さて,高丘です。
今日は体力保てば何本か連発しようかなあと。
まず……
3月も末に突入しかけておりますが,うちの妹が某大手企業で働くため28日に大阪へ旅立つことになりました。
レモン「遂に行くんだ」
と言っても,これは研修らしく3ヶ月だけなんだそうです。関西人が関東に来て,関東人は関西に行くというシステムなんだそう。つまり3ヶ月後,果たして関東に帰ってくるのかはたまたとんでもねえところに飛ばされるのかは神のみぞ知るところなんだそう。
ちなみに,親とオイラの冗談半分な希望としては……
父親:関東の海沿い(釣りに行く時便利だから)
母親:石垣島店(あるんだそうなwww)
オイラ:茨城県内(説明不要)
レモン「ゲスすぎるだろうお前ら!!!」
まあ冗談だし…(開き直り)。
といはえ,どちらにしろ高丘家は初めて3人体制(※父方祖父母除く)となります。
シャロン「一番一人暮らししたいのが目の前にいる気がするのはなぜかしらねえ~」
いや最近はそうでもないんだけどなあ……。
レモン「うちらが実家から離れるメリットが単純に車庫と武器庫の関連を解決する以外ないからねえ。それに車庫の方はある程度緩和できそうな兆しがなくもなくてなあ……」
まあそんなことはいいとして…。
で,それに伴い今あるうちの妹の部屋は本人の希望と4人でも狭い家に父方祖父母という問題を緩和するため,28日付で廃止されることが決定しています。
これにより不要となるものはいくらかあるんですが,高丘さんは学習机を引き取ることになっています。無論,老朽化した机を置き換えるためです。
みほ「机が2つもあるしね」
そうです。廃止されるのは旧机と今この日記を書いているパソがある机の2つなんです。旧机は作業(つまりミニ四駆の建造整備ライン)及び収納,パソ机は無論パソだけという使われ方をしてきたんですね。結果,部屋が更に狭くなっていたというwww今回を機にこれも統合しちゃう手はずとなっています。
なので今日はその旧机の中から不要な本を出して売却する作業をしたんですが,その際に懐かしいものが数点出てきたのでご紹介しようかなあと。
まずはこちら。
レモン「写真か?」
シャロン「浦山ダムですわね」
みほ「この子もしかして」
自分だ。
レモン「こんなに痩せてたのか」
それNGワードじゃゴルァ。
かなり大昔の写真です。写真立ては当時,これを飾るために自分が作ったものです。で,これがマニア受けしそうな内容なんですねえ。
シャロン「なんだか水面低いですわね…」
みほ「ダムがなんだかきれいな気がするね…」
そう,見ることあっているぜフロイライン。なんせこの写真……
1997年8月23日に撮影された写真なのだから。
シャロン「えっ!?ということはまだ建設中の!?」
みほ「何かのイベントで撮ったのかなあ?」
本格運用開始は1998年の4月だから,本当に出来たての頃の写真です。この時は試験灌水中で中身はまだ工事中。当然,見学用のエレベーターもその施設もありませんでした。
それにこれはイベントですらなく,普通に工事中の中を巡った最後に撮った写真でして…。当時,知り合いに中の人がいてダム好きだった自分に『夏休みに来なよ!!』言われてワンツーマンで案内してくれたんです。中身,特に発電所の方はまだ5~6割程度の出来だったんですが,制御室は殆ど出来ててこれがかっこいいのなんの…。
ちなみに今その人は三重にいて今も現役のダム男です。長年会っていませんが,今でも年賀状が届きます。夫婦と息子さん2人だったっけなあ…。
次。こちらも貴重な資料となり得るものです。
パレオエクスプレスの写真集。
シャロン「また古いものですわね…」
状態悪いので恐らく価値が有るものだとは思わないが,資料としては優良。
なにせこの通り。
レモン「生まれる前じゃないかwwwwww」
直前だにょ。
それにだ。この監修の財団が貴重なのだよ。
シャロン「財団?」
そもそも秩父鉄道のものじゃなかったんだよこの列車。
レモン・シャロン・みほ「そうなの?」
もともと,パレオエクスプレスは88年に行われたさいたま博というイベントの記念列車として企画され,この埼玉県北部完工振興財団というところがC58を所有,秩父鉄道に貸し出される形で運用されていた列車なんです。これが好評だったのでイベント後も運転が継続されましたが,途中で財団は解散。今度は秩父市の所有となってやはり運転が続けられ,完全に秩父鉄道の物となったのは21世紀になってからの話だったりします。
…ってここまで説明する必要はなかったかな?
レモン「え?」
だって
このさいたま博,鉄道ファンにとって地味にネタが多いイベントだったんだよ。なんせ現在,熊谷スポーツ文化公園である会場を……
これのご先祖様と……
これと真っ向からタイマン張った野郎(絶賛敗北)が共演してたんだからwww
レモン・シャロン・みほ「何やってるんだ埼玉……」
正式名称『'88さいたま博覧会』。今や知ってる人のほうが少ないイベントですが,バブルらしく十分に狂気をはらんだイベントだったであろうことは想像に難くない…。
レモン「んなことやってないでパレオエキスプレス見せろや。本編あくしろよ」
ほーい。まずはこちら。
表紙ととあるページなんですが…。今のような外観ではありません。
当時の蒸気機関車といえばこれくらい装飾盛っているのが普通。オリエント急行来日前夜であり,ジョイフルトレインもブームでしたから…。それに今とは違ってJR東日本から借りた旧客使ってたりしたんですねえ。
こっちのほうがカッコイイ(禁句)。
そして当時は……
このように補機がいたんですねえ。今ではC58がよほど調子が悪い時に行われる形態ですが,当時はこれがデフォ。それに今みたいな専用塗装のデキ200なんていうわけでもなかったんですねえ。
やっぱりこっちのほうがカッコイイ(禁句)。
親鼻の写真もあります。今とほとんど変わっていないように見えますが,真ん中にある建物は現存していません。空き地になっています。
やっぱり当時のほうが見栄えいい(禁句)。
そして最も絶頂を覚えるのがこちら。
堪らんでしょう?最高でしょ~?
すさまじいショットです。C58に8000に4000です。それに4000さん若すぎます。現代っ子に見せたら頭が狂うような光景でしょう。こんな時代もあったんです。当然覚えていませんがwwwwちなみに西武乗り入れ開始は1989年で東武乗り入れは1992年が最後なので,3年という短い間しか存在しなかった光景です。貴重ってレベルじゃない。
巻末と当時のダイヤです。やっぱりC58らしく東北走りまくってますね。そんな懐かしい……いや懐かしくはないかもしれませんね。斬新のほうが勝つかねえ…。
レモン「女子高生がプロペラ機を懐かしいと言って,F-15もしくはF-16を最新鋭と思うのと同じかね」
そだね。そんな
古くて新しい一冊(ただし幼少の高丘少年の読み過ぎにより状態最悪www)のご紹介でした。
では1曲。
こんなの読みふけって今やどうしようもないゲス&ダメ人間に育った自分です。今宵はですねえ……
いっそ最低の選曲
でお送りしたいと思うんですよ。いいですか~?いいですね~?
となればキリンジ一択です。まあこの曲はその中でもまだ甘口ですが。深く考えずにお聞き下さいましwww
キリンジで恋の祭典