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高丘満方@タカダケのブログ一覧

2011年05月23日 イイね!

白内障回顧録後編

最終回です…。

そこは当初自分はスズキディーラーだと思って入りました。面接の時に「うちは全社やるよ〜」と言われていたんですが,それでもスズキが9割だろうと…。そう思っていたわけなんですね。違いました〜…。

・スズキじゃない比率が想像以上に多い=なんでもかんでも入ってくる。
・日曜日に凄まじい量のスイフトが来る。

なんぞやと。というよりスイフトってなんぞやと。3年バイトで働いていたガソスタの店長婦人がレンタルで乗っていたオレンジのZC●1S(型式はわかりません。31Sでないことだけ確か)に一度だけ乗った以外全く思い出のなかった車。それが土日にワンサカ来る。しかもデモ車?なんなんだ?と思って会社帰りによって買ったのがスイフトマガジンVol.2。驚きました。

・雑誌にしっかり名前が載っている…!!

世の中わからないものです。入った会社がスイフトの全国級ショップだった…。そう言えばスバルも軽を撤退してしまう…。ならばいっそのことスバリストから一線を退こう。そう感じたオイラは生まれてずっと進んできたスバリストの道を去ることを決め,タイヤの数関係なしの鈴菌フル感染者にくら替えすることを決意しました。染められるのはあっという間でした。そして数カ月後におなじみ上司Yさんに頼まれたのは痛車の担当やらない?だったのです。気づけば名刺もクルマ(←レモンのこと)も出来ていた…。ってここまでほとんど白内障の話をしておりませんねえ。そう。

気づかなかったんですwwww

右目が白内障もなく健康そのものだったのも一因でしょう。気づくきっかけとなったのはまさに今年。2011年は最初から厄年。新年早々,廃油ストーブの点火に失敗して顔面やけどで1週間リタイヤ。3.11直後にインフルエンザでダウン。停電の中を過ごしました。ここでやっと白内障に気づくきっかけがやってきたのです。風呂場で鏡を見ていたら

「あれえ?左目がなんか白いなあ」

ただ周りの壁紙が白。これが映っているだけだろと思いその場をスルー。しかし白内障への不安はどんどん大きくなっていきます。ここでずっと寝ていた我が左目の神経が復活。翌日レモンを運転していると

とにかく左側の世界が眩しい!!!見えない!!!気持ち悪い!!!保坂

仕方ないので専務さんに事情を言っておおのはら眼科に。もう行った瞬間から異常事態。とにかく驚かれるだけ。

「家族いる?もう駄目だよ。今年中に確実に失明するよ」

「というよりなんでここまで白くなってるのに気付かなかったの!?」

すぐさま防衛医大の紹介状を書いてもらい,会社に連絡。翌日手術が確定し今回の手術に至ったわけです。

というわけで3年の感想。

何より人間が生物であること,そんじょそこらにいる狸やらトカゲやらとなんら変わらんことを体感したことがひとつ。トカゲが尻尾切って逃げるように,我が神経は自身が気づかないうちに左目を見捨て右目のみを生かすという手段をしっかり選んで3年間を過ごさせたわけです。3年間全くなんの支障もなく過ごせたことにとにかく自分は驚いています。

しかし結果,このフェールセーフ機能(正しく言えばフェールトトレラントという表現が正しいけど)は左目を結果的に失明するかしないかの寸前へと追いやりました。自分の体なのに。同じ細胞で作られたものなのに全くもってなんの告知もなしに。まるで血のつながった親戚みたいなもんです。家系図見れば家族同然なのに実態は知らない。気づけば年を取り,また気づけば年賀状が届き,またまた気づけば訃報が来る。この親戚関係をどうにかするには?付き合いを多くするしかありません。自分と左目はまさにこの関係だったわけです。今はちゃんと1ヶ月に一回は診てもらうべきだったと反省しています。何しろ自分の場合はまだ右目が元気なんですから。当然左目も眼内レンズ=人工物を入れた以上面倒を見なければなりません。ここは付き合い超えて在宅介護です。自分はこの左目の一件により例の図書室予言は終末を迎えたと信じております。会社のためにも,家族友人親戚のためにも,そして何よりレモンのためにも生きなければ。少なくとも左目は今回新たに30年以上の命が保証されたわけです。これを全うしなければお医者さんにも失礼です。

恩は生きて返す。

この当たり前のことを社会は忘れかけていると度々聞きます。それに逆行して自分はこの言葉を胸に仕事へ復帰したいと考えております。

長文駄文失礼しました。これで我が白内障人生はひとまず終わりです。
Posted at 2011/05/23 14:51:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 白内障回想録 | 日記
2011年05月23日 イイね!

白内障回想中編

続きを…。(というより今の会社に入った経緯話が99%を占めることになりますが)

そんな中,専門学校生活が始まりました。毎日秩父鉄道。しかも職業訓練校なためカリキュラム密度が高い上に遅刻等の管理も厳しい世界でした。当時のオイラは今とは全然違って旧車好き。少しさかのぼって入試の時にこのスキルが発揮されました。面接の時です。

面接官Y先生(のちの恩氏の一人)「高丘くんはなぜ整備士になろうと考えたんですか?」
オイラ「はい。高校時代に旧車に興味を持ったのがきっかけで…」
Y「ではその車種は?」
オイラ「トヨタスポーツ800やコスモスポーツ,スバル360に…」
Y「それ全部高丘くんが生まれる前の前の前の車ですね…(絶句)
もう一人いた面接官「というより自分はこの子が何考えてるかさっぱりわからないんですけど!!??

自分は当時100%落ちたと思ったんですが,この異様な面接により合格したんですね。しかしいざやってみると厳しさがわかる物。一撃で旧車に走ることをやめました。代わりに走ったのが二輪車。当時のオイラ…というより就職するまで車の運転はとにかく下手でした。行った自動車学校では乗越回数・適正ともに歴代最悪クラスと言われたほど。そして普通の家庭にはない

厳しい車両規格設定が必須で入出庫に車両入替からルート・運転士指定まで存在する

という高丘家独特の車庫事情が二輪主義疾走のきっかけとなりました。この方針はほとんど成功。四輪とは違いもともと適正があったようで,乗越は卒検で偶然パイロンにヒットしてしまった一回のみでパス。クレアとKMXという2頭体制は素晴らしい能力を誇り,我が行動範囲を一気に広げました。これを頑固たる最強の体制とするため故障したカタナをゲットしレストアも開始しました。しかしこの体制は当時のオイラにとっては維持コストが莫大だったのです。車両価格とかを全く無視していざ走るための整備コストだけ勘定した場合,

現在のレモンの整備代<クレア・KMX保守費用とカタナ建造費用合計

なくらい。何より本職にするべきはずの四輪を手抜きすることとなりのちのち苦労することとなるのです。あの図書室予言のプログラムも当然RUNしたまま。このソ連末期並みの脆い体制に止めを刺したのが

リーマンショック

その直後,どん底へと突き落とす非情な通告がやってきました。

第一志望である某スバルディーラーの

今期募集全面中止通告。

このあと三菱とトヨタのディーラー2社を受けるもののことごとく落ちました。自動車を諦め,先輩の誘いを聞き入れて某所公務員の試験を受けるも寸前で落ちる始末。勉強態度にも乱れが出て,周りには高校時代並に迷惑をかけてしまいました。また謝罪です。すいませんでした…。

そんな中やってきたのが某スズキディーラーを名乗った現在の会社SAKM社=N商会が求人出すかもという知らせ。クラスメイト1名と取り合いとなった結果,自分が勝利し就職となりました。

スズキの二輪は言わずもがなに最高でしたが,当時スバリストのオイラ=超絶的なクローバー4信者だった当時のオイラとしては

「なぜスズキに…。軽自動車の元祖はスズキでもダイハツでもなくスバルであるはずなのに…」

と悔しさだらけでした。しかし…いざ入社してみると,そこは秩父で一番ファンキーな自動車屋さんだったのです。これが去年の4月。この時,我が左目視力はまだ0.5前後。目を細めれば文庫本がかろうじて読めたはずだったんですが…。

…続く。
Posted at 2011/05/23 13:58:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 白内障回想録 | 日記
2011年05月22日 イイね!

白内障回想前編

ども。白内障の我が3年間を回想します。

なったのが免許とって直後,整備士の専門学校(正しくは職業訓練校…って言っただけで確実にどこかはバレバレなんですが)入る直前。ガソスタの計量器にある銘板が左目では見えなかったことから始まりました。

当時のオイラはメガネをかけたかったんです。髪も今の2倍はもっさりしていました。まあ結局は自分の髪の長い状態=まんま某収監されちゃう元天才実業家の生き写しになってしまうため駄目だったんですが。それにメガネを…と。我が父親の家系は全部メガネ。弟こと妹もメガネ。つい最近まで養子じゃないかと疑うほど両親に全く似てない=隔世遺伝の塊と言われていた自分にとっては

やっと親の子らしくなれるんじゃねえか?

しかも自分の志望先にシンクロ率400%の資質を持っていた父親型の血を…

という期待があったわけです。期待で胸はずませながら秩父はおおのはら眼科へ行ったわけです。しかし…それはもっと親に似てないどころか隔世遺伝の塊ですらも計算外な診断結果だったのです。

左目:白内障

自分は当時知らなかったのですが周りは驚愕しました。なぜそんな年寄りな病を患うんだと。真っ青になりました。要するに癌と同じ。いずれは目を死に追いやる病だと。しかし自分は少し考えただけでこのことに納得したんです。我が一生で忘れられない事件があります。

2002年7月19日。

自分の世代だったら夏休み直前!と喜びそうです。川瀬祭りも時期だったしね。しかしこの日はどんな日だったのか?それは

本来自分がこの世を去ることになっていた日

だったんです。自転車に乗っていたところ車に横から轢かれたんです。しかし自分は車のフロントガラスを貫通寸前レベルまで破壊し何度となくアスファルトに叩きつけられたにも関わらず,アスファルトに頭がヒットしてなかった結果生き残ってしまったんです。当然その場では死亡予定日だったことはわかりませんでしたが,すぐに事実ははっきりしたものとなっていきました。

中学校では小学校時代ワルさしたツケがいろいろと回ってきたり,高校時代はクラスに味方が1〜3名くらいしかいない日々を過ごしました。精神的にまいってしまう日々を6年も過ごしました(※当然全て自分の責任。ここで改めて当時の方々に謝罪致します。申し訳ございませんでした)。高校での逃避先は図書室。そこでいろいろと考察しました。結果2002年7月19日に本来死ぬわけだった,つまりは現在その反動=正常に死ななかった罪を償わされている…もしくはそういう精神状況を望み自ら本能的に死を急いでいるという結論に至ったわけです。当時生きることにも消極的になっていた自分は

「30までには死のう。死ぬなら早いほうがいい」

と心に決めていたわけです。ただ自殺はしませんでした。なにより後処理面で不都合と考えたんでしょう。とはいえ当時のストレス量からすれば30までには精神面を超えて肉体的にも確実に破綻するだろうと計算していたに違いありません。

そしてこの白内障。全ては高校時代の図書室予言に沿ってことは進んでいたのです。今まで我が白内障は原因不明と申してきましたが,考えて見ればこれが原因なのではないかと思います。アメリカで自身のがんを精神面から治した少年の話を聞いたことあるんですが,その逆で自分は精神面から死を急いだ結果,体が自動的に白内障を発症させたという予想をしても問題はないでしょう。あともうひとつ思い当たるフシがあるとすれば小3の時ソフトボールを左目にヒットさせたことがあるくらい。医者にはこのソフトボール話をしていたんですが,進行度合いを考えると原因であることは十中八九無いでしょう。

※ここで秀逸…というのもなんですがイカス点は白内障という一度なってしまうと回復不能な病をジャストミートで選んでいるという点ですね。ここは我ながら面白いなあとを感じました。

当時の視力は0.5〜0.6のラインをさまよっていました。これもおかしい話で免許取る前はもっと上だったはずなんです。なぜならこの年の学校検診では1.0だったはずなんですから。ソフトボールのような思い当たるフシもありません。図書室予言原因説が更に濃厚にwwww

とはいえ免許剥奪は免れる視力。結果的にそのまま整備士学校に入学したんです。

…続く。(明日書きます)
Posted at 2011/05/22 09:48:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 白内障回想録 | 日記

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