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Randonneurのブログ一覧

2020年12月31日 イイね!

今一度、自分自身を律するために 2020年 追記版

今一度、自分自身を律するために 2020年 追記版








2020年   25年ぶりにレーシングカーを所有しない自分と向き合った。それはそれで自分自身を見つめなおすいい機会になった。
幸いと言うべきか、no32は熱血86オーナーさんのもとへ渡り、しかもゴールドカップTCレースに参加するというではないか! 参加台数が少ないTCレース、結果から言えば私が走らないだけで今までと同じく、1台グリッドを埋めてくれるというのがまず嬉しかった。応援のしがいもあろうというものだ。
しかし、コロナ、水害などあり上半期はレース自体、開催されない、出来ないという事態に陥った…。
そんな逆境の最中、超過密スケジュールで2か月で3戦が行われ、新オーナーさんは何と!2位、2位、1位!と言う驚くべき速さ、成績で年間チャンピオンを獲得された! 確かに、オーナーはハチロクの神と呼ばれるほどの腕前だが、
私のno32の壊れたフロントセクションの修理、エンジンの載せ替えが主な変更であとはほとんど私の時のまんまだ。それはつまり私たちのクルマ作りが間違っていなかったとも理解できる。今年、くらい、憂鬱な事が多い年だったが旧no32の活躍は本当にうれしい出来事だった。





2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。
 

1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 




レーシング走行をやるうえで避けて通れない?事故やクラッシュ
しかし、それを好んでやる人はいません
長年やっているうえで、オレ結構事故クラッシュが多いな…このままじゃイカンとの思いで1年のレース活動を年末に振り返り、反省し、対策し、翌年の活動をより安全に楽しいものとする事を目的に始めたこの律するシリーズ。
レーシングカーを手放し、客観的に見たこの一年。色々考えました。
当然、全く走ってないので事故もクラッシュもあろうはずがありません




そして心にひそめていた私の胸の内をみんなに明かして話すようになりました
今、何故乗らないのか?単純にビビッているからです
VITAとのクラッシュは今考えても身の毛がよだちます
もう少し左にずれていたらVITAのドライバーに突っ込んでいたからです
今までのTC同士のクラッシュとは感覚が違いました
ビビッてるんです
腰が引けてしまっているのです
マシンが手元にないことを理由にしているのです
でも、趣味なので怖いのを無理して乗る必要も無いのです
それが、今のオレです。

私は今まで、2回、レース中に全損クラッシュをしています
一度目は予選の時
2度目は今回のレース中、最初の1コーナーでした
2度とも状況が異なるとは言え私が当てた方のクラッシュです
思い出しただけでも凹むし怖いです

私は公式レースが好きです
きびしいルールの中で
十分練られた安全規定の中で
腕利きの皆さんと一緒に走るのが好きなのです
速い皆さんはそれこそ人生をレースにかけています
プロではないので仕事は別に持っているものの
レースのために借金をこさえるのはざら
レースのために本業以外にバイトしたり
本業その物をレースのために転職したり
そして余暇の時間、自分の時間にはレースに打ち込むという方々ばかりです
そんな皆さんを私は昔からA軍と呼んでいます

レースは好きだけど
時間もお金もそこそこしか投入しない(出来ない?)
細々とした参戦となる フル参戦とかしない
そういう面々を私は昔からB軍と呼んでいます
そして私はB軍だと自己分析しています

レースは好き、楽しい
どちらかと言えば周りの人物や環境の影響で走っている方
enjoyしている方 流行っているから走っている方
そういう面々を私は昔からC軍と呼んでいます

今回のVITAとのクラッシュはAである方にBである私がぶつけ、台無しにしたというケースです。
このクラッシュは相当凹み、私のようなハンパ物がレースに出るべきではないのではないか?と悩みました。
一方で、昔から、私のようなものやC軍の方々が出ないと、集まらないとレースは成り立たないと思って参戦していました。



今、ビビッている事を戦友に話しました

「どっちも戦の最中やろ?ならだれも悪くないししょうがない」
と言ってくれました。




ありがたいことにビビっている私に「乗ってみらん?」と声をかけてくれる方が
居られます。
今年1年、お手伝いとして皆さんのレースを拝見し、やっぱ走りたいな~
と思う自分もまだいる事に気づきました
怖かったVITAとのクラッシュも、混走はもう、2度とないだろうから(私が、その可能性をつんでしまったと言う事だな…)恐れる事も無い。
TC同士なら、最悪やっちゃっても死に至る事はないと思う
VITA同士なら、軽いしそんなに大事にはいたらないと思う
(レーサーは結局の所、危険な遊びだと分かっているが、それは自分には起こらないと都合よく解釈し、あの、走っているときに出る脳内麻薬を求め走ってしまう人種なんだろうか?)
どうなるのか?どうしたいのか?まだ1年では答えは出ません
2021年はどういうシーズンになるのか?
でもしかし、趣味でやってるクルマ好き
自分の心に嘘はつかず、やりたいようにやろうとだけは思っています
結局今までだってそうしてきた積み重ねが結果として残っているのだから…


番外ですが、父のRX8でのモータースポーツ活動、
あわよくばと考えていましたがムリです
と言うのも父が思いのほか8を気に入り、すごく大事にしているからです。
と言うわけでツーリングの友として楽しんでいます。最高です♪






こうして簡単に振り返るだけでも・・・
事故ばかりやってた青二才な走り屋時代 1993~1995年(21~23歳)
安定期?かな?私生活でも、みを固めた レース事故もなし 1996~2008年(24~36歳)
転職、住まいも変わり、不安定期か? 走ればやらかす 2009~2013年(37~42歳)
そして、活動絶頂期か? 2014~2018年(43~46歳)
2019年は結果的に第一期活動最終年となる(47歳)
2020年はいつか来る?第二期活動までの思考充電期間か?(48歳)


来年はオートポリスの盛況、コロナの封じ込め、皆さまの健康ご多幸を祈りつつ
去っていく2020年、令和2年を見送りたいと思い、自分を律したいと思います
Posted at 2020/12/31 10:36:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | | 日記
2020年12月31日 イイね!

回顧2020

回顧2020








コロナウイルス…⤵
次女晴れて大学生にそして一人暮らし⤴
上半期は赤字⤵
下関⇔広島 自転車走⤴
国道2号耐久自転車走、コロナで延期⤵
椿ヶ鼻コロナで中止⤵
椿ヶ鼻目標タイム切(練習だけど)⤴
ツールド佐伯コロナで中止⤵
元ap86-no32,2020年間チャンピオン獲得おめでとう⤴
下半期V字回復⤴
15年間連れ添ったカエルラフェスタとの別れ⤵
最新電気自動車ノートeパワーが新たな相棒に⤴

2020年、令和2年、47歳、たった18日間ではあるけれど、年男ね年
この記念すべき干支4周目の年、それはコロナに翻弄された1年だった…
それは、だれにとってもそうだろうけども…
1年を通じて何か憂鬱な雰囲気だった…








クルマ、レーシング活動は、今年もこれまでと全く異なる一年となった
何をさておいても、我が愛車が無いのだ!
こんなことは20歳の時にFC3Sを手に入れてから一度も無いのだ!

遊ばしてもらおうと思っていた父のRX8はしかし、あまりに大切にしている父の姿にそれは出来ず、もっぱらツーリング、ドライブの友となっている。
だが、それは楽しく、ここ数十年やってなかった好きなクルマで好きな道を走り行きたいところへ行くという楽しみを提供してくれる。春~秋は自転車に乗る機会が多くあまり乗らなかったが寒い時期は乗る事が増えた。
コロナ禍の中、感染リスク低く楽しめる数少ない高揚の時ではあった。

ラフェスタはいよいよ別れが近いな~とか思いながら乗っていたがこうも急に年内に別れが来るとは思っていなかった。
このブログはカエルラフェスタとno32の二本立てがスタートだったので
みんカラ10年を前に2台ともいなくなった。
10年とはそういう時間であろう
そもそも2台とも、こんなに長くお付き合いするとは思っていなかったが
私は気に入ったものは長く大事に使うタイプなんだと自覚した










銀輪活動は、念頭に立てた目標は3つ
まず① 国道2号耐久走520㎞
その② 椿ヶ鼻ヒルクライム自己ベスト更新
その③ ツールド佐伯Sコース190㎞完走

①の予行演習で3月に下関⇔広島耐久走400㎞を走破した。これはいい思い出と自信になった。
しかし予定の4月5月はコロナが猛威をふるい結局大阪行きは今も出発できていない…
憂さ晴らしの一環で大分県北耐久走300㎞を走破した。これはこれで楽しかったが、走れない悔しさをぶつけたと言う事だ

②はやはりコロナが理由で中止
非公式ではあるものの自己ベスト更新はした。だが、公式で出したいという思いは強い。

③は縮小開催でSコースはなかった
ならば個人的に行けばいいのにそういう気分じゃなかった

唯一参加したサイクルイベントは耳納連山ヒルクライム大会だった
結果は惨敗だったがやはりイベントは楽しかった
耳納連山の魅力を少しかじった
コロナ禍の最中に開催してくれた主催者の方々には御礼申し上げます

他にも、ショップやクラブ主催のサイクリングにも参加した
総じて走行距離はまあまあ伸びていたような気がする
でも、大阪に行けず、イベントも無く、どこか悶悶としたサイクル活動だったな…










長男は22歳を迎えました
都市部に住んでるし、純食品関連の会社なのできつくコロナに警戒するよう言われている模様。私たちよりもずっと我慢の生活をしているようです


長女は大学1年生 一人暮らし 
しかしコロナ禍でかわいそうすぎるキャンパスライフのようです
最近ようやく学校での授業がぼちぼちあるとかないとか…

次女は高校3年生 只今クルマの免許をとるべく頑張ってます。
来年免許が取れたら、この子の運転でオートポリスの体験走行に行くのが父の願いです笑

そして末っ子次男は中2で部活に勉強に関心に頑張っています
勉強はかなりできるようで驚きました爆
しかし部活動は実力差がはっきりしてきて難しいポジションにいるようです
色々悩む時期でしょうが面白おかしく乗り越えてほしいと父は願うばかりです

妻は昨年、国家資格を得て、就職活動をしたものの、年齢のハンデは大きく6連敗。ちょっと落ち込んでた時期もありますがそのままコロナ禍に巻き込まれ現在は専業主婦として我が家を切り盛りしてくれています。










48回目の誕生日の12月13日
長年連れ添ったカエルラフェスタと別れ新たな相棒ノートイイ👍パワーが来た
昨年末にAE86と別れ、今年はラフェスタと別れる事となった
みんカラを始めた時の現役車が2台ともいなくなった
時の流れを感じずにはいられない出来事だった
新たなカーライフが始まる2021年になりそうだ









仕事は、上半期は赤字だった
それはコロナどうこうではないと分析している
例の持続化給付金も受け取るハメになった
しかし、一転、5月から忙しくなり
結局1年間では昨年を上回る数字となった
コロナ禍で仕事が激減している業界も多い中、
私の業界、地域は何故だか好調だった
ありがたい事だが
来年はどうだろう?全国民の所得がコロナの影響におかされるのは来年だろうから少し心配している
12月にぎっくり腰をやらかす
激務と寒さのが原因だろう
来年は49歳、体の管理やケアは余計に気をつけねば…











2020年は私に限らずだれにとってもコロナに翻弄された一年だったと思う
私にとっては面白くない一年だったが
私など、幸せな方だとも思う
もっともっと苦労され、苦悩している方々が沢山おられる
そう思えば、私の愚痴などたわごとでしかないのだが
それでもやはり愚痴がこぼれる
2020年、令和二年、47歳のオレはそんな一年だった

来る2021年はどんな年になるのだろう?
今年よりも、いい年になる事を祈り
去りゆく2020年を見送るとします…
Posted at 2020/12/31 10:42:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2020年12月28日 イイね!

👍パワーはいいヤツだったよ!笑

👍パワーはいいヤツだったよ!笑ノート👍イイパワー
ファ–ストインプレッション

いつもの山坂道を
往復170km
片道3名乗車 ドライ
帰りは4名乗車 ウエット
結論から言えば…
このクルマは…
運転楽しい!

スタートはダッシュが鋭い
ワンペダルドライブは、レスポンス鋭く、例えて言えば、1速に入れっぱなしで走ってるような感じ
踏めば鋭い加速
はなせば鋭い回生減速
これは妻のような無頓着な運転をする人にとっても安全に山坂道を走れる事を意味する!
よく効く回生ブレーキと合間って、フットブレーキもいい感じ。
実際の重量が何キロかは知らないが
身のこなしはとても軽い
これは紛れもなくスポーティなドライブに適したコンパクトカーだ❗️
最大の売りは反応鋭いパワーユニットだが、低重心?(かどうかは知らないけど)を感じさせる乗り味も合間って魅力的なクルマに仕上がっている!

ちょっと顔が好みじゃないんだけど…
から始まった第一印象
しかし乗ってみると
山坂道においてはとても好印象
これから付き合いは長いだろうから
いいとこ、弱点、掘り下げていこう

燃費は?
高速道路は?
正月休みは巣篭もりだろうけど
密を避けつつ、ドライブしてーな〜

4アダルト4シーターロータリースポーツと共に
電動コンパクトファミリーカーも私を
楽しませてくれそう♪
2021年のカーライフが楽しみになってきた^_^
Posted at 2020/12/28 07:34:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | ノートEパワー | 日記
2020年12月13日 イイね!

さようならありがとうラフェスタ  たのむぜノート

さようならありがとうラフェスタ  たのむぜノート令和二年12月13日

それは私の48回目の誕生日、

ついにラフェスタとの別れがやってきた。


妻と二人、約束の時間に日産へ行く

矢継ぎ早に、ノートの説明を受ける

だいたい1時間の説明

しかしそのほとんどがナビ機器の解説だった

それははぼ、スマホがクルマに付いているような物だった。私ら夫婦は浦島太郎状態

15年という月日はこうもクルマを変えてしまったんだなと驚き、

妻にいたってはめんどくさいし理解できないのでラフェスタがいいと言う始末だ



説明も終わり、納車式?

ディーラーの全ての人が整列し、私達を見送る。

正直、困惑した

というのも、もっと時間をかけてしんみりとラフェスタと別れたかったからだ

最後は手を触れてありがとうとさよならを告げカエルラフェスタとの別れを惜しんだ。



昼食をとり、神社へ向かう

交通安全祈願のお祓いを受けた。



これから15年経てば私は63歳だ

私は、家族は、15年後どうなっている事だろう?

ノートには、安全に我々家族の事を見守ってほしいものだ。ラフェスタのように


さよならラフェスタ
Posted at 2020/12/14 07:42:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | ラフェスタ | 日記
2020年12月13日 イイね!

15年間付き合った愛車との別れを決め、3時間で新車購入を決めた妻を持つ夫の独り言

百聞は一見に如かず

コーヒーを飲み干し営業さんとディーラー裏へ行く

まずはマーチを眺める

正面の顔はともかく、後ろ姿は見慣れたものでしばらく母が乗っていたK12に似ている

運転席、内装はまさにマーチ、代が違うとはいえ何か懐かしささえ感じる室内

間違いなくマーチのDNAを感じた。安定のコンパクトカーだ。

さて、営業さんイチオシのノートEパワーだ

外寸は少しマーチより大きいがラフェよりはだいぶ小さい

後ろ姿はなかなかいい。しかし顔はあまり好みではない、内装も黒基調がちょっと…

が、大蔵大臣はデザインなど無関心だ。

まず私が乗ってみる かまぼこ型のハンドルが嫌だ 出足の良さに驚く! 試走コースである山坂道を走る

何?この感覚!? エンジン回転(と言うか音)と加速と、スムーズさは未体験

のものだった。運転を妻に替わり坂を下りる

エコモードだ。例のワンペダルドライブだ。なにー!!

この坂は2速でもガンガン押される急坂なのに、アクセルを踏まないと止まるというではないか!?

夫婦して異次元の運転感覚に驚きと好感を持って試乗を終えた

それからはトントン拍子

12月にはモデルチェンジする末期モデルなので値引きもすごけりゃ営業もすごい

店長上司まで出てきて今がチャンスですの大攻勢!コーヒーのお替りがどんどん出てくる

結果、3時間で購入を決意 色はパールホワイトを希望  家路についたのだった



人生48年、3時間でクルマの購入を決めたのは今回が初めてだ

(妻はひょっとするとアルトやマーチを3時間以内で買っているのかも?)

後日、続きがあり、末期モデルであるが故在庫商品からしか選べずホワイトが取れなかったとの事

チャンス到来と、私の希望はあのフェアレディZの柿色がいいと意見するも

第二希望はグレーやブラックで行くので第四希望ばいといさめられる。

結果は黒となった。。。



何だか、新車を買ったのに色やグレードも選択が限られたり、只今絶賛日本一

売れてるクルマという所などやや腑に落ちないものの

最新式の電気自動車、自家発電車、ワンペダル運転がこれから楽しめる

と思うとそれはそれでうれしい。

今、次女高3が教習所に通っている最中だ

娘の運転で出かける事もあるだろう

コイツでオートポリス本コースを1度走ってみねばなるまい

燃費はいくつまで行くのだろう?

なんだかんだロータリーエンジンと自家発電電気自動車との乗り比べが楽しみだ

3時間で購入を決めた愛車、今度はコイツでどんな思いでを築いていくのだろう

何年、乗るのだろうか?壊れないかな?(最新技術なのでそこは心配かな?)
Posted at 2020/12/14 07:41:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ノートEパワー | 日記

プロフィール

「今日は高中のおかげで良かった笑 http://cvw.jp/b/476106/47576887/
何シテル?   03/08 16:10
貧乏、暇無し、子沢山の銀輪、四輪乗りです。
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その他 ブリヂストン レイダック (その他 ブリヂストン)
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日産 マーチ 日産 マーチ
1996、7年の2シーズンのみだがマーチレースMINEシリーズにスポット参戦した。 今も ...
マツダ RX-7 マツダ RX-7
S60年式、前期中の前期型。よろしくメカドックで存在を知ったロータリー、ルマンでの活躍を ...
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