北海道の美瑛町にある「哲学の木」が伐採されたとか。私のブログをかなり古くから見て頂いている方は覚えているかもしれないが、風景写真の撮影も趣味としている。(最近すっかりご無沙汰だが)地元札幌で勤務していた頃は富良野・美瑛へ足しげく通い、四季折々の景色をカメラに収めていた。当ブログのトップ画像(横長の写真)も若い頃に美瑛で撮影した写真である。
その中で「哲学の木」は最も好きな撮影スポットであった。「哲学の木」が見渡せる場所で、いったいどれだけの時間を過ごしただろうか。季節・時間・天気によって全然違う顔を見せるし、年が違えば周囲に植えられた作物も変わる。いつも新鮮な刺激を与えてくれた場所であっただけに、伐採と言う結末はあまりにも残念。しかし、その一方で私自身も当ブログ等を通じ「哲学の木」のある風景を発信した人間として責任の一端も感じている次第。
数年前から「哲学の木」を巡ってトラブルが発生している事はニュース等で耳にしていた。中国人・韓国人を中心とするアジア系観光客が増えたことで、マナーが低下。風景を楽しむだけならまだしも、他人の畑に無断で入り込んで作物や農機具等に被害を与える輩が後を絶たなかったとか。
もちろん全てが外国人の仕業とは思わない。私が頻繁に撮影していた十数年前でもゴミのポイ捨てや私有地への無断立ち入りを目撃した事が有る。神社・仏閣で禁じられていても千社札をベタベタ貼る輩がいたり、観光地の壁に自分の名前を掘りたがる輩も精神的構造は同類かもしれないが、どこの国の人間であれ、瞬間的な欲求を満たすため、多少のルール違反は許されるという甘い考え方が引き起こした結末だろう。
「美瑛の丘」は大変美しい景色が楽しめる場所であるが、それぞれの場所は一般の農家さんが所有し、日々の糧を得るために働く場所・土地である。無料のテーマパークと勘違いし傍若無人な振る舞いをする観光客を許していたのは行政の失態と言うべきだろう。どれだけ観光客が増えようとも、直接的には土地を所有する農家さんにお金が落ちることは無い。もし本気で行政がこの問題を解決しようとするならば、土地所有者にも恩恵の有る観光モデルがいくらでも考えられたはずだ。恐らく、同様の問題で悩んでいる土地所有者は他にもいるだろう。自分の手で歴史ある美しい景色を潰してしまう事に後ろめたさを感じている方も、「哲学の木」が伐採されたことで、ならばと後に続く事が容易に考えられる。
結局、回り回って美瑛の美しい景色は失われ、観光客が減り、落とされるお金も減るという悪循環。最近「訪日外国人」や「爆買」など、インバウンドビジネスの話題を聞かない日は無く、彼らの落とすお金をいかに増やすかが喫緊の課題と叫ばれているが、その陰で直接的・間接的に被害を受けている人達の救済はどれだけ進んでいるのだろうか。炊飯器が沢山売れた代わりにこの景色が失われたのだとすればやるせない。
「哲学の木」を伐採した所有者も悩みぬいた末の結論と察するが、誰もそれを責めることは出来ない。ただ、残念。
失われたあの美しい景色はもう二度と戻らない。
私にとって最も大切な場所のひとつが無くなった。

2005-09-27 PENTAX *ist Ds  
ホンダ・バモス(レンタカー)に乗って撮影。
  Posted at 2016/02/25 21:15:18 |  | 
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