ども,高丘です。

レモン「どしたの?いきなりダー様風味のタイトルとは」
いやあ,まあタイトルは実際に引用なんだが…。
今日,会社でとある話題が持ち上がってな。
社長他若手陣営「そう言えば,高丘くんっていつから変態だったっけ?」
変態というより変人なんだが,まあいいだろう。人はまるで違う言葉をよく混同するものである。
とはいえこれはあくまでもざっくりとした話であって本来の意味は……
『そもそも痛車関連って何がきっかけで始めたんだったっけ?そしてなんで高丘が営業担当になってしまったんだっけ?』
という話。一見しっかり記憶も記録もされてそうな話題ですが……
高丘さん含め社員一同全員詳細を忘れて何年も経ちます。
全く覚えていません。気づいたらこうなっていた。ただそれだけです。
で,結局この話題は諸説あげられたところで終末を迎えました。ただ会社帰り,元々忘れっぽい高丘さんの記憶力向上も兼ねてずっと思い出しながら帰っていました。
そしてある程度,内容がまとまったのでここに記しておきます。
正真正銘の備忘録です。
レモン「随分ざっくりした内容だなあ」
そうです。かなりざっくりです。高丘さんも本当にこうだったという自信は全くありません。当日記お読みの方にも『あれ?なんでこうなっちまったんだっけ?』という物語の根本を探している人はいるはずです。
もうそろそろ9月,大人にとっては十分年末です。これを機会にいろいろ思い出してみるのもいいでしょう。
さて,本題に。
高丘さんの入社時のゴタゴタは以前書きました。スバル入ろうとしたらリーマン・ショックで募集停止,某関東M社と某埼玉TP社は一回戦で敗退。自動車から一旦離れて某行政機関の裏口就職戦線では決勝戦まで這い上がったものの敗北。
しかし卒業寸前でとあるやんごとなきルートにより,1人空いている会社の面接出場権を血肉の争いの末に獲得。どうにか合格したのがその年の3月です(卒業の2週間前だった気がする)。なお当時,面接に立ち会った社長の印象は伝え聞くに……
『のちのちのことを予想することはとても不可能だったほど大人しい人物』
という印象だったそう。なお高丘さんはこれを
『人が電話出る時,声が何オクターブかおかしくなるのと同じ原理』という
とても現実的な釈明をしています(ォィ
さて,そんな微妙な面接から入社。そこから2~3ヶ月ほど経った頃です。
※ちなみに入社直前,6番ピットにはあるクルマがリフトアップされていて,ご存知E氏が何かを取り付けていたのをよく覚えています。これが現在,某氏が所有するうちの31デモカー旧初号機です。
板金だか長期整備だがなんだか忘れましたが,1台のスイフトだかスイスポが入庫してきました。車体の色は青だった気がします。
当時の6番ピット前は今よりゴチャゴチャしており,スイスポの部品取り廃車体が転がっていたり,高圧洗車機がとてつもなく微妙な位置に押し込まれていたりしていました。今みたいにスッキリしたのは結構最近のことだったりします。
そんな6番前に置かれていたスイフト?スイスポ?は異様な出で立ちをしていました。
これが痛車だったのです。専門校時代,痛車をコケにしておきながら実はまじまじとガチなヤツを見るのはこれが初。邂逅です。
その時,オイラは
板金担当N氏の前でこのキャラの名前をポロリと口にしたのです。確か……
この人だったはず。確かこの人だったはず。
それが気づいたら社長まで話が伝わり,しかもファンフラで軒並み妙な反応を示したりと今の高丘さんがボロのように出てきます。しかも火種?を生む物事が続きます。
これを前後してもう1台,痛いスイスポが入庫してきたのです(画像はイメージです)。
その当時,
うちの社長はチューニングブランド用にネタを創ろうとしていました。ブランド名からあわよくばキャラとか作ったらどうかと。そんな時にこの入庫,そして問い合わせ。ちなみに問い合わせ自体は高丘さんがこんな人物だということが判明する以前からあったらしく,当初は社長1人でゼロから考えようとしていたという話を当時聞いた覚えがあります。
とはいえ2次元関連は素人なカードばかりなのに,いきなり着手するのは厳しいと思っていた中,ある程度は知識のあるのが偶然にも入ってきてしまった……。となると結果は自ずと見えてきます。
1年目すら終わっていないしいくらそっちの知識があろうと専門校時代は痛車をコケにしていた高丘さんに白羽の矢が立ってしまいました。
これが確か1年目の6月前後。
その4ヶ月後,さすがにボロが目立つスターレットを見るに見かねた専務の奥さんから『クルマを買い換えない?』と言われました。
高丘さんも当時,考えてはいたのですがZC32Sを待つと決めており一時は丁重にお断りしました。しかしそうとはいかない事情は既に有りました。
(※画像はイメージです)
痛車で売れているZC31Sに痛車担当が乗っていないとは何事ぞ……。しかもZC32Sを待とうとしたら時間がかかりすぎるし,社割ができるかもわからない。今しかない……。
と上層部は考えたのです。その日の終業間際,高丘さんは社長からショールームに来るよう言われたのです。何だ?と思いながらショールームに入った高丘さんが社長に告げられたのは……
(※画像はイメージです)
当時,生産終了した直後だったZC31Sへの実質買い替え指示だったのです。
そしてその3日後にハンコは押され,頭金は支払われ,手元にはローンの明細が。そこから更に1ヶ月後,レモンさんは高丘さんのところにやってきたのです。これがレモンさんのみんカラ愛車紹介に書かれている
『3日で契約』の詳細です。
そこからもう3年です。
ここまでのところ,人間もクルマも妙な物事を忘れるほど平凡?な日常を営んでいます。
では,これからもそう甘く過ごせるのか?それはただ時の運です。
Posted at 2013/08/22 22:24:13 | |
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