33系以上に販売が低迷、6月に発売のミニバン「プレサージュ(U30系)」は前年発売された電気自動車も用意されたルネッサ(N30系)をベースにすることからフロアが高くライバルに比べて乗降性に問題があることにより予想ほどではなく、翌年発売の兄弟車バサラ(JU30系)についても販売が低迷、8月に発売のW11系アベニールもBG系レガシィワゴンを意識した「サリュー」と言われたビッグマイナーチェンジ後の先代W10系後期はヒットしても乗用ワゴン専用のWP11系プリメーラ・プリメーラカミノワゴン(P10系と同時期のプリメーラワゴンはW10系ボディを共有)の発売だけではなく大型化されたがサリュー以前のW10系を思わせるような野暮ったいスタイルと1999年にライトバンモデル「VW11系エキスパート」とボディの共有より2000年ビッグMCを行っても販売が低迷、10月に発売されたM&Sプラットフォーム第一号のB15系サニーもあまりにも前期1型のリアデザインが不評で頻繁にマイナーチェンジを行っていた先代B14系比べて好評でしたが新車時の平均ユーザーの高齢化が著しく、海外向けセントラはB16系にモデルチェンジされても国内サニーはB15系が最後(後継はSC11系ティーダラティオ その後はN17型ラティオ 5ナンバーセダンから撤退 3ナンバーであるが現行型シルフィの型式はサニー・セントラ系統のB17系)、11月に発売のM12系プレーリーリバティはミニバンのパイオニアでありながら歴代プレーリー同様に影の薄い存在でしたが2001年のゴーン氏の改革によるビッグMC「RM/RNM12系リバティ」に改称により人気車に、12月に1999年年明け商戦向けに発売した2車種はA33系セフィーロについてはJ30系マキシマの系統を引き継ぐFF車ということで初代A31系のようなFR/4WD(アテーサE‐TS)を求めるマニア層からは不評を買いましたがカジュアルな3ナンバー車として一般客から大好評だった先代A32系のコンセプト継承しつつもWC34系ステージアとバッティングすることによりWA32系ワゴンFMCは見送られ、セダンについても大型化により予想ほどではなく、V10系ティーノは4.3m以内の全長でありながら車幅が3ナンバーという事と当時でも少数になっていた現在では実現不可と思われる2列シート6人乗り、限定販売のハイブリッド(PV10)ということで話題になったがアクの強いデザインにより敬遠されることと煮詰めが甘くマーケティングリサーチ力不足の露呈により1980年代によりフルラインナップ化により第3位なったが1990年代前半のバブル崩壊とRVブームへの乗り遅れにより三菱自動車工業に3位の座を奪われたがオデッセイ(RA1/2/3/4/5/6型)とステップワゴン(RF1/2型)のヒットで本田技研工業に国内販売シェア2位の座は奪われても直噴ガソリンエンジン「NEO‐Di」、無段変速機「ハイパーCVT」にトラブルこそありましたが独創的な日産らしさも現在に比べて残っていました。
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2018/12/07 17:53:57