2011年05月22日
どもども。
白内障回想録シリーズはのちのち明るい話題になっていく…はず。最大3記事の巨編になる可能性があります。まあご辛抱願います。
さて,入院している間に我が高丘家の居間にあるレグザにHDDが導入されたことはお話ししたかと思います。どうもうちの弟こと妹の誕生日プレゼントという名義で予算編成組んでたみたいです。それでもかなりの高額ですが…と言いたいところですが去年自分は自分にレモンという更に巨額の(ry
弟(←オイラよりも漢らしい妹なので普段は弟と呼称。以下弟で参ります)のプレゼントという名義通り,この装備を使うのはほぼ99.999%弟です。これまでアナログのオンボロビデオデッキでアニメを試聴せざるを得なかった弟にとっては念願の装備でしょう。実のところ申しますと2次元特にアニメ・声優方向に関しては弟のほうが断然上の実力・知識量を誇ります(他お笑い芸人ヲタクでもある)。とことん兄が絵師ヲタ絵フェチに走ったのとは正反対に。そんな兄がまともにテレビで視聴した最期のアニメはハルヒとらき☆すた。もう既に何年も経ってます。
※日常はオールニコ動。
しかしこんな豪華装備を未来永劫弟のみが使い続けることはなんとなく許しがたい。眼内レンズ挿入により左目からは
「パソより出来る限りでかい画面を見てくれよ。頼むから」
と散々言われているし,更には職業柄(←グラフィックアート営業=痛車だから最新情報くらいはねえ)という比較的切実な事情もあります。しかもビデオの画質が悪いからといちいちリアルタイムで見る必要も今後一切ありません。
うん…夏からのアニメ見るか。
無事こういちくんはアニメヲタ復帰できるのか?乞うご期待。
どこからかロウきゅーぶ見てロリコンを謳歌したいだけだろ?という声がしますが気にしない。
Posted at 2011/05/22 16:02:47 | |
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2011年05月22日
ども。白内障の我が3年間を回想します。
なったのが免許とって直後,整備士の専門学校(正しくは職業訓練校…って言っただけで確実にどこかはバレバレなんですが)入る直前。ガソスタの計量器にある銘板が左目では見えなかったことから始まりました。
当時のオイラはメガネをかけたかったんです。髪も今の2倍はもっさりしていました。まあ結局は自分の髪の長い状態=まんま某収監されちゃう元天才実業家の生き写しになってしまうため駄目だったんですが。それにメガネを…と。我が父親の家系は全部メガネ。弟こと妹もメガネ。つい最近まで養子じゃないかと疑うほど両親に全く似てない=隔世遺伝の塊と言われていた自分にとっては
やっと親の子らしくなれるんじゃねえか?
しかも自分の志望先にシンクロ率400%の資質を持っていた父親型の血を…
という期待があったわけです。期待で胸はずませながら秩父はおおのはら眼科へ行ったわけです。しかし…それはもっと親に似てないどころか隔世遺伝の塊ですらも計算外な診断結果だったのです。
左目:白内障
自分は当時知らなかったのですが周りは驚愕しました。なぜそんな年寄りな病を患うんだと。真っ青になりました。要するに癌と同じ。いずれは目を死に追いやる病だと。しかし自分は少し考えただけでこのことに納得したんです。我が一生で忘れられない事件があります。
2002年7月19日。
自分の世代だったら夏休み直前!と喜びそうです。川瀬祭りも時期だったしね。しかしこの日はどんな日だったのか?それは
本来自分がこの世を去ることになっていた日
だったんです。自転車に乗っていたところ車に横から轢かれたんです。しかし自分は車のフロントガラスを貫通寸前レベルまで破壊し何度となくアスファルトに叩きつけられたにも関わらず,アスファルトに頭がヒットしてなかった結果生き残ってしまったんです。当然その場では死亡予定日だったことはわかりませんでしたが,すぐに事実ははっきりしたものとなっていきました。
中学校では小学校時代ワルさしたツケがいろいろと回ってきたり,高校時代はクラスに味方が1〜3名くらいしかいない日々を過ごしました。精神的にまいってしまう日々を6年も過ごしました(※当然全て自分の責任。ここで改めて当時の方々に謝罪致します。申し訳ございませんでした)。高校での逃避先は図書室。そこでいろいろと考察しました。結果2002年7月19日に本来死ぬわけだった,つまりは現在その反動=正常に死ななかった罪を償わされている…もしくはそういう精神状況を望み自ら本能的に死を急いでいるという結論に至ったわけです。当時生きることにも消極的になっていた自分は
「30までには死のう。死ぬなら早いほうがいい」
と心に決めていたわけです。ただ自殺はしませんでした。なにより後処理面で不都合と考えたんでしょう。とはいえ当時のストレス量からすれば30までには精神面を超えて肉体的にも確実に破綻するだろうと計算していたに違いありません。
そしてこの白内障。全ては高校時代の図書室予言に沿ってことは進んでいたのです。今まで我が白内障は原因不明と申してきましたが,考えて見ればこれが原因なのではないかと思います。アメリカで自身のがんを精神面から治した少年の話を聞いたことあるんですが,その逆で自分は精神面から死を急いだ結果,体が自動的に白内障を発症させたという予想をしても問題はないでしょう。あともうひとつ思い当たるフシがあるとすれば小3の時ソフトボールを左目にヒットさせたことがあるくらい。医者にはこのソフトボール話をしていたんですが,進行度合いを考えると原因であることは十中八九無いでしょう。
※ここで秀逸…というのもなんですがイカス点は白内障という一度なってしまうと回復不能な病をジャストミートで選んでいるという点ですね。ここは我ながら面白いなあとを感じました。
当時の視力は0.5〜0.6のラインをさまよっていました。これもおかしい話で免許取る前はもっと上だったはずなんです。なぜならこの年の学校検診では1.0だったはずなんですから。ソフトボールのような思い当たるフシもありません。図書室予言原因説が更に濃厚にwwww
とはいえ免許剥奪は免れる視力。結果的にそのまま整備士学校に入学したんです。
…続く。(明日書きます)
Posted at 2011/05/22 09:48:29 | |
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