2011年05月22日
ども。白内障の我が3年間を回想します。
なったのが免許とって直後,整備士の専門学校(正しくは職業訓練校…って言っただけで確実にどこかはバレバレなんですが)入る直前。ガソスタの計量器にある銘板が左目では見えなかったことから始まりました。
当時のオイラはメガネをかけたかったんです。髪も今の2倍はもっさりしていました。まあ結局は自分の髪の長い状態=まんま某収監されちゃう元天才実業家の生き写しになってしまうため駄目だったんですが。それにメガネを…と。我が父親の家系は全部メガネ。弟こと妹もメガネ。つい最近まで養子じゃないかと疑うほど両親に全く似てない=隔世遺伝の塊と言われていた自分にとっては
やっと親の子らしくなれるんじゃねえか?
しかも自分の志望先にシンクロ率400%の資質を持っていた父親型の血を…
という期待があったわけです。期待で胸はずませながら秩父はおおのはら眼科へ行ったわけです。しかし…それはもっと親に似てないどころか隔世遺伝の塊ですらも計算外な診断結果だったのです。
左目:白内障
自分は当時知らなかったのですが周りは驚愕しました。なぜそんな年寄りな病を患うんだと。真っ青になりました。要するに癌と同じ。いずれは目を死に追いやる病だと。しかし自分は少し考えただけでこのことに納得したんです。我が一生で忘れられない事件があります。
2002年7月19日。
自分の世代だったら夏休み直前!と喜びそうです。川瀬祭りも時期だったしね。しかしこの日はどんな日だったのか?それは
本来自分がこの世を去ることになっていた日
だったんです。自転車に乗っていたところ車に横から轢かれたんです。しかし自分は車のフロントガラスを貫通寸前レベルまで破壊し何度となくアスファルトに叩きつけられたにも関わらず,アスファルトに頭がヒットしてなかった結果生き残ってしまったんです。当然その場では死亡予定日だったことはわかりませんでしたが,すぐに事実ははっきりしたものとなっていきました。
中学校では小学校時代ワルさしたツケがいろいろと回ってきたり,高校時代はクラスに味方が1〜3名くらいしかいない日々を過ごしました。精神的にまいってしまう日々を6年も過ごしました(※当然全て自分の責任。ここで改めて当時の方々に謝罪致します。申し訳ございませんでした)。高校での逃避先は図書室。そこでいろいろと考察しました。結果2002年7月19日に本来死ぬわけだった,つまりは現在その反動=正常に死ななかった罪を償わされている…もしくはそういう精神状況を望み自ら本能的に死を急いでいるという結論に至ったわけです。当時生きることにも消極的になっていた自分は
「30までには死のう。死ぬなら早いほうがいい」
と心に決めていたわけです。ただ自殺はしませんでした。なにより後処理面で不都合と考えたんでしょう。とはいえ当時のストレス量からすれば30までには精神面を超えて肉体的にも確実に破綻するだろうと計算していたに違いありません。
そしてこの白内障。全ては高校時代の図書室予言に沿ってことは進んでいたのです。今まで我が白内障は原因不明と申してきましたが,考えて見ればこれが原因なのではないかと思います。アメリカで自身のがんを精神面から治した少年の話を聞いたことあるんですが,その逆で自分は精神面から死を急いだ結果,体が自動的に白内障を発症させたという予想をしても問題はないでしょう。あともうひとつ思い当たるフシがあるとすれば小3の時ソフトボールを左目にヒットさせたことがあるくらい。医者にはこのソフトボール話をしていたんですが,進行度合いを考えると原因であることは十中八九無いでしょう。
※ここで秀逸…というのもなんですがイカス点は白内障という一度なってしまうと回復不能な病をジャストミートで選んでいるという点ですね。ここは我ながら面白いなあとを感じました。
当時の視力は0.5〜0.6のラインをさまよっていました。これもおかしい話で免許取る前はもっと上だったはずなんです。なぜならこの年の学校検診では1.0だったはずなんですから。ソフトボールのような思い当たるフシもありません。図書室予言原因説が更に濃厚にwwww
とはいえ免許剥奪は免れる視力。結果的にそのまま整備士学校に入学したんです。
…続く。(明日書きます)
Posted at 2011/05/22 09:48:29 | |
トラックバック(0) |
白内障回想録 | 日記
2011年05月21日
先程の記事でレモンが痛Gにという話がありましたが,諸事情により中止となりましたことをご連絡致します。
Posted at 2011/05/21 18:30:33 | |
トラックバック(0) | 日記
2011年05月21日
どうも。久々に
パソだああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
というわけでノコノコと退院しました。ですがいきなり長文,そして
グロい超えて怖いお話です。
そうです。手術体験です。いやはや濃厚なものとなりました。
まず自分の白内障は普通ではありません。成熟白内障。つまりは
手術できるか出来ないかレベル
白内障界の福島第一
というギリギリなものだったわけです。よって途中キャンセルになり一ヶ月後更に荒行路となる方法で治すはめになるかもしれなかったのです。簡単に言うと
瞳に直接コンタクトを縫い付ける
ハメになる可能性があったわけ。綱渡りの状態だったのです。そんな難手術が始まろうとしていました。当初のスタート時間から数時間遅れて手術室入り。結果昼飯のそばを食い逃しました。今でもそばが猛烈に食べたい。そしてベットに寝ていざ準備を開始…したんですが早速事件が。
血管が筋肉質過ぎて点滴針が刺さらない事象発生。
これだけに体感で10分ほど苦戦。現在も苦戦の跡が腕に残っています。結果自分の体は相当な抵抗反応。どうにか刺さって準備は続きますが緊張はピークに。執刀医他から「まだ準備段階だよ」の声も軽々と無視する緊張具合。結果切る寸前までずっとこのまんまなため度々執刀医の手が止まる事態に。しかも麻酔は当初の予定より進化。従来法となる
麻酔を目に直接注射する
過激な手が使用されました。なぜか我が瞳はありとあらゆる麻酔に対抗策があったようで点眼だけでは効果が薄いという事態が発生していたわけです。なぜなんだ…。そんな中でも局部麻酔なため(ここ重要)その緊迫した状況は耳に入ってくるわけです痛いほど。とにかく自分の本能に打ち勝つためありとあらゆる手が下されます。自分も結果努力の末に右目の視覚神経の運転パーセンテージをトランザムさせるという手段でどうにか沈静化を図ることに成功。見事に我が目へメスが入ったわけです。とはいえここがやっとこさスタート。
耳には医者の声の他に心電図のパルス音が入ってくるわけです。これで自分がどれほど緊張しているかを科学的に知ることが出来ます。これで右目ごと緊張を制御しただただ執刀に望みます。しかしここで問題が発生。
右目の上に執刀医の手が置かれてしまったのです。
これで一時均衡状態が崩れます。左目が操作不能になり執刀医の手が止まります。またも医者からもちつけの声。パルス音急上昇。そこでやっと自分は気づいたのです。
そもそも手術用のライトが明るすぎてそもそも何も見えんwwww
仕方ない。ここで頭が処理能力をオーバーしたようで医師の想定通りに左目が動かせるようになりました。まあ度々ストップしたんですが。横では恐らく水晶体を葬る装置が音を上げています。
ピンピンピンピンピン…
どうも水晶体を吸うとマリオのコインのように音が出る設計になっているみたいです。一見順調に水晶体を吸えているように聞こえるのですが,
執刀医「ここ石灰化しているなあ…。黄色いのあるなあ。ただここアタックするとピューっていきそうだねえ…」
ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ。
ここらへんから意識が遠のいていきます。ただマリオのコインの音以外自分の耳には入ってきません。正直記憶が曖昧です。ここで恐らく1時間ほど目の神経回路以外は全てブラックアウトしていたのでしょう。
意識が目覚めるのはマリオ音がしばらく聞こえなくなり執刀医助手の「もうこんなんでいいだろう」的な発言が耳に入った時です。すぐさま執刀医から「ここから仕上げだから絶対に動かないでとの指令。この時,左目が見たものはすさまじい光景でした。どう表現したらいいのでしょう。金の稲穂のようなものが揺れる世界にアンノーンのような黒い点がビシビシと動きまわっています。中央には明るい光。どことなく目のような物が見えます。間違いなく自分は
三途の川のほとりでその水の流れと水面,水中からこちらを見る何らかの伝説上の生物(の目)を凝視していたのでしょう。
しかしそんな世界はあっという間に終了を迎えます。眼内レンズが挿入されたのです。大切な事なのでもう一度言います。
眼内レンズが挿入されたのです。
そう。
手術は成功したのです。
普通の眼内レンズが片目最速15分くらい。そこを2時間も掛けた壮絶なる大手術が終わったのです。ただし気絶していたせいで体感では1時間ほどしか感じず。三途の川のほとりは4次元だったのです。
そんなわけで今は近いところピンぼけですが,左目はしっかりみえています。まあ術後らしくゴロゴロ感はありますが(いずれ解消される)。会社復帰は次回の外来診察(24日)に許可が降りれば復帰ですが,保護メガネはしばらく必須でしょうなあ。
そしてご連絡を。
明日,延期されていた痛Gフェスタが行われます。実際に行われるかは不明ですがレモンが出場します。相当目立つポジションに置かれる予定。見つけたらご報告を願います。明日は静養します。はい。
Posted at 2011/05/21 17:00:36 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記
2011年05月20日
ども。生きてます。
結果報告いたします。
えー白内障手術としては滅多にないであろう2時間という大手術の結果、
成功いたしました。
細かい手術体験は退院後にびりのんとお送りします。
定評ある早苗さんの名刺入れとオオトリ◎もさることながら、ひとえにお医者さん以下スタッフ様、会社関係者もしくはお客様、家族、そしてmixiみんカラ当日記読者の皆様のおかげでございます。ありがとうございました。最高なら明日退院なんですが職場復帰はまだ先と思われます。それまでに体調整え噂通りピント調節なし(左目単独だとケータイ打てません)の左目になれて万全の体制で復帰したいと思います。

Posted at 2011/05/20 09:38:59 | |
トラックバック(0) | モブログ
2011年05月19日

当日です。
波乱万丈に引導を渡す日がやってまいりました。
住宅街の木々の間を西武6000系が駆け抜けていきます。外は普通の日常ですがこちらは戦いです。
静かなる死闘が今まさに…。

Posted at 2011/05/19 06:40:37 | |
トラックバック(0) | モブログ