2012年06月07日
ども。高丘です。
遂に今日陸自迷彩の集約チョッキとダンプポーチ来ましたよ〜。
とてもいいものでした。まあ実戦で役に立たないと意味は無いのですが,この時点ですごく便利です。いや〜10日の実戦使用が楽しみです。
え?写真?それは当然ヒミツで。
さて…では昨日の予告通りのお話でも。
昨日の夕飯でのことです。父親がこんなことを言ってきたのです。
「光一,俺を延命治療しないように。生きるのは好きだけど,生かされるのは絶対に嫌だから」
母親はうんうんとうなづいております。オイラも「その通り。その通りにするよ」と返答しました。なぜこんな話題が出たのか?これは1ヶ月ほど前,いや年単位でも結構前のお話となります。
当日記でもたまにオイラの母方の祖父が登場することがありました。それでも両親やその他の人々とは大いに扱いが違っているはずです。父方の祖父母とも全く持って扱いが違います。そもそも呼び方もだいぶ違っておりまして,父方は"おばあちゃん""おじいちゃん"と呼ぶのですが,母方の祖父に関してははただ"爺さん"だけです。しかもこの"爺さん"というワードで呼ぶこと自体,年に1回あるかないかです。そしてそれを爺さんが認識するかもわからんのです。それもそのはず。
爺さんはアルツハイマー型認知症でおおよそマトモな人間として生きることができなくなって久しいのです。
オイラは関わらせてもらえないのですが,介護する両親の悲鳴はずっと前から聴き続けていました。そもそも父親が単身赴任した直後に発症し,急激に進んでしまったんです。直後,一時的に回復した当初はオイラと床屋に行けるほどだったのですが,その数年後には今と大差ない状態となっておりました。つまり父親が栄転で帰ってくるまで,介護は母親一人でやっていたのです。つらくないはずがありません。現在でこそ父親もいるため幾分平和ですが,それでも家族全員が抱える大きな悩みでありました。
そんな日々が続きに続いたある日のこと。1ヶ月前の夜に事件が起こりました。オイラは部屋にいたんですが,下から母親の絶叫が聞こえたのです。隣の部屋にいた父親が急行。その場ではオイラはなにが起こったのかわかりませんでした。精々想像に登るのはいつもどおり「凄まじいお漏らしをした」くらいです。しかしなんだか雰囲気がおかしい…。
オイラは数日後になって母親の口からとんでもない事実を聞いたのです。
母親「じいちゃんねえ。癌なのよ」
え?と思いました。一気に血の気が引きました。母親の絶叫の原因は血だらけになったベッドだったのです。つまりは派手な血便をしたのです。そして次の瞬間,更に血の気が引いたのです。
母親「実は老人ホームに入れる一歩手前だったのよ。手術したとしても老人ホームに入れるかどうか…。そもそも手術できるかどうか…」
母方の祖母はオイラが1歳の時にこれまた癌でなくなっています。オイラは実質,一つ屋根の下に住む家族の死を体感したことはありません。それはいいのです。いずれはあることだし自覚はしておりましたから。しかし問題は老人ホームの方。
こういうアルツハイマーのケースで在宅介護をするのは,オイラの目から見ても何の得はありません。実際,両親はかなり追い詰められていました。爺さんも決してうまくはないであろう両親の介護にはあまりいい思いをしていない様子。ですが,週に何日かあるデイサービスには案外いい笑顔で行くのです。こうなる前は旅好きで町内会のツアーチラシをワープロで作っていたほど。そもそもこの家にいることが好きじゃないようなのです。
しかし,癌となってしまったらこれが問題となります。両親と爺さんの苦痛を取るであろう老人ホームに入れない(=特老じゃないと扱えない事態が起こりかねない)可能性が出てくるのです。しかも数十人待ちをやっと乗り越えて,あと認証さえ取ればという段階で。そもそも手術できるかも怪しいのです。
その直後,数週間の間ですが高丘家は暗い雰囲気に包まれていました。認知症含めてボケというのは,年を取る=死が近づいてくると,それをそもそも認識しなくすることで苦痛なく死ねるように仕込まれているという説があるそうです。実際,爺さんは医者からの癌宣告にも一切反応しておらず,そもそも理解するもっと前で物事が止まっているような感じに見えたそうです。それでも相手は癌です。手術できなければ,ボケと認知症も勝てない苦痛に死ぬまで悶えることになるのです。しかし手術して痛みを取り除いても,認知症だけは進むばかり。より以前の爺さんより遠くなるのです。老人ホームにも入れないかもしれないのです。どっちをとっても暗くなるのは当然です。
結局,数日後に「手術可能,老人ホームもOK」ということになりました。しかし手術して退院後,爺さんは家に帰ることなく老人ホームに入ることが同時に決定しました。つまりオイラが生まれて20数年の間ずっと5人だった高丘家は実質4人となり,その見返りに今よりある程度は苦痛のない生活を手に入れるということになったのです。当然,爺さんも今よりは苦労しないでしょう。手術は6月18日を予定しています。
そして,遂に終わる介護生活の教訓として父親は自身の延命治療をしないようオイラに頼んだのです。恐らく父親からも今の爺さんは「生かされている」に限りなく近いように見えているのでしょう。医療は進歩し,長く生きられるようにはなりました。サービスも充実して,こんな爺さんでもとりあえず生きていられる世の中になりました。ただ,それが正解なのかというと疑問がわきます。しかしこれまたワガママなことに友人を白血病などでなくした経験のあるオイラは医療の進歩を願っていたりするのです。果たしてどっちが正しいのか…。それはオイラ自身が死ぬときにやっとわかることであるのは間違いありません。自身がしっかり答えを認識し理解するかは別として。それでもできる限りボケずに"生きて"死にたい…そう思う今日この頃です。
なにせ,オイラは隔世遺伝の塊と言われるほど爺さんにいろいろと似ているらしいんでね…。頑張らないとねえ…。
Posted at 2012/06/07 22:29:47 | |
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