2015年09月26日
34との接点。
ども,高丘です。
まずは体調不良の件ですが,ご心配おかけしました。
内容はつぶやいたとおり胃腸炎。
最大の体温は38.5度。当然下痢。それは今でもそうですが,回数の面では落ち着きました。
ただ今回それ以上にひどかったのは頭痛と腰痛の方でありまして…。後者は前々からキツかったのが寝過ぎでトドメを刺したことが要因。ただそれ以上に頭痛がひどかった。眠れないほど。
つまり相当苦しい二律背反に迫られたということ。眠りたいと眠れないの狭間。それの適正露出,足し算引き算結果はどうなる?そりゃあ答えは睡眠時間0時間だ!!!
そしてこれらは処方箋の薬も効かない。しかしどうにか土曜日には会社に出られるようにしたい。
そこでしょうがなく,ある程度の寿命を引き換えにとある秘術を使い……
レモン「ボルタレンだな」
シャロン「ああまたあの無茶を」
みほ「前回の胃腸炎も確かそれで無理矢理…」
※ボルタレン:本業は超強力な痛み止めであり,父親が坐骨神経痛用に使っているヤツ。
無理矢理に痛みと熱を抑え……
レモン「前回のアレは狂気の沙汰だったもんな」
シャロン「39度が12時間後に36.5度まで急降下したとかなんとか…」
みほ「関節痛はそれより短く撃破したような…」
今日復帰しました(コラァ。
※特別な訓練と幼少の頃からのシバキを受けたニート生理的になれない家系の長男が行っています。絶対に真似しないでください。
というわけで今は8割くらい通常です(元気だとは言ってない)。明日も平気で出勤するのでご心配なく。
あともう一つお知らせですが,来月の日曜休みシフトがやんごとなき都合で全シャッフルになりそうです。よって大洗行きなどの予定が全く立てられなくなりました。確定し次第お伝えします。
ただし浦山ダムである18日は現時点で防衛線を幾重にも立てておいたので,どうやっても休みになる(はず)です。ご安心ください(誰向け?
前置きが長くなりました。
さて,今日のニュースからひとつ…。
山本昌引退ですね。
恐らく,みんカラ開闢から当アカウントとお付き合いいただいている方は『高丘さんどちらかというとパ・リーグ派だよね?』と思う方のほうがひょっとすると多いんじゃないかなあと思います。もしくはそもそも『野球興味あるんかい?この人』くらいでしょうかねえ。
ですが,ここでひとつ自分から質問。
高丘さんの好きな数字は何?
となると大体の方は『4』とお答えになるはずです。そしてその理由をだいたいみほだとお答えにもなるはずです。もしかすると2097という方もいらっしゃるかもしれませんが…。
いやいや,実は4だけでは足りないんです。3が足りないんです。
高丘さんの好きな数字で一番歴史が長いのは『34』なんです。
そしてその由来はこの山本昌という選手になります。
※そこを敢えて金田正一とお答えになられた方へ。不正解ですが最高に素敵な不正解です。座布団1枚では到底足りません。同時に痛車適性ありであるならば浦山ダム前日にまめちゃん家でお会いしましょう(ォィ
さて,ではその『中日の』34番との出会いはどこか?
ある意味この人だからこそだと思います。
小学生時代に買った今はなき影森の本屋『エイト』にあったRCワールドでした。
レモン「わかんねえ…。オイラでもそこはわかんねえ」
昔のお,影森のセブンの隣りにあったんじゃよ。
一同「!?」
そう言えば,広坂正美も全盛期でしたなあ。その頃ですよ。最後のページがヨコモのMR-4TC無印の頃です。1/5のエンジンカーが一部の高級層に流行った時代でもあります。そうそうゼノアといえば高丘さん未だにそっちの方が違和感ないんですよ。当時のケイホビーにあったCLK-GTRはカッコ良かったなあ~…。
で,高丘少年はだいたい父親のせいでタミヤのTL-01を持ってたんですねえ。まあ見事に下手でどうしようもないんですが(今でもだが…),それでもRCワールドは好きでした。なぜかって?
『アラブルカトラブルカと山本昌の連載が好きだった』
これです。そしてこれが高丘さんの中日好きにコケていきます。
そうです。高丘さんの野球はこの野球とは何ら関係のないところからスタートしています。
それまで野球のチームなんて巨人,阪神と西武とダイエーくらいしか知りませんでしたもの。まだ本拠地だった頃のナゴヤ球場はテレビでギリギリ見たことはありましたがね。
それから数年経つと,従兄弟が64とパワプロを持って遊びに来るようになりました。これで高丘さんは中日しか選ばずプレイしていました。無論,最初から知っている選手は赤い四角に『山本昌』実質一人だけ。そしてここから選手としての山本昌という人を知っていきます。中日というチームごと。
レモン「ああそこからなのねパワプロ」
だってこのパワプロさあ,中日のエース扱い選手がすごいんだもん。
レモン「え?」
川崎だったんだぞ?
レモン「ファ!?」
山本昌は確か2番手。川崎が移籍してきた初年であの悲劇の始まり直前だったんだよ。他球団に目を向けるとカブレラ(正確にはキャブレラだった)とマクレーンがまだ新外国人でヘボ性能だったんだにょ?
一同「ファ!?」
ちなみに自分が初めて買ったパワプロは確かPS2版の8決定版。その時のエース扱いは野口だった。山本昌は3番手くらいだった気がする。クローザーはギャラードね。岩瀬は当然リリーバー。ゴメスもジャイアンもまだいたし,久慈がテルだった。
レモン「いろいろ言ってもらったそばから悪いけど,そこからもう野口という苗字に縁があるのか…」
全くね…。
つまるところ言うと,既に山本昌の全盛期ではなかったんです。ですが,間違いなく一番印象的でヒーローだった投手でした。そして全盛期ではなかったにしろ,それでも強い投手。あの変なフォーム,その割にはというレベルじゃないほど遅い,だけども凄まじく延びる超回転のストレート,そしてスクリュー。そしてキャラねwww
だから自分はどちらかと言うと山本昌が下降線を極めてゆっくりとしたスピードで下ってくる中を見てきたことになります。よってこの人を語るにはかなり邪道かもしれません。
日が経つにつれ,監督が山田さんから落合さんになり確かに日本一へ向かっていきます。しかし当人は段々と登板数を減らしていきました。日本一の年は2勝10敗です。達成したか否かに関わらず,いろいろな記録で語られることが多い人ですがある意味,一番悔しかったのはここだったんじゃないのでしょうか。
そんな山本昌,青の34番が引退となります。そう言えば自分の知る中日選手で現役という選手は大変少なくなったものです。同時に弱くもなりました。まあいずれこうなることは自分自身も当時の時点で予想はしていたのでさして驚いていませんが,寂しいものではありますねえ。
引退後,我らが昌さんは何するんですかねえ?ラジコン復帰?クワガタコレクター復帰?この人らしいです。自分は恐らくこれで一時は住みたいとすら思ったくらい憧れた名古屋とそこにある球団との縁がひとまずゲーム終了となりそうですが,山本昌という人とは縁が切れそうにはありません。そして何より『34』という数字は一生頼れる数字になるのは間違いありません。
みんなの昌さん,お疲れ様でした。これからもよろしくどうぞ…。
ブログ一覧 |
日記 | 日記
Posted at
2015/09/26 22:15:00
タグ
今、あなたにおすすめ