![[SWは今更ながら....]倉本聰作品「北の国から」を見た。 [SWは今更ながら....]倉本聰作品「北の国から」を見た。](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/015/142/136/15142136/p1m.jpg?ct=9c8ee74325fd)
シルバーウィークは渋滞を嫌って、その大半を自宅で過ごす事にした。そこで、以前からじっくり見直したいと思っていた「北の国から」を見ることに。もちろんレンタルDVDを借りてくるわけだが、なにせ1981年10月~1982年3月に放送された全24話の連続ドラマだけでもDVDは全12枚。それ以降、数年おきに放送されたスペシャルドラマが8回。とても一度に見れるボリュームではなく、結局連続ドラマの2/3を見たところで時間切れ。まぁ今年中には全部見終わりたいと思っている。
私は1982年(昭和57年)に小学校へ入学しているので、純や蛍よりも少し年下世代と言うことになる。正直、若い頃「北の国から」はあまり好きじゃなかった。札幌で生まれ育った人間として、必要以上に北海道を田舎で過酷で厳しい土地のように紹介する演出方法が気に入らなかった。余談だが札幌の地下鉄(南北線)は1971年(昭和46年)12月に開通し、翌1972年に札幌オリンピックが開催されている。それから10年もの歳月が経過した時点での生活内容としてはあまりにも過酷であろう。祖母の地元が富良野であり、親戚がいた関係で子供の頃から知らない土地ではないだけに、尚更抵抗感があったんだと思う。まぁ大人になってからは事実とかなり乖離があるとは言え、北海道に興味を持って貰うきっかけとして「北の国から」が宣伝効果を果たしているのならば....と思うようにもなった。
私の記憶にある古くてボロい祖父の家は木造の小さな家で、二階と言うよりは屋根裏部屋。階段ではなく、垂直なハシゴを登ったモノだし、ストーブは当然石炭で、「豆炭あんか」を使っていた。(お湯を入れるのは湯たんぽ。石炭を入れる湯たんぽみたいなヤツを豆炭あんかって呼んでた気がする。)冬になると保温のため窓にビニールを貼り、外には屋根から落ちてくる雪から窓ガラスを守るため角材で雪囲いをするから部屋は常に真っ暗。それでも吹雪の日には窓の隙間から雪が入り込んでいた記憶がある。私の実家もスキー場がある山の中腹にあった為か、野良キタキツネは珍しくなかった.....うーん。実はあまり黒板家と変わらなかったのか?(笑)もちろん、電気・ガス・水道(上下)・電話は完備してましたけどね。
今回紹介した写真3枚は全て私が撮影した写真だが、まさに「北の国から」のワンシーンをイメージして切り取ったモノだ。(富良野ではなく、隣の美瑛町で撮影)最近、一眼レフカメラを持ち出す機会がメッキリ減っているが、美瑛の撮影は私のライフワークでもあるので、地元へ戻ったら再開する予定。日本で一番美しい場所だと思います。

Posted at 2009/09/29 00:13:52 | |
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