2014年09月21日
ども,高丘です。
生きてます。
日記長期休業失礼しました。
自分の伯母,つまり父親の姉さんが16日に亡くなり今日まで葬儀ということで…。
48歳でした。病名は膵臓癌。またがんです。しかも伯母はがん関係の医療従事者でしたから,なお悔しい結果となりました。
ただ相手に対して最後まで善戦したのは言うまでもありません。
ご承知の方もいらっしゃるかと思いますが,膵臓癌は急性白血病すら目じゃないほど驚異的ながんでして『見つからない』『進行が早い』『予後も悪い』というがんの怖いところ三拍子が揃った謂わば『がんの王様』。5年生存率の低さはありとあらゆるがんの中で最低の5%しかありません。
むしろそんな強敵を相手に3ヶ月も希望を持ち続けて生きたというのは,やはり意地だったんじゃないかなあと思います。何せ性格的にいい意味で強い人でしたから……。葬儀に来た人からも『大物』というイメージとエピソードがこれでもかと出てくるほどでした。
そんな伯母が最後に成し遂げたのであろう『大物』っぷりの出来事が1つありまして。
元々,うちの家系は秩父人ではありません。父親は本来長野の家系だし,母親は大元たどれば富山で今や多数派は宮城です。当然ながら伯母のルーツは祖母を辿って長野となるわけで,生前多くの付き合いがありました。
そんな長野の家に15日だか16日だかに伯母が『来た』というのです。
その日の17時,突然大きな音とともに家の玄関が開いたというのです。玄関には誰も居ない。家中騒然となったらしいのですが,家族全員その時玄関にいることはできないかいなかったのどちらかで,来客もいませんでした。その時は恐怖を覚えたようですが,伯母の訃報を聞いた瞬間その玄関を開けたのが誰だったかというのを悟ったとのことでした。伯母が『来た』のだと。
それだけじゃありません。
伯母が仕事を始めて以来ずっと共にいた同僚の方がいらっしゃいまして,葬儀の2日間もずっと伯母の面倒を見ていただきました。通夜の前,伯母は家にいました。納棺直前にその方がいらしゃって死化粧をしてくれたのですが,同時に祖母と自分のいとこである伯母の娘を呼んで,
「お母さんって高校時代,セーラー服に三つ編みだった?」
というのです。どうもその人の夢にも『来た』のだそうで,伯母は高校くらいの年齢の容姿でセーラー服を着て紙を三つ編みにしていたのだそうです。
自分はすぐに三つ編みの意味を察しました。いとこは今まさに高校生なんですが,昔はよく三つ編みでいたからです。もちろん伯母が三つ編みにしていたのです。更に祖母に聞くと伯母の高校はセーラー服で三つ編みにしていなかったとは言い切れないとのことでした。
結果,この伯母の頼みをいとこは聞き入れ2日間を三つ編みで過ごしました。いとこは顔の形や雰囲気が昔とあまり変わってないので,伯母も健在だった当時の写真どおりの顔となりました。更に顎の輪郭や目,身長も似通っているため『よく似ている』といろんな人に言われていました。
ちなみにいとこは三つ編みにした長女と末っ子長男の2人いるんですが,どちらも大物の伯母の遺伝子はしっかり引き継いでいるらしく,葬儀の間も比較的マイペースでこなしていました(特に長男)。個人的にはもちろん心配はしていますが,最後は笑顔でいましたので大丈夫でしょう。
そしてこの二人以上にそっくりなのがもうひとりいます。うちの妹です。身長が伯母より高く細いという補正が入れば,本当に生き写しかというくらいよく似ています。ご承知の通り,この人も結構な大物です。まあ時分のような小物が兄だからという相対的効果もあると思いますが,こちらも負けず劣らず強情(笑)生きてくれるでしょう。
とはいえ,がんというのは本当に憎いものです。特にこの膵臓癌はその驚異の割には認知度が低い。『見つからない』『進行が悪い』『予後も悪い』に加えて『認知度が低い』。なるほど考えれば考えるほど最強最悪のがんです。実質的な対抗手段は早期発見以外にないことを伯母は身を持って示しました。とても重要な事です。
がん検診そのものへの批判も多いことは事実ですが,これしか対抗手段がないものも多いというのもまた事実。本記事が皆様のがん検診そのきっかけにならんことを切に願わざるを得ません。そして何より今がんの方に対しましては希望を捨てないでいただきたい。伯母もそうですが,当日記のみん友さんだった結城さんもその一人でした。いや今まで自分が知っているがんで亡くなった人全員が証人です。『今をどんな形であっても生きる』というのが故人の遺してくれた最大の教訓であると考えるのは自分だけではないと信じております。いかがでしょうか…。
最後に1曲。伯母が好きそうな曲……。うーむ伯母の乗っていたレックスに何があっただろうか……覚えていませんねえ。当時はポータブルCDプレーヤーに専用車載キットを使って起動させるなんてのもありましたが(ちなみにCDプレーヤーはあとに自分がもらい高校まで使っていました)。
日産のCM曲を自分が歌って怒られた経験があるので……いやパパママリバティ時代のはオリジナル曲ですね。残念。ならばマーチ(当時)のCM曲なんてどうでしょう…。なんとなく伯母も聞きそうな感じもするし,世代的にもジャストミートのはずだし…。当日記でも掛けたことがありますが,今日は特別な思いで聞きたいと思います。
フリッパーズ・ギターで恋とマシンガン
Posted at 2014/09/21 20:40:32 | |
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