ども,高丘です。
今日の車検がハードで意外にMPが少ない状況です。
まあこの時期はこんなもんです。
むしろ車検整備に関しては昨今では単純に1日にどれだけ台数こなすかに全てが掛かっているところはあるので忙しいのはいいことです。車検で困っている方,うちの会社へお電話を。
もはや何年製かもわからんほど古いモーリスから工事屋のダンプ,果てはランサー・インプなどがっつり系まで。そしてスイスポも忘れずに…。
さて…昨日,mixiで
『なぜ今でもMT車に乗る人がいるのか』という記事がありました。
当日記は高丘が欧州主義な都合上,MTの優位性をいろいろと書いて来ました。
まあ一般的なのは
機械効率でしょう。MTは単なる歯車による伝達。効率は90%超。トルコン式オートマは90〜70%。いくらロックアップしてもトルコンのロスは大きい。そしてCVTはベルト伝達なので70%を下回ります。
CVTはエンジン回転を相互リンクで制御・活用する都合上,日本の都会では優位です。しかし高速域ではその構造により,CVTの利点と矛盾し機械としても絶望的なほどのロスを発生させるため燃費は激変します。
特に新東名などに代表される高速道路の開通で段々と欧州に近いクオリティの道路が増えつつあるこの日本で,CVTが今のような隆盛を保持できるのか,保持できたとして性能的な発展性が存在するのかという点で非常に大きな疑問が残ります。当然世界的にもCVTに風は吹いておらず,後述するDCTのほうがよりグローバルで活躍できるものです。個人的にという注釈が付きますが,日本車は未だ動力系の技術で世界に5年以上の遅れを取っていると考えます。
ただ当日記では機械効率だけでMTを語ったことは1回もありません。なぜ欧州車の運転席はフィットするのか?
それは
人間の操作介入頻度の多さにより,MTのために操作しやすいエルゴノミクスを全面に押し出したデザインをしないとダメだからです。当然,これをMTからATにしても操作性の良さは維持されます。当日記ではA80系スープラを例にあげて,残念ながら日本では既にこのMTが生む素晴らしいコックピットは絶滅,ロストテクノロジー化してしまったというお話をしました。
しかし,
残念ながらこの2つでもMTの優位性を語るには役不足になってきたのも事実です。なぜか?それは
DCTの存在です。
DCTはクラッチを2つ使用し,これを駆使した変速を自動的に行うことで全種類のミッションが抱える欠点を全てなくそうとした画期的な試みです。このミッションはミッションの全てを兼ね備えます。
・自動変速とCVTを亡き者にできるほどの超多段化
・MTの機械的なクラッチ+ギヤで構成することによる高効率
・ダブルクラッチによるトルコンATすら及ばないシームレスシフト
・MT工場の雇用改善など大人の都合の恒久的解決
完璧です。こちらに関しても日本はGT-Rなどの特異な例を除いて遅れを取っています。更にDCTまでいかなくてもAMTという方法もあるんですが,こちらはそもそも日本車として現行で存在するのはトラックのみ。乗用に至ってはいすゞのNAVI-5があったくらいで,現行車種で日本に流通するものは存在しません(欧州仕様車には存在)。
しかしそれでもただのMTはあります。ここまで来るとなればMTの大アンチテーゼすら起きてもいいはずです。それも日本だけじゃなく全世界で。ビートルズの頃のように過去のものを全て壊そうとする破壊と創造は今日にいたっても起こっておりません。
オイラも盲点でした。ひとつだけ書いたことのない当たり前を書いておりませんでした。それはDCTにもATにもCVTにもありません。ただの"マニュアル"だけが持つ神秘的な存在を当たり前のように忘れていたのです。当然あなたも忘れているかもしれません。
クラッチです。本当に忘れ去られています。
昔こそ立派に専用のリザーバタンクがありました。今はブレーキのタンクを間借りするのがほとんどで乗る方はペダル意外意識することすらなくなりました。今の整備士では,忙しい時にあっただけでイライラする人もいるでしょう。ワイヤー式ならば遊び調整をミスってクラッチのダイヤフラムスプリングを壊してしまう事例が未だ存在します。乗る側の整備代を高騰させ,整備士をイライラさせる存在。普通はただそれだけにしか思われていません。
ドライブの面でもクラッチは四面楚歌です。実際,MTオーナーのオイラですら,速く走りたいなら2ペダルを左足ブレーキで使った方のほうが快適に気持ちよく走れるほどです。『クラッチを巧みに使う』という粋を忘れてはなりません。しかしそれもMT自体の衰退により,体感するチャンスが少なくなっています。商用でもATのシェアが急速に増加している今では職業ドライバーですらも忘れようとしています。
しかしクラッチを忘れてはいけません。
そもそもクラッチという構造部うつの概念がなければATもDCTもCVTも動きません。どれも必ずクラッチと呼ばれるだいたい同構造のものがギヤの切り替えをコンピューターの指示通りに行なっています。ATですらクラッチがなければただの歯車か金属の輪っかです。基礎は永遠にあり続けるもの。MTのない世の中が想像されないのは,なくしたら今の世の中の説明がつかないからです。
それだけではありません。
クラッチのあるMTは考え方を変えれば2ペダルのATよりも人を選ばないシステムと受け取ることができるのです。
銃を思い出してください。例えば我らがコルト・ガバメント。もう生まれて100年も経つこの銃でも安全装置が存在します。サムセーフティ,グリップセーフティです。スプリングフィールドXDに至ってはトリガーセーフティ,グリップセーフティにファイアリングストップピンまで付きます。トリガープルも長くとって暴発に備えています。
鉄道ならどうでしょう?運転士が死んでもいいようにデットマン装置かEB装置が設置義務として存在します。ATO自動運転でもボタンを2つ押さないと発車しません。そもそも閉塞・速度制限・運行保安基準やATS/ATCやTASCなど保安装備とルールが二重三重と存在します。
じゃあクルマは?セーフティと言えるものが存在しますか?あります。
それがクラッチです。
……そう。もうお分かりいただけましたね?
ATはアクセル踏めばそれだけ。止めるものはブレーキしかありません。もう一つの手段が存在しません。なぜブレーキとアクセルを踏み間違えて死ぬのか?エンジンが暴走して加速し続けそのまま追突して死ぬのか?たった一言で済みます。
クラッチがないからです。前者はクラッチによって足の位置が固定されてミスが回避され(そしてミスったらクラッチを踏めばすぐに動力が遮断されより安全),後者はクラッチを切って強制的にニュートラルにすればブレーキでクルマを止めることができます。
よく『高齢者に免許を渡すな』という声を耳にします。オイラは異を唱えます。
彼らに渡すべきじゃないのは免許ではなくATです。ATは年齢だけで人を選んでしまいます。しかもATだけで設計したコックピットは決して人間が操作しやすいものになるとは限りません。一時期流行ったコラムシフトはAT が産んでしまった操作性の悪いコックピットの典型例です。こんなに操作しにくいものではエンジンブレーキを掛けるのにすら躊躇してしまいます。結果,下り坂でブレーキはベーパーロックを起こすのです。その下り坂の麓にあるコンビニでは誰かがペダルを踏み間違えて店に突っ込みます。銃に置き換えると凄惨です。暴発の荒らしです。鉄道では運転士が心筋梗塞で倒れて列車が暴走して脱線し,停車駅ではオーバーランが常態となります。
そして
このクラッチが生む安全性は人の心を繋ぎます。確かにかったるいと思うかもしれません。しかしこのクラッチが育む超絶技巧はクルマを文化に変えます。免許取りたてから高齢者まで"免許さえあれば"誰でも"安全に"乗れます。下り坂を降りても信号でクルマはちゃんと止まり,コンビニにはいつもどおりの笑顔で入店できます。悪いことは何一つ起こりません。そしてクラッチを操作する負担を軽減するため,車間距離は広がって事故は尚更減り,使われる燃料も減ることでしょう。高速に乗れば燃費を来にせずどこまでも走れます。クラッチも激務から数時間は開放されますしね。
こんな偉大なる装置を大半の日本人は忘れようとしています。
"違いがわかる"も文化なのは間違いないと思いますが,"誰もが使う"も立派な文化です。
クラッチの復権を切に願う今日このごろです。