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2023年05月12日 イイね!

旧国道へ 20/敦賀街道 1

旧国道へ 20/敦賀街道 1現国道8号線の越前市~敦賀市間はかつて・・・
WEBアーカイブより抜粋:

1 敦賀街道(武生敦賀新道) 

 明治18年(1885)4月、春日野村(武生市)南方の妙法寺村(武生市)から西方の白崎村(武生市)の尾根を経て、

春日野トンネルー具谷ー大良ー杉津ー赤崎ー敦賀に至る全長11里12町2間(約44km)の道路建設が始まり、明治20年(1887)新道が開通しました。

新設された敦賀街道は、その後、明治22年(1889)に敦賀道とされ、その後、明治37年(1904)内務省告示によって国道53号となりました。

 国道53号は軍事的見地から金沢第9師団と舞鶴鎮守府を結ぶ道として重視され、大正7年(1918)「道路法」が制定されるまで存続しました。

 こうして敦賀・武生間の交通は敦賀街道が中心になり、「西近江路」と呼ばれた木ノ芽峠を越える敦賀・今庄間の道は、管理対象外になって衰退しました

2 春日野新道と敦賀街道 

 明治7年(1874)6月、敦賀街道より一足早く南条郡四郎丸(武生市)と同郡河野浦(南越前町)を結ぶ3里14町(約13.5km)の「春日野新道」が竣工しました。

3 敦賀街道と国道8号の改修計画

 現在、この道筋には国道8号が通っていますが、かって敦賀街道と呼ばれた旧道ルートの面影を留める箇所が武生~河野間に辛うじて残されています。

 武生方面から県道205号(湯谷王子保停車場線)を西に向かい、中津原トンネルから分岐する林道を上りますと旧道に突き当たります。

 未舗装の道を敦賀方面へ1kmほどで進みますと土嚢と看板で閉鎖された春日野トンネルが見えます。これが明治20年(1887)に開通した敦賀道の一部です。

 敦賀街道は、大正9年(1920)に道路法が制定されて国道12号に改称され、昭和27年(1951)の「一級国道の路線を指定する政令」により起点を新潟、終点を京都とする国道8号の一部になりました。

 この区間は、河野村(南越前町)の具谷・大谷地籍間が冬期には積雪や雪崩で通行が途絶、無雪期には地滑りによる崩土で通行止めの原因になり、車の渋滞がしばしば起きました。

 しかし、急カーブを除去したり、トンネルや陸橋、スノーセットの建設工事が昭和28年(1952)頃から軌道に乗り始め、一歩一歩、改修されていきました。

 とくに河野村(南越前町)大谷地籍は、日本でも有数の断層崖が走るところであり、「甲楽城断層」と呼ばれる急斜面に道路がつけられているため、しばしば崩土する危険な区間でした。

 そこで詳しく地質調査が行われ、大谷地区の約2kmあまりの区間に5つのトンネルをつくることになりましたが、

そのためには道路勾配を緩くしなければならず、杉津(敦賀市)付近から新設道路をつくる必要がありました。

4 国道8号の改修工事と有料道路の供用開始

 昭和30年(1955)に武生トンネルを含む武生市妙法寺~河野村具谷間が日本道路公団により着工され、昭和33年(1958)に武生有料道路が完成しました。

 引き続き、日本道路公団は河野村具谷~敦賀市杉津間を敦賀有料道路として昭和34年(1959)に着工し、昭和37年(1962)に完成させました。

昭和36年(1961)河野トンネルや桜橋陸橋工事が着工されました。

 この陸橋は河野川の上を約20mの高さで全長80mの橋を架けるものでした。

 昭和37年(1962)5月10日大谷第1トンネル付近で崩壊事故が発生して3日ばかり通行止めになりました。

 昭和37年(1962)9月大谷第2、第5トンネルが、同年11月には第4トンネルが、それぞれ掘削工事に入りました。

 昭和38年(1963)の豪雪では、動けなくなった自動車が道路を塞ぎ、県外から応援を求めたブルトーザーを駆使しても除雪がはかどりませんでした。

 同年1月26日に桜橋・大谷間で発生した雪崩では、動けなくなった自動車が巻き込まれるという事故が発生しました。

 このように「敦賀街道」の具谷~大谷区間は、難工事のうえ運転者泣かせの道でしたが、昭和39年(1964)ようやく完成しました。

 しかし、この区間は、その後も難所であることに変わりなく、たびたび改修されております。

 なお、武生有料道路(起点:武生市春日野町、終点:南条郡河野村、供用:昭和33年(1958)10月27日)及び

 敦賀有料道路(起点:南条郡河野村、終点:敦賀市杉津、供用:昭和37年(1962)7月8日)は、

昭和43年(1968)1月20日及び昭和47年(1972)12月27日までに償還が完了し国道8号になりました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

標高200m超の「道の駅 河野」から、海岸沿いの絶壁を走る大谷隧道群を過ぎて 旧国道は標高130m程の大谷第五隧道を出た辺りで現県道204号線として更に崖を降りて行きます。
今まで追って来た旧酷道8号線のイメージ(道路幅、カーブと勾配・標高差など)を考えると、充分に納得の行くルートでした。

しかし・・・

フォトアルバム
旧国道8号線へ 20/敦賀街道 1
Posted at 2023/05/12 22:59:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ ルート | 旅行/地域
2023年05月09日 イイね!

旧国道へ 19/大谷第五隧道

旧国道へ 19/大谷第五隧道国道8号線は新潟県を起点として富山県、石川県、福井県を経て滋賀県・京都府へ通じる、昼も夜も大型トラックが多数行き交う北陸を貫く大動脈です。
我が福井県内は石川県境から数km あわら市内で国道8号線バイパスとして、坂井市・福井市・鯖江市と南下し福井平野を縦断。そして越前市南部の「塚原」交差点で旧国道8号線と合流し更に南下、敦賀市へ向かいます。



この越前市南部から敦賀市にかけてのルートは、嶺北地方(今庄町以北)と嶺南地方(敦賀市以西)の分水嶺とも言える山間部と、越前海岸の険しい断崖絶壁を縫うように走るトンネルとカーブが連続する標高差の大きい走り難いコースでもあります。

ずっと以前、今は亡き父から聞いた話・・・
海軍予科練生で終戦を迎えた父は、昭和20年代の初めに車の運転免許を取得して 池田小型自動車(現・福井三菱自動車)に勤めていたそうです。
そんな頃 稀に敦賀方面への納車があったそうで、出発前には社長はじめ事務員さんまで社屋玄関に出て来て見送ってくれて「餞別」まで頂いたそうで。。。つまり敦賀へ車で行く事は『命懸け』だったと。前述の越前海岸沿いを走るルートでは『あの時代、何台崖下に転落してるか分からないほどだ。』とも言ってたのを思い出します。
「走り難いコース」と述べましたが、現在の国道8号線で越前市から敦賀市までは約40kmを50分ほどの行程です。
しかし当時の国産自動車と言えば殆どがトラックかバスで、乗用車と言えば進駐軍の持ち込んだアメリカ車のみ。そんな時代・・・今改めて父の言葉を思い起こすと『命懸け』と言うのは道路事情もさることながらクルマ自体が「いつ故障してもおかしくない」「今では考えられない程 信頼性に欠ける」と言う意味も含んでいたと、想像に難くない訳です。

そして前述の越前市南部「塚原」交差点以南は1958年から1972年まで有料道路で、それ以前の国道8号線は別ルートだったと。。。廃道マニアの中でも有名な「春日野隧道」や「旧々桜橋」(過去フォトアルバムUP済「桜橋x3本(新・旧・旧々)」もその一部ですね。

以下 “越前・若狭 歴史街道 上杉喜寿 著 1992年初版”より抜粋:
『それは千有余年の歴史を秘めた古道 ”北陸道”が原型とされ、明治20年開通の”敦賀街道”を経て”国道53号線”と呼ばれた事もあった。』
『国道8号線とは昔からの北陸道をうけて、新潟市から京都市に至る延長578キロを言う。北陸地方と京阪神及び中京地区を結ぶ唯一の幹線道路で、このうち福井県下の道程は92キロばかりをいい、”敦賀街道”と呼ばれる区間はその半分ほどで、春日野から大谷までの区間はとくに運転者泣かせの道であった。』

父が70年前に通った旧国道8号線・・・
それは 所々に未だその面影を残すけれども、残念ながら ほぼ人々の記憶から消えつつあるようです。そして僕の中では まだまだ分からない部分を多く残しています。
また春日野隧道は崩落の為に通行不可だそうですから、そもそも全走破は無理。。。それにセダンでは行けそうにありません 。
しかし単身赴任で この地に居る内に、出来るだけその痕跡・遺構に触れてみたいと思うのです。

大良地区を過ぎ、標高約200mの「道の駅・河野」に出ると急に日本海・敦賀湾が目に飛び込んできます。
ここから先は、常に視界の右側に敦賀湾が占める ロケーションとしては素晴らしいルートなのですが、前述の様に急峻な斜面を縫う様に走る、トンネルとカーブの連続する事故多発地帯です。

その五つ目、大谷第五隧道・・・

旧国道8号線へ 19/大谷第五隧道
Posted at 2023/05/09 00:37:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ ルート | 旅行/地域
2023年05月07日 イイね!

旧国道へ 18/大谷第四隧道

旧国道へ 18/大谷第四隧道国道8号線は新潟県を起点として富山県、石川県、福井県を経て滋賀県・京都府へ通じる、昼も夜も大型トラックが多数行き交う北陸を貫く大動脈です。
我が福井県内は石川県境から数km あわら市内で国道8号線バイパスとして、坂井市・福井市・鯖江市と南下し福井平野を縦断。そして越前市南部の「塚原」交差点で旧国道8号線と合流し更に南下、敦賀市へ向かいます。



この越前市南部から敦賀市にかけてのルートは、嶺北地方(今庄町以北)と嶺南地方(敦賀市以西)の分水嶺とも言える山間部と、越前海岸の険しい断崖絶壁を縫うように走るトンネルとカーブが連続する標高差の大きい走り難いコースでもあります。

ずっと以前、今は亡き父から聞いた話・・・
海軍予科練生で終戦を迎えた父は、昭和20年代の初めに車の運転免許を取得して 池田小型自動車(現・福井三菱自動車)に勤めていたそうです。
そんな頃 稀に敦賀方面への納車があったそうで、出発前には社長はじめ事務員さんまで社屋玄関に出て来て見送ってくれて「餞別」まで頂いたそうで。。。つまり敦賀へ車で行く事は『命懸け』だったと。前述の越前海岸沿いを走るルートでは『あの時代、何台崖下に転落してるか分からないほどだ。』とも言ってたのを思い出します。
「走り難いコース」と述べましたが、現在の国道8号線で越前市から敦賀市までは約40kmを50分ほどの行程です。
しかし当時の国産自動車と言えば殆どがトラックかバスで、乗用車と言えば進駐軍の持ち込んだアメリカ車のみ。そんな時代・・・今改めて父の言葉を思い起こすと『命懸け』と言うのは道路事情もさることながらクルマ自体が「いつ故障してもおかしくない」「今では考えられない程 信頼性に欠ける」と言う意味も含んでいたと、想像に難くない訳です。

そして前述の越前市南部「塚原」交差点以南は1958年から1972年まで有料道路で、それ以前の国道8号線は別ルートだったと。。。廃道マニアの中でも有名な「春日野隧道」や「旧々桜橋」(過去フォトアルバムUP済「桜橋x3本(新・旧・旧々)」もその一部ですね。

以下 “越前・若狭 歴史街道 上杉喜寿 著 1992年初版”より抜粋:
『それは千有余年の歴史を秘めた古道 ”北陸道”が原型とされ、明治20年開通の”敦賀街道”を経て”国道53号線”と呼ばれた事もあった。』
『国道8号線とは昔からの北陸道をうけて、新潟市から京都市に至る延長578キロを言う。北陸地方と京阪神及び中京地区を結ぶ唯一の幹線道路で、このうち福井県下の道程は92キロばかりをいい、”敦賀街道”と呼ばれる区間はその半分ほどで、春日野から大谷までの区間はとくに運転者泣かせの道であった。』

父が70年前に通った旧国道8号線・・・
それは 所々に未だその面影を残すけれども、残念ながら ほぼ人々の記憶から消えつつあるようです。そして僕の中では まだまだ分からない部分を多く残しています。
また春日野隧道は崩落の為に通行不可だそうですから、そもそも全走破は無理。。。それにセダンでは行けそうにありません 。
しかし単身赴任で この地に居る内に、出来るだけその痕跡・遺構に触れてみたいと思うのです。

大良地区を過ぎ、標高約200mの「道の駅・河野」に出ると急に日本海・敦賀湾が目に飛び込んできます。
ここから先は、常に視界の右側に敦賀湾が占める ロケーションとしては素晴らしいルートなのですが、前述の様に急峻な斜面を縫う様に走る、トンネルとカーブの連続する事故多発地帯です。

その四つ目、大谷第四隧道・・・

旧国道8号線へ 18/大谷第四隧道
Posted at 2023/05/07 10:21:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ ルート | 旅行/地域
2023年05月04日 イイね!

旧国道へ 17/大谷第三隧道 3

旧国道へ 17/大谷第三隧道 3国道8号線は新潟県を起点として富山県、石川県、福井県を経て滋賀県・京都府へ通じる、昼も夜も大型トラックが多数行き交う北陸を貫く大動脈です。
我が福井県内は石川県境から数km あわら市内で国道8号線バイパスとして、坂井市・福井市・鯖江市と南下し福井平野を縦断。そして越前市南部の「塚原」交差点で旧国道8号線と合流し更に南下、敦賀市へ向かいます。



この越前市南部から敦賀市にかけてのルートは、嶺北地方(今庄町以北)と嶺南地方(敦賀市以西)の分水嶺とも言える山間部と、越前海岸の険しい断崖絶壁を縫うように走るトンネルとカーブが連続する標高差の大きい走り難いコースでもあります。

ずっと以前、今は亡き父から聞いた話・・・
海軍予科練生で終戦を迎えた父は、昭和20年代の初めに車の運転免許を取得して 池田小型自動車(現・福井三菱自動車)に勤めていたそうです。
そんな頃 稀に敦賀方面への納車があったそうで、出発前には社長はじめ事務員さんまで社屋玄関に出て来て見送ってくれて「餞別」まで頂いたそうで。。。つまり敦賀へ車で行く事は『命懸け』だったと。前述の越前海岸沿いを走るルートでは『あの時代、何台崖下に転落してるか分からないほどだ。』とも言ってたのを思い出します。
「走り難いコース」と述べましたが、現在の国道8号線で越前市から敦賀市までは約40kmを50分ほどの行程です。
しかし当時の国産自動車と言えば殆どがトラックかバスで、乗用車と言えば進駐軍の持ち込んだアメリカ車のみ。そんな時代・・・今改めて父の言葉を思い起こすと『命懸け』と言うのは道路事情もさることながらクルマ自体が「いつ故障してもおかしくない」「今では考えられない程 信頼性に欠ける」と言う意味も含んでいたと、想像に難くない訳です。

そして前述の越前市南部「塚原」交差点以南は1958年から1972年まで有料道路で、それ以前の国道8号線は別ルートだったと。。。廃道マニアの中でも有名な「春日野隧道」や「旧々桜橋」(過去フォトアルバムUP済「桜橋x3本(新・旧・旧々)」もその一部ですね。

以下 “越前・若狭 歴史街道 上杉喜寿 著 1992年初版”より抜粋:
『それは千有余年の歴史を秘めた古道 ”北陸道”が原型とされ、明治20年開通の”敦賀街道”を経て”国道53号線”と呼ばれた事もあった。』
『国道8号線とは昔からの北陸道をうけて、新潟市から京都市に至る延長578キロを言う。北陸地方と京阪神及び中京地区を結ぶ唯一の幹線道路で、このうち福井県下の道程は92キロばかりをいい、”敦賀街道”と呼ばれる区間はその半分ほどで、春日野から大谷までの区間はとくに運転者泣かせの道であった。』

父が70年前に通った旧国道8号線・・・
それは 所々に未だその面影を残すけれども、残念ながら ほぼ人々の記憶から消えつつあるようです。そして僕の中では まだまだ分からない部分を多く残しています。
また春日野隧道は崩落の為に通行不可だそうですから、そもそも全走破は無理。。。それにセダンでは行けそうにありません 。
しかし単身赴任で この地に居る内に、出来るだけその痕跡・遺構に触れてみたいと思うのです。

大良地区を過ぎ、標高約200mの「道の駅・河野」に出ると急に日本海・敦賀湾が目に飛び込んできます。
ここから先は、常に視界の右側に敦賀湾が占める ロケーションとしては素晴らしいルートなのですが、前述の様に急峻な斜面を縫う様に走る、トンネルとカーブの連続する事故多発地帯です。

その三つ目、大谷第三隧道・・・
再アタックです!

旧国道8号線へ 17/大谷第三隧道 3
Posted at 2023/05/04 23:26:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ ルート | 旅行/地域
2023年05月03日 イイね!

旧国道へ 17/大谷第三隧道 2

旧国道へ 17/大谷第三隧道 2国道8号線は新潟県を起点として富山県、石川県、福井県を経て滋賀県・京都府へ通じる、昼も夜も大型トラックが多数行き交う北陸を貫く大動脈です。
我が福井県内は石川県境から数km あわら市内で国道8号線バイパスとして、坂井市・福井市・鯖江市と南下し福井平野を縦断。そして越前市南部の「塚原」交差点で旧国道8号線と合流し更に南下、敦賀市へ向かいます。



この越前市南部から敦賀市にかけてのルートは、嶺北地方(今庄町以北)と嶺南地方(敦賀市以西)の分水嶺とも言える山間部と、越前海岸の険しい断崖絶壁を縫うように走るトンネルとカーブが連続する標高差の大きい走り難いコースでもあります。

ずっと以前、今は亡き父から聞いた話・・・
海軍予科練生で終戦を迎えた父は、昭和20年代の初めに車の運転免許を取得して 池田小型自動車(現・福井三菱自動車)に勤めていたそうです。
そんな頃 稀に敦賀方面への納車があったそうで、出発前には社長はじめ事務員さんまで社屋玄関に出て来て見送ってくれて「餞別」まで頂いたそうで。。。つまり敦賀へ車で行く事は『命懸け』だったと。前述の越前海岸沿いを走るルートでは『あの時代、何台崖下に転落してるか分からないほどだ。』とも言ってたのを思い出します。
「走り難いコース」と述べましたが、現在の国道8号線で越前市から敦賀市までは約40kmを50分ほどの行程です。
しかし当時の国産自動車と言えば殆どがトラックかバスで、乗用車と言えば進駐軍の持ち込んだアメリカ車のみ。そんな時代・・・今改めて父の言葉を思い起こすと『命懸け』と言うのは道路事情もさることながらクルマ自体が「いつ故障してもおかしくない」「今では考えられない程 信頼性に欠ける」と言う意味も含んでいたと、想像に難くない訳です。

そして前述の越前市南部「塚原」交差点以南は1958年から1972年まで有料道路で、それ以前の国道8号線は別ルートだったと。。。廃道マニアの中でも有名な「春日野隧道」や「旧々桜橋」(過去フォトアルバムUP済「桜橋x3本(新・旧・旧々)」もその一部ですね。

以下 “越前・若狭 歴史街道 上杉喜寿 著 1992年初版”より抜粋:
『それは千有余年の歴史を秘めた古道 ”北陸道”が原型とされ、明治20年開通の”敦賀街道”を経て”国道53号線”と呼ばれた事もあった。』
『国道8号線とは昔からの北陸道をうけて、新潟市から京都市に至る延長578キロを言う。北陸地方と京阪神及び中京地区を結ぶ唯一の幹線道路で、このうち福井県下の道程は92キロばかりをいい、”敦賀街道”と呼ばれる区間はその半分ほどで、春日野から大谷までの区間はとくに運転者泣かせの道であった。』

父が70年前に通った旧国道8号線・・・
それは 所々に未だその面影を残すけれども、残念ながら ほぼ人々の記憶から消えつつあるようです。そして僕の中では まだまだ分からない部分を多く残しています。
また春日野隧道は崩落の為に通行不可だそうですから、そもそも全走破は無理。。。それにセダンでは行けそうにありません 。
しかし単身赴任で この地に居る内に、出来るだけその痕跡・遺構に触れてみたいと思うのです。

大良地区を過ぎ、標高約200mの「道の駅・河野」に出ると急に日本海・敦賀湾が目に飛び込んできます。
ここから先は、常に視界の右側に敦賀湾が占める ロケーションとしては素晴らしいルートなのですが、前述の様に急峻な斜面を縫う様に走る、トンネルとカーブの連続する事故多発地帯です。

その三つ目、大谷第三隧道・・・
再アタックです!

旧国道8号線へ 17/大谷第三隧道 2
Posted at 2023/05/03 17:13:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ ルート | 旅行/地域

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何シテル?   06/17 21:57
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