ヲッサンが初めてパソコンなるものに触れたのは、大学生協に置かれてた富士通 FM-7だった。ちょうどポートピア殺人事件が話題で、それに引っかかるカタチで、友人の数人は FM-7 か PC-8801を買っていたが、その当時のヲッサンはオーディオ & CDにかける出費が大きく、そこまでオカネが回らなかった(^^;
そんな人生w に転機が訪れたのは、働きだして余裕ができた 90年代。
オトトが大学の研究用で PCを購入 → EPSON PC-386M がやってきた。それに乗っかってシミュレーションゲームなるものを買ってみた = 大戦略II。これにめちゃくちゃハマってしまったのが散財の始まりw マジで大戦略IIに出会わなければ、今の PC天国と地獄w はなかったはず(笑
■EPSON PC-386M (1991) + 1MBインターフェイスボード & 5inch FDD
当時、日本パソコン界の覇者だった NECの互換機で、大体 10万程度は安かった。
ハードディスクなんてのは高嶺の花で、フロッピーもまだまだ 5inch が主流。コピー用などで 100枚単位で買ってたなあ。
・業務機っぽく電源にロックが掛けられたり、互換性確保のため 16MHzのクロックを「落とせる」仕様だった。
・正直、大戦略IIをやるために買ったようなもの(笑 マシンパワーが低い(386SX 16MHz)ので、
相手(PC)にマックスまでユニットを設置されると、ターン終了まで 30分ぐらいかかった(^^;
・マスター・オブ・モンスターズにもドハマリ → セーブファイルをTEXTで開けて分析、
バイナリファイルを手で書き換えるとかいうチートも(^^;
→ こういうのは、後の Finder(Mac) でもやったなあ…
・まだまだ 5インチFDは現役だったので、ドライブも完備
■EPSON PC-486GF (1992) + FM音源 + C-Bus用SCSI HDD(80MB)+ 8MBメモリーカード
386Mを下取りに出したりイロイロやりくりしたものの、やはり 10万円高の GRには手が出なかった。なんせ実際のトコ、ド高いゲーム機、という状態だったしね(^^; 386SX → 486SXとグレードアップ、もう大戦略の速いこと、それだけで満足(笑
・当時はメインメモリ 640kbの中でどうメモリを確保するかが重要、EMSでメモリを拡張したり、
HighMEMにシステムの一部を逃したり、RS-232C(通信関連)を外したり、と Config.sysを
どう書くかが腕の見せ所だった(笑
・DOS上で余ったメモリはRAMディスクに流用、読み書きの速さにカンドー
・周りはみんな一太郎だったが、ヲッサンはP1.EXE。FEP(今でいう IM)のDFJも優秀だった。
■NEC PC9821Bp (1993) +ODP + グラボ GA-1024A + CD-ROMドライブ
+ IDE 340MB & SCSI 240MB HDD
Windows のために買った国民機w 486DX搭載で CPUパワーはそこそこあったが、グラフィック性能はポンコツ(^^; グラボを導入してやっと使い物になった。スクリーンセーバーのアフターダーク スタトレエディションがクールだったなあ。
最後は Mac を買うための資金としてドナドナ。
・今なら意識のしようもしない機能だが、Windows上のソフト間でデータのコピーが出来る、
プリンタがどのソフトからでも使える、というのが画期的だった。
・当時 外付けSCSI HDD 240MB が10万弱と、今から思うととんでもない金額。
まあ、メモリも 1MB 1万円だったし(^^;
・Pentium ODPを導入したものの劇的な速さを体感できず、改めてサイリックスのアップグレード
CPU 5x86を導入してみたが、ハングアップして動かない → 5万を無駄にしちゃった… とかいうのは
当時のあるあるだった(^^;
■NEC PC9801BX3 (1995 まだある)
親父の自営業用マシン。電算写植の入力用で、ワープロからのデータ変換〜電算写植入力に使われてた。DOS専用マシンだったので、設定はヲッサンが実施。
・あるDOSソフトのマニュアルに、上記ヲッサンが書いた Config.sys / Autoexec.bat の内容が
書かれてた(^^; 多分問合せ時にマシン環境を添付したら、ソフトメーカーがそのまま抜いたんだろうなあ。
ま、その頃って何でもありだったし(笑
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Posted at
2020/06/18 21:54:13