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Randonneurのブログ一覧

2019年12月30日 イイね!

ap86-no32では、なくなりました事をご報告いたします

ap86-no32では、なくなりました事をご報告いたします










さらりとふれて、静かに終わるつもりだったんですが
このブログを始めたのも,、
みん友さんと知り合えたのも
このクルマあっての事でしたので、
やはりきちんと報告する事としました。

ap86-no32は今月18日をもって
全てのスペア、ジャンクパーツとともに
嫁いでいきました。
このマシンのすべての記録履歴はみんカラの中に記されています
みんカラが無ければこんなに分かりやすい記録は取ってないでしょう
そしてこのマシンが無ければ、みんカラは始めていないでしょう
ハンドルネームもそれそのものです


今だ、手放した実感は無いんですが現実は間違いなく他人様の物になりました
これからじわじわと86ロスが来るんでしょうか?
みん友の皆様、
これまで本当にありがとうございました
AE86のネタはもう、発生しません
しかし、相変わらずクルマ好きですし
クルマを通じて人生を楽しむのは変わりません
これからもどうぞよろしくお願いいたします🙇


Posted at 2019/12/30 17:39:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | 86 | 日記
2019年12月30日 イイね!

回顧2019 

回顧2019 








金融危機⤵
激務と週末のドM趣味による2度のぎっくり腰泣⤵
ツールド国東160km完走⤴
椿ヶ鼻ヒルクライム目標タイム切⤴
ツールド佐伯無念の足切り⤵
八面山は再会で最下位で再開を祈る⤴
レースでは全損級クラッシュ泣⤵
そして21年間連れ添ったap86-no32との別れ⤴

2019年、平成31年、令和元年、46歳
改元の年にふさわしく?いろいろあった一年でした








クルマ、レーシング活動は今までと取り組み方が異なる1年だった
第1戦は1年前の喜びを再現したく、タイムを上回りたくで参加
しかしそうは問屋が下ろさず。
以降、第2,3戦はVITAと別枠でのレースだったこともありあまりの参加台数の少なさにグリットに1台並べるという義務的な感覚での参戦だった。
使えるお金もなく、そんな状態の中で、ベストを尽くした感じだ。
最終戦耐久は、去年と同じく周囲の人に背中を押されての参戦
しかし、この頃はファイナンス面も少し改善しており、
練習に打ち込んだ結果、レース前日には自分自身納得できるパフォーマンスを
取り戻していた。
初となる記念すべきVITAとの混走2時間耐久レース
自力だけでは無理でも、長丁場の耐久、
速さともろさが諸刃の剣なシビック、
バチバチのライバル意識むき出しの上位勢
あわよくばではあるが表彰台狙いだった
土曜の性能が十二分に発揮できていればそれは不可能ではないと思っていた
が、それはスタート直後に見事に打ち砕かれた
VITAとのクラッシュ
絶対にやってはならない事態を起こした
しかし手負いのマシンにムチ打ち、完走を目指す
だがそれを神様仏様は許さなかった
電気系トラブルで残り7分でコース上ストップ。

その日の最後、感極まり号泣した私。
しかし、聞けば昨年はよそのチームの方々が号泣していたらしい
栄光の涙の陰に悔し涙あり
自分だけではないのだと、妙になっとくした。

結果だけで言えば、参加したレース全てで完走しかし最下位だった。
これはこれで得難い経験であり濃いいシーズンだった


番外編?ではあるが7月はスーパー耐久クラシックチャレンジと言うエキシビジョンレースに参加した。
愛車AE86はすでにそれに参加できるほどのクラシックカーなのだ!
このレースでは1人のクルマ好きの若者をオートポリスコースデビューさせることが出来た事。クラシックカー愛好家の方と親睦がはかれた事、その皆さんが自走で会場に来ることにこだわっている事!など色々未知の世界が体験できた。
ギャラリー受けもよく心の底から気楽に楽しめたイベントだった。


もはや恒例?となるオフィシャル経験は
2つの全日本戦となった。
1つはスーパーフォーミュラレース
もう1つは全日本ロードレース選手権だ
いずれも大変だったが楽しかった
オフィシャルでは寸志が頂けるがそれを封切らずそのまま妻へ渡す私
なので最近では、オートポリスに行ってくるというと、
「オフィシャル?走り?」と問われ、
「走り」というと残念がられるのが恒例となった笑


結果こそ振るわなかったがゴールドカップレースでは全戦参加完走
S耐クラシックに参加
オフィシャルとして全日本戦に2回かかわる
振り返れば今までの人生で一番オートポリスのイベントに参加したのではなかろうか?








銀輪活動は、仲間、親友に触発され、考えればちょっと無茶な工程を組んでいたような気がする。
まずは5月のツールド国東。初の160kmセンチュリーランにチャレンジ
そのために山岳130km九重阿蘇走などハードに鍛えた
結果7時間50分というギリギリではあるものの時間内完走を果たした!
次は地元ヒルクライム椿ヶ鼻だ
毎週のように練習し、鍛え上げ、結果は56分で完走だった
親友Nにも勝つことが出来た。2020年は55分切だな!
その後はちょっと間があくが10月のツールド佐伯190km!を目指す
100~190kmのロング走を数回やり、鍛えたがいずれの練習でも完走できるタイムは刻めなかった。しかしそれでも自分自身がエボリューションしていくのは分かった。足切りはされるだろうが、行けるとこまで行ってやろう的な感じで当日を迎えた。本番の日は九州はそれたものの本州を未曽有の超大型台風が襲った日だった。
結果、ツールド佐伯では95km地点で足きられるという、不完全燃焼な終わりとなった。強風のせいではあるが自分の実力不足が1番の原因だ。
2020年のリベンジを誓い、佐伯を後にした。
2019年最後のイベント参加となるのは中津八面山アタックだ
しかし、佐伯に向けロングばかりやっていた事、
佐伯が中途半端に終わった事などありモチベーションが上がらなかった
そこで、目的を修正
29年前に参加した時と同じ昔懐かしのランドナーで参加した
参加者中、最重量車にして最年長車
29年ぶりのお帰りなさい参戦となり、楽しんだ。
だが、今大会をもっていったん終了するらしい
残念だが、そのタイミングで出れたのもまた奇跡そして出会い。
再開の際は駆けつけようではないか




長男は21歳を迎えました
只今都会でレガシーツーリングワゴンを乗り回し楽しんでいる模様です。
音沙汰はありません。父には特に泣

長女は高校3年生 ついに迎えた大学受験です。私もかまえねばなりません。

次女は高校2年生 相変わらずの厚化粧、マイクロミニスカート、真っ赤なマニキュア、帰宅午前様ですがON/OFFの切り替えがすごくて関心することも

そして末っ子次男は中1で部活に勉強に関心に頑張っています

妻は一念発起し、退職、職業訓練校に行き資格所得に励み無事試験に合格!
しかし早速受けた入社面接は不採用~ 頑張れ妻!

そして私もがんばらねばですね~










今年、ap86-no32が私の所に来て21年を迎えました
私のレース歴のほとんどはコイツが相棒です
紆余曲折ありましたがフランケンシュタインのように不死鳥のごとく蘇り
私のレース人生を支えてくれたマシンです。
が、今年、ご存知の通りクラッシュしてしまいました
しかも相手はコンクリやガードレールではなくVITAでした
VITAは全損級の痛手です。マシンを見ればドライバーが無事だったのが不幸中の幸いと思います。
レースは楽しく、参加意欲が掻き立てられますが今はあのぶつかった感触が体に残っておりとてもできそうにありません。どんなに気を付けていても起こるレース中の接触事故。嫌ですがそれを上回る意欲欲望が参加の源パワーですが
今はそれがありません… 2020年は休眠の年になるかな…




年の瀬もせまった12月18日
そのap86-no32は沢山の嫁入り道具とともに嫁ぐことが決まりました
このご縁はやはり、ap86-no32が作ってくれた縁でした
最後の最後まで、ステキな出会いを提供してくれた愛車
断腸の思いもありますが、乗らないクルマを長々置いておくよりは
有効に活用してくれる方のもとへ出した方がいいだろうという決断です
これは私にとっては離行であり、悲しい別れではありません
これにより、ここ20年間とは全く違う生活が始まるのです。









仕事は、1年を通じて忙しくはあったものの、5月~10月くらいまで
とにかく現金がない!とい事態に陥った
結局お金が足りず、銀行以外から借りるという初めての金融危機に陥った。
10月には返す事が出来たがこれは私が社長になって以来初の事態だ。
もう2度と経験したくはないがなぜこうなったのか?どうすればならないのか?
よく考証し、対策を打たねばなるまい。
この先も厳しいであろうことは確か。来年の課題だな。
そして体、やはり年々、ムリがきかなくなってきている事を実感
7月と11月にぎっくり腰をやらかす
激務と週末の遊びがすぎた結果だろう。
来年は47歳、体の管理やケアは余計に気をつけねば…










2018年は私個人的には充実した年だった気がする
2019年は吉凶のバランスで言えば凶が上回っていたような気がする
2020年は娘に家族に吉が来てほしいかな
そのために私は凶が多くてもそれはバランス、耐えねばなるまい

ありがとう、そしてさようなら2019年、令和元年、46歳のオレ

来る2020年もいい年になるとイイな。

でもやっぱり、今年もまあまあいい年だったのかもね?
Posted at 2019/12/30 17:19:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | ets | 日記
2019年12月29日 イイね!

倉庫は知っている

倉庫は知っている










1995年5月、
静岡を引き上げ、Uターンしてきた私
ほぼ全ての家財を後輩に譲り、身軽に帰ってきた。
愛車SA22CサバンナRX-7に全部載るくらいだからその少なさは4年以上一人暮らししたとは思えない量だ。
しかし何故か1.5tトラックを駆り、もう一度静岡へ
何故か?
SA22Cのスペアパーツを取りに行ったからだ。
当時すでに希少車だったSA22CサバンナRX-7
ほぼ1台分のスペアパーツがあったのでそれを持って帰るためだ。
持ち帰ったパーツを見て両親はびっくり仰天
その多さにあきれるばかりだ。
今となっては、私が言い出したのか
父が言い出したのか?覚えていないが、そのパーツを保管するためだけの倉庫を
こしらえてくれた。
ぼぶら息子とバカ親だ。
出来た倉庫はしかし、最初からSA22Cのパーツであふれかえっていた。


それから半年が経過
SAは私のミスでオートポリス最終コーナーで大クラッシュ
翌年、MINEマーチレースへの参加が決まっていたのでその資金のためにも
中途半端に持っていても眠っている時間が長いようでは逆にサバンナに悪いなとの思いで
マシンもパーツも一切合切売る事にした
CARBOYの個人売買欄に載せたら近くの中津の人がすぐに来て全て買っていった
幾らかは覚えていないけど、その後のマーチ資金に大いに役立ったと記憶している。
パーツだらけだった倉庫はいったん、空になった。


それからどれぐらい後だろう?
弟が愛車AE86で大事故を起こした
弟は軽症、助手席の弟親友は重症だったが、幸い、今は元気、それぞれに道を切り開き頑張っている
無論、弟のAE86は廃車にしたが、この時点で私は86を持ってなかったが何故だかボディ以外を全て外し、保管する事とした
かくて、倉庫は弟のAE86のパーツであふれかえった。

マーチはレーシングチームの勧めでやったレース
パーツもチームにあったので私の所にあふれかえる事はなかった


そして1998年3月、私の手元に山口よりAE86がやってくる
後のap86-no32である
結婚、子ども、仕事、子育てなどあり、デビューは2000年開幕戦となった
当時は右も左も86、ほぼ86のワンメイクだった
少ない資金で細々とやっていた
年2回出ればいい方
年1回が普通だった
Mっちゃんレーシングの大将に
「練習しない割には速い」という、お褒めか、貶しか、よくわからない言葉を頂いた。
2000年のデビューから、今年で19年、
その間、86の仲間は当然のごとく降り、減っていった
その時皆、私に
「続けるならパーツやる」と言って去っていった。
中でも究極はクルマ1台譲ってくれた先輩までもいた!
倉庫のパーツはますます増えた
このパーツがあるおかげで、不測の事態もリタイヤせずに決勝に出れた
このパーツがあるおかげで、大きな故障や事故も乗り越え、継続参戦できた
気づけば、86は私だけか、たまに青い86が出てくる2台にまで減っていた
青い86は私のモチベーションの元だった
果敢にAE111に挑み、いい勝負をし、時に勝つこともある
青い86を見ていると、腕さえあれば、それなりにクルマを作ればまだまだオレの86もやれるんだという希望が持てた
そしてまた、先輩方のパーツが私を後押ししていたのだ


86でレースをやり出して19年
所有してからだと21年
私のレース人生のほぼ全てはap86-no32と築いてきたものだ
そして倉庫のパーツも増えはしても、減る事はなかった。
だがこの度、ap86-n32とともに、全てのパーツが嫁いでいくこととなった
そう、24年ぶりに、倉庫はがらんどうになるのだ
代わりに入ってくる何かの予定も無い
倉庫は知っている。私が今まで何をしてきたか、何を大切にしてきたかを
倉庫よ教えてほしい、私は今から何に夢中になり歳を重ねていくのかを・・・


倉庫は知っている?
倉庫は待っている?
Posted at 2019/12/29 10:54:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | | 日記
2019年12月21日 イイね!

今一度、自分自身を律するために 2019年追記版

今一度、自分自身を律するために 2019年追記版浮気心を出すと…
全損級のクラッシュをやらかす…
偶然だとは思う
偶然だとは思うが…
今年もそういう展開になってしまった…







2019年   2018年の再現をもう一度の思いで、タイム狙いでG/Sタイヤを購し開幕戦に挑む。前日は調子よくこれは行けるか!?と思ったがNEWタイヤはやはり使えない私。結局予選でタイム出ずレースは最下位に沈む。それからの第2戦、第3戦はVITAとは混走とならずTCの参加台数があまりに少ないので寂しいな…と言うのが動機で参戦。いずれもドベだった。最終戦耐久は初の2時間レース。ここではやってはならない他車との接触をやらかす。私は辛くも走り切ったがお相手のVITAは0周リタイアでお気の毒だった…。もう少し、何とかよける事は出来なかったのか…悔やまれる結果だった。no32もなかなかの重傷を負った。。。






2018年    年頭に立てた目標は、公式の場で2分12秒代を記録する事しかしながら年間予算は50万円以内とし、限りある資金、時間を大切に使い目標に向かって邁進した。結果、開幕戦の予選で見事!目標達成!😂 うれし泣き💦
それからは資金不足、(仕事でも不足)モチベーション不足         で休戦人生初オフィシャル活動はいい刺激経験になった
仲間に鼓舞される形で最終戦である耐久レースに参戦結果は人生初優勝で総合優勝!、クラス優勝!と😂 うれし泣き💦これは長年やってきた事へのご褒美だと思いました。目標も達成、そして完全に望外の優勝も経験。
正直、こんなにうまくいったシーズンはいまだかつてないので2019年がコワい私です。
         
         
2017年   ある時はCPUがご機嫌ナナメ、またある時は足が体が不機嫌、なかなか真の実力を出してくれなかった、人生初のシリーズフル参戦でした
結局たどり着いたのは補強パーツの取外しおよび軽量化、タイヤエア圧調整、
スロットルポジションのマメな更生で何とか去年なみの速さを再現no32の魔性ぶりを存分に味わわされた1年でしたそんな感じでしたので俺が悪いのか?という疑いもあり走りも迷走2度のコースアウトと数度のスピンをやらかしました
やはり、自分自身を律する必要があるようです。

2016年   ゴールドカップツーリングカーレースの最終年だと言う事で全戦参加を目標にたてる。清水の舞台から飛び降り、いまだかつてなく諭吉を投入しno32を魔改造した。しかし、結局フル参加はかなわず、マシンは大幅にタイムUPできたものの本番で性能を発揮できず竜頭蛇尾。まぁ、でもそれは望外に速くなり高望みしたからそう思えるのであって、300km耐久も完走したし、タイムも未知の領域に踏み込めた。ap86にしてはまずまずだったじゃないのかな?

2015年   昨年の借金返済とHANS&メット購入で首が回らず、10月に何とかレース参戦。そしたら運よく表彰台登壇!13年ぶりでした。
妻の許可も出て耐久にMRチョキさんと組、フルスペックSAMな体制で参戦!
結果リタイヤでしたが山あり谷あり濃い1年でした。
        

2014年    ほぼ1年かけて86ハコ替え、ほとんどDIY。2月シェイクダウン、以降低迷トラブル多発7月ゴールドカップ復帰!11月GC耐久参加、12月自己ベスト9年ぶりの更新!山あり谷あり非常に濃い1年でした。


2013年    レース予選でタイムを出したいがために先行車を追走し、結果大クラッシュ、全損。2月頭までは順調だったのにその後86の調子が悪く修理の連 続。練習も思うように出来ず、レース日を迎えた。さらに当日朝車検直前に燃料タンク漏れ発見でテンパリまくりだった・・・。直後はやめようかと思た・・・

2012年   初めて他人の車でレース参加。新境地を開拓できた。その間1年かけて86は修理する。


2011年    1年かけて86修復。路面が変わる前に自己ベスト更新ねらい攻めた。結果ブリッジ下左コーナーでアンダコースアウト、ガードレールに激突、フレーム く の字に曲がり修理と乗り換え、それともやめるか悩む。(単独クラッシュ)


2010年    レース前日練習の夕方最後の枠で2コーナーイン巻き込みクラッシュ、リズムにのってきてどんどんタイムUPしていたので調子にのりすぎる(単独クラッシュ)応急処置で翌日レースには参加。ハンドリングベストではないが楽しくレースできたしかし後日、点検してみたらフレームにダメージが及んでいた。


2009年    スーパーGT前座レース
1ヘアピン進入でインをさすも接触。相手は長年のレース仲間、家を買うためレースは今回が最後だと語っており、本レースでのホイールは彼から借りた物だったのに・・・一瞬の判断ミスで彼をリタイヤに追い込み、私は完走したものの失格の裁定をくだされた。結構86も調子よく、前座レースであったため熱くなりすぎたのかも・・・初めて、自分が”当てた” 方になった。


2008年    スーパーGT前座レース
ただ、参加しただけ。S-GTを内から観戦するため。練習         不足、資金不足、退屈なレース。無事完走。


2007年    レース参加せず。子供は4人になりスウィートテンな贈り物をした関係で金欠。スポーツ走行3本にとどまる。


2006年   1月、自己ベスト更新、3月レース、ミッション不調でシフトミス多発、オーバーホール決意ついでにエンジンも92後期へ載せ変え、迎えた11月のレースは予選3位、86勢トップ、決勝はタイヤ選択ミスでドベ。


2005年   上位集団とからめた楽しくも激しいシーズンだった。


2004年   ゴールドカップ他、耐久に参加したりして、近年では1番走ったシーズだった。


2003年   レース2回参加、うち1回はJGTC前座、そのレースで同じ車両から左右1回づつ、インから当てられる!ドアぼこ凹!レース後殴り込みに行ったな・・・


2002年   ゴールドカップ2回参加、3位表彰台1回、耐久レース参加。


2001年   レース1回参加、PSS耐久レース参加。


2000年   レース1回参加。雨中のレース、まずまずの所を走行中、はじきだされてドベ。殴りこみに行ったな・・・


1999年   SP走行のみ、他人の86でPSS耐久参加


1998年   2月結婚、3月 86納車 9月始めての走行、2分28秒だった。


1997年   マーチ最後のレース。MINE JTCC前座。練習もせず、前座       レース楽しんだ。


1996年   マーチレース参加。最高位7位。接触すれすれ(した)のぎりぎり       バトルが楽しかった。
 

1995年   11月、SA22CサバンナRX-7、締めくくりのつもりで攻めるも最終コーナーで昇天翌年はマーチレースが決まってたし、AP閉鎖も決まってたので最後の思い出に攻めたのが間違いだった。(単独クラッシュ)10月、耐久レース参加。しかし涙の予選落ち⤵ 参加55台!予選落ち10台の今思えばすごいレースだった                              
5月、スポーツ走行、1コーナー進入で私イン、御相手MR2SW20アウト側で接触。板金だけで治る軽傷だったが御相手の方はかなりへこんでいてお気の毒だった。一瞬の判断ミスでやってしまった。明らかに自分の方が速かったので私のミスだと今でも思っている。(接触事故)


1994年   SA22C、FISCOと箱根国一がホームコース。
箱根でよく事故った。それも明日がFISCO走行会って日が多かった気がする・・・


~1993年?  FC3S、最後は富士見パークウェイで昇天、土屋圭一のJSSFISCO映像を見て熱くなりすぎていたような気がする。他に2回ほど事故ったが、新しいパーツをつけた時、先輩が横に乗ってたときだった。いいとこ見せようとしてたのか?パーツのおかげで今までより速くなってリスクが高まったか? とにかく未熟だった。 


今年はap86らしくないシリーズフル参戦となりました
狙ったものではなく、結果的にそうなったというのが事情です
VITA混相で華々しく開幕した第1戦。
客観的に見て絵になります
レーシングスポーツカーとツーリングカーの競演
ルマンや昔のGTカーレースを彷彿とさせます
実際にグリッドについたマシンたちを見た子ども(小学生)はカッコイイと喜んでいました。
ですが第2戦、3戦は別枠、なのでそれぞれ寂しい台数のレースでした。
今年、問題、話題となったVITAとTCの混走、続けるべきだと思います。
諸問題あり、中でも私のようにVITAとTCでからんだ場合の安全性の問題は非常に厄介ですがここは何とか、いい知恵を出し、継続の方向で行ってほしいな…と
一ファンとして思います。
今年最悪の、VITAとTCのクラッシュをやらかした私が言うのもなんですが…

年の瀬も近い12月14日、ツインリンクもてぎで残念な事故がありました
S-FJ同士のクラッシュ事故で1人の方がお亡くなりになられました
これも私の心にぐサリと刺さります。
やはり、質量が違うTCとVITAは究極は分けて走るべきなのか?
私のケースでも、もう少し正面寄りで衝突してたら、VITAに乗りあげ、ドライバーの正面に突っ込み、大変なことになっていたのでは…と



頭書に書いた
浮気…
昨年のシリーズが優勝で終わり、こんなことを考えていた
86をお金に換え、RX8を買う
RX8を買うにはそれしか手はない  と…
しかし結局、そうはせず、86は調子悪くもレースに参加し、レーシングスピードで走る楽しみを私に与えてくれた。正直夏場はあまりの遅さに閉口したがグリッドに並べる事をモチベーションに出続けた。
そうこうしていると父がクルマを買い替えるタイミングになった
私は冗談半分で「RX8買わん?」と提案したらなんと!父はその話に乗ってくれたのだった!
期せずして、RX8を手に入れた(父のだけど、十分)私
つまりはAE86を手放す必要はなくなったわけだ
だが… クラッシュは起きた
そんなの、関係ないに決まっていると思う
日が経ち今は、
商売も順調じゃないのに調子のんなや! とか、
来年は大学生の娘のために少し我慢しろや!  
という神様仏様のお告げかと思ってます
やはり私には、大事な物、者、を一度に複数持てる資格は与えられていないようです。



こうして簡単に振り返るだけでも・・・
事故ばかりやってた青二才な走り屋時代 1993~1995年(21~23歳)
安定期?かな?私生活でも、みを固めた レース事故もなし 1996~2008年(24~36歳)
転職、住まいも変わり、不安定期か? 走ればやらかす 2009~2013年(37~42歳)
そして、活動絶頂期か? 2014~2018年(43~46歳)
昨年末、良い思いし過ぎで翌年がコワいと書きましたがなんと何とその通りになってしまいました泣 
私は相当凹んでますが周りの仲間は
「いい時もあれば悪い時もあるバイ、去年優勝やったきいいやねえかい」てな感じです。そうかもしれません。
受け入れがたいですが、やはり人生、いい時もあれば悪い時もあるようですね
でもただ、クラッシュに相手がいて、その方の方が被害がひどいというのはなかなか萎える状態です。。。

来年?現状ではメカニック、オフィシャルとしてはフル参戦するつもりですが自分がハンドルを握るというのは今のところないように思います。
それはけして引退とかではないですが今は自分をそっとしとこうという感じです

来年もオートポリスの盛況、皆さまの健康ご多幸を祈りつつ
去っていく2019年、令和元年を見送りたいと思い、自分を律したいと思います

プロフィール

「今日は高中のおかげで良かった笑 http://cvw.jp/b/476106/47576887/
何シテル?   03/08 16:10
貧乏、暇無し、子沢山の銀輪、四輪乗りです。
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