「鎌倉殿の13人」、ゆかりの地を訪ねて。
長沼宗政 編、その2。
「長沼八幡宮」を後にして向かったのは
長沼宗政ゆかりのお寺
「宗光寺」と
「長沼淡路守宗政」のお墓。
「宗光寺」の駐車場にクルマをとめて。
「大門」へ。
明治の大火を免れた建物の一つで、1832(天保3)年建立。
屋根が変わっているなー、と思ったら
大谷石の石瓦葺きでした。
石瓦+苔の迫力たるや。
先ほどの地図で気になった
「薬師堂」からお参りしましょう。
この細道の先に。
すばらしい景色!
ちょっと感動しました。
「宗光寺」ご本堂へ。
「宗光寺」は
848(嘉祥元)年、慈覚大師・円仁により、
関東の比叡山として開基。
その後、1190(建久1)年に
長沼宗政が
源頼朝の本願により
鎌倉大御堂を遷し、新御堂を建立。
中世において
喜多院(川越市)、
金鑚寺(埼玉県児玉郡)と並び、
関東の3大学問所として
関東天台宗寺院の頂点に立っていただけあって
関東十八檀林に通じる、格式・豪壮さを感じます。
(近世では、関東二僧正寺の一つ、
また天台宗十檀林の一つとして隆盛を極めました。
宗光寺は、
長沼談所として
中世より近世に至るまで、
僧侶の教育機関である談林だったわけです)
宗光寺は僧正寺の格式も有し、
天海さんも
1609(慶長14)年、ここ宗光寺で
権僧正に昇補しています。
(
1603(慶長8)年、宗光寺に入山した天海さんは、
翌年、宗光寺二十世の法統を継ぎました。
その際、法弟弁海法印への返章で、
宗光寺について次のように述べています。
「謹答当山は
帝王の御願寺、
源頼朝の再興になり、
東関諸精舎の冠たり。
善知識(高徳の僧)でなければ住することを得ない。
まさしくそれは、獅子の窟中に他の獣が住めないのと同理である。」)
本堂を左側に折れると、
何やら「土塁」が。
立ち入り禁止の先には
「堀跡」のようなものも。
そう、ここは
長沼氏が
長沼城に移る前の
居館跡なのです。
ちなみに「長沼城跡」は
稲城
長沼駅と稲城駅の中間にありますね。
寺務所でご朱印をいただきましょう。
このお寺には、
強欲だった村人の亡骸を奪いに来た鬼を
時の頼真僧正が法力で退けたという
「鬼の爪」伝説があります。
その際、
鬼は
頼真僧正の独鈷に噛みつきましたが、
法力に負けて
爪を落として退散した、と言われます。
食いちぎられた「独鈷」と「鬼の爪」は、現在も同寺の秘宝箱に現存しています!!
大迫力のご朱印、拝受!
長くなりましたので、
「長沼宗政」公のお墓参り、に続く...。
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神社仏閣 | 日記
Posted at
2022/12/31 17:36:33