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1ベイカー11のブログ一覧

2013年06月16日 イイね!

F大学の森 1

F大学の森 1なんてタイムリーなんでしょ!今朝の朝刊・・・。

少年の頃の、想い出のあの森はちゃんと残ってた!

河川改修の為、現在は一部が失われているようですが・・・

『いくつかの団体が連携して雑木林を見守る活動を続けている』

そうで・・・・・・良かったぁ^^
Posted at 2013/06/16 08:25:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 回顧 | 旅行/地域
2013年06月13日 イイね!

197X年 F大学構内

197X年 F大学構内1970年代の前半、広いF大学の敷地内に木々が鬱蒼と生い茂る一角がありました。

それは その周囲・・・つまり大学構内はもちろん、学外の道路や住宅などの喧騒から隔絶された不思議な世界。
大学の場所が市街地であるにもかかわらず、木には巣箱が据えられている・・・そんな「森」と言っても良い場所でした。

大学の周囲には塀が張り巡らされていましたが、あちこちに人や自転車が容易に出入り出来る隙間があり、そしておそらくは子供だったせいもあるでしょう・・・僕は自由に学内を自転車で通り抜けていたのです。
そんな塀の隙間は当の学生達も大いに利用していたはず・・・周囲には学生アパートが点在しており、彼らもわざわざ遠回りして正門から入る事もない訳で。

学内の「校舎」や「倶楽部」の建物には、かつての学生運動の爪あとが・・・まだそんな雰囲気が残っていました。

Scene 1

小学校高学年だった僕は、自転車でT町へ良くパンを買いに行ったものです。
本来なら大学の周囲を迂回して行くべき所を、平気で学内に入りT町へ行く近道としてこの森の中の小路を通り抜けていたのです。

その途中に上品で落ち着いた佇まいの、そこがまるで どこかの避暑地を連想させる様な洋館がありました。
その洋館の前には、いつも黒塗りの130セドリックがあったのを覚えています。

ずっと後になって、この洋館は学長の公邸だと聞いたのですが真偽は分かりません。

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Scene 2

6年生の頃、通っていた英語塾のS先生と仲良くなりました。
S先生はF大学の学生で、何度かT町のパン屋さんの近くにある彼のボロアパートに遊びに行ったものでした。
先生は絵に書いた様な貧乏学生(笑)で、乗っていたのがスバル360。
いや、今思えば 貧乏どころか、古い軽とは言え 学生がクルマに乗れるのも当時は贅沢だったのかも知れません。

ある日曜日の朝、先生のボロアパートに遊びに行ったら 眠っている彼の傍らに腰掛けて、寝顔を見つめる おねぇさん(きっと彼女だったのだろう)に出会いました。
「先生は?・・・」
彼女は僕に無言で微かな笑みを返したような気がします。

先生を見つめる彼女の表情は、とても優しそうで穏やかで、何か母性のようなものを感じました。
もちろん、彼女はちゃんと服を着てましたし(笑)前夜からここに居たとは思えないのですが
僕は
(来ちゃいけなかったな)
と感じ、すぐに帰った記憶があります。


いつでしたか、校舎などの大きな改修を機に 例の森を亡くすべきかどうか?と言う議論が巻き起こっている と何かで知りました。

(ああ、僕の大切な場所を壊さないで・・・)

と思ったものでしたが、成す術も無く月日は流れ・・・



今、あの森はどうなっているんでしょうね。


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やはり小学校5、6年生の頃です。僕は小学生向けのサイクリング・クラブ「おはよう サイクリング」に所属していました。
日曜の早朝、5時とか6時に集合した十数名の小学生を2~3人の大人が引率して1~2時間ほどの自転車ツーリングに出掛けるのです。

思い起こせば、田んぼしか無かった「大和田」やその先の「寺前」「舟橋」周辺まで足を伸ばしていたのを覚えています。
集合場所は市中心部にある熊谷公園(熊谷組/熊谷太三郎の銅像がある事からこう呼ばれるが、正式には中央公園かも)、地元の人間なら誰でも知っている所。

Scene 3

ある日曜日、僕はいつものように熊谷公園に到着すると、まだ誰も来ていない。
噴水のある広場に自転車を押して行った僕の目には

ベンチで抱き合う男女の姿が!!




「何?この人たち!」

彼らは服も着ていたし
もちろん、ナニがナニしてど~なると言う事も、知識として持ってはいたけれども、僕としては早朝とは言え人前で・・・と言うのが、かなりショックだったのを覚えています。

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時は、日産スカイライン・・・C110型がデビューした直後。
部屋には白いケンメリハードトップGTのポスターが貼ってありました。


洋館に負けず立派な高級車に見えた130セドリックとS先生のポンコツ・スバル360。
昏々と眠るS先生と彼を見守る優しい眼差しの彼女。
そして、彼らとは対照的な ドロドロした欲望の塊みたいだった公園で抱き合う男女。

・・・子供だった僕は車と恋人とその行為をぼんやり結び付けて

(オトナになったらM江〈既出)と白いケンメリハードトップで旅に出るんだ!)

な~んて思ってたのです。
Posted at 2013/06/13 02:08:22 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | その他
2013年06月05日 イイね!

198X年 N市内 I公園

198X年 N市内 I公園高校を卒業した僕は、大都市圏にある会社に就職し寮生活を送っていました。
当時の勤務先と社員寮とは目と鼻の先・・・通勤は徒歩で6~7分と言う距離。






そんな出勤時、いつも歩道橋の上ですれ違う可愛い娘が居まして

(あのコとお近づきになりたいなぁ)

なんて思ってたんです。
最初は僕が視線を送るだけでしたが、彼女もそれに気付き 段々とお互いに頷くようになって
「おはよっ!」
『おはようございます』
と挨拶するまでになったのです。

決してうぬぼれではなく、我ながら
(こういうのって通じるモンなんだなぁ)
と。
きっと僕の視線には(アナタ ノ コト キニ ナリマス)光線のようなモノが出ていたのでしょう・・・
長い人生、この「キニ ナリマス光線」を送ったり受けたり、無視されたり、全く気付かなかったり(笑

さて、話を元に戻しましょう。
朝一番に交わす歩道橋での挨拶・・・清々しい一日の始まり、何て素敵なんでしょ!

(今日も一日 頑張ろ~!)

毎朝 会社へ行くのも楽しくなる訳です。

彼女は、僕の会社の方向からやって来る訳ですが、会社の少し先には私鉄の駅がありましたから その駅まで電車を利用してたのかも知れません。

(名前は?歳は?何処に住んでるんだろう?自分と同じ地方出身者かな?)

でも、焦ることはありません・・・明日また会えるんですから!!

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Scene 1

そんな ある日、所用で先輩と外出。彼が運転するクルマで用を済ませましたが、直ぐには帰社せずに チョットだけ寄り道して仕事をサボることにしました・・・。

UCCロング缶を2本買い、社員寮の方向にある 公園に向かいました・・・当時は缶コーヒーと言えば激甘のロング缶でUCCかジョージアが定番でした。
どの辺に停めようか、と公園の周囲の道路 左側を低速で走ります。
その時

(あっ!)

何と言う偶然でしょう!!
スーツ姿のアノ娘と同僚らしき女性(彼女よりちょっと年上に見えたので先輩かも)が、歩道を歩いて こちらにやって来るではありませんか!!!

(スーツ姿のアノ娘も可愛いぃ~)

おっと!通り過ぎてしまう・・・僕は先輩に強い調子で「車を停めて下さい!」と叫ぶ。
「??」状態の先輩を尻目に助手席の窓を開け

「朝、いつも会うよね!これあげる。」

みたいな事言って、2本のUCCロング缶を彼女らに手渡したのです。

急にクルマを停めさせ、その上先輩の缶コーヒーも勝手に他人にあげてしまう1ベイカー11の身勝手さ!(笑
誰よりも困ったのは彼女でしょう、いきなり停車した車の窓が開いて缶コーヒーを差し出されるなんて・・・
そしてもう一人のコと、僕の先輩も立場的には似たようなもの・・

(何なの!?コイツ)

・・と。





固まるオンナ2人(爆

名前すら知らないけれど彼女とは挨拶する仲なので、僕としては その辺のナンパ車と同じに見られる心配も無い訳で、もうちょっと軽い反応を期待してたんですが。

缶コーヒーでナンパする軽薄なゲス野郎と思われたのか?
お互い同僚(先輩?)が居たからマズかったのか?
・・・いずれにしても軽率過ぎる行動だったと反省しています^^

その後は、朝の歩道橋で声を掛けても挨拶を返してくれなくなり、僕を避ける為 きっと通勤時間をずらしたのでしょうねぇ・・・いつしか歩道橋ですれ違う事もなくなりました。
ターゲットは彼女でしたが、何の罪も無い彼女の同僚と僕の先輩を巻き込んだ1ベイカー11の自爆テロ(笑

僕にとって、甘~いUCC缶コーヒーの苦~い想い出です・・・。


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少しずつ ゆっくりと、俺の手は下の方から登って行く。
目的地は帯の中央付近にある「開閉装置」だ。・・・いよいよ帯の高さまで到達、ゆっくりと中央へ。

(あれれっ!無い!!)

帯の中央付近にある筈の「開閉装置」は無かった。

(ここまで来たのに ど、どうしよう!)

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『ふふっ』
I が吹き出して、小さく肩で笑ってる。
(・・・)
I にしてみれば計画通り・・・
仕掛けた罠に俺がハマり、狼狽する様子も想定内だったに違いない。

前回、I はワイヤーなど芯の入っていない素材とデザインの「スポーティなヤツ」で俺を困惑させた。
それにも通常の「開閉装置」は無かったのだが、今回はそんなI の意地悪の2回目って訳。

「スポーティなヤツ」は前回以来、二人だけの呼称になっていて俺は「スポーティなヤツが気に入った」とI に告げていたので、今回も「スポーティなヤツ」で来るだろうと思い込んでいたのだ。

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Scene 2

I は自分で手早くブラウスの前ボタンを外して

『実は前で~す^^』

と、明るく笑っている。

(・・・何が『で~す』だよ!?もぅ・・・・・・・でも、かわいいよ)

いわゆるフロント・ドライブ・・じゃなかったフロント・ホックって言う厄介なヤツ(笑

『こう折って上下に分けると・・・ほら、ね?』

(・・・え~ っと・・・)

『真ん中をこう折って右側と左側を・・・ね?』

(ふむ ふむ・・・)

6つ年下だったI は何度も「つけては外し」を繰り返して説明し、今度は俺の手を取りまるで 何かのインストラクターの様な口調と態度でその「開閉装置」の取り扱いを教えてくれた。

取り扱いと言っても、俺には開いた「装置」を再び閉じる義務も必要も無いのだが(笑












非常にスリリングな関係だったI ・・・結局は傷付き合って辛く別れたが、楽しい思い出も沢山作ってくれた・・・。
しかし
彼女が教えてくれたこの「取り扱い方法」が、その後の俺の人生で役に立った覚えは無い。




Scene 1:既出、加筆修正済
Posted at 2013/06/05 02:28:31 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | その他
2013年05月27日 イイね!

197X年 中体連

197X年 中体連小学校 5年生くらいだったと思う、クラスにRe子と言う女子が居た。
Re子は典型的な「お嬢」で美人そして成績も良かったが、それを鼻にかける高飛車な態度の子だった。




そしてRe子といつもつるんでいたのがM江。
・・・その2人は例えば給食の時間、僕が牛乳のふたを開けるのに失敗したりすると、顔を見合わせて蔑んだような眼で僕を見るのです。

(何だよ~、もう)

そりゃぁ僕は成績も悪くバカだったけど
(ヤな女ども)
と思ってました。




ところが、ところが・・・いつ頃からでしょうか、何と言うか僕はM江の事が気になり出して。
それは生まれて初めて女の子に抱いた気持ち・・・好きになっちゃったんですね。

そして、なぜかM江は勉強面で僕をバックアップしてくれるようになりました・・・先生に指されて答えに困っていると、陰で僕を突っついてノートに正解を書いて見せてくれたり、本読みのページ 何処から読むのか分からない時、教科書の行を指し示してくれたり・・・。
実際に勉強の分からない所を教えて貰ったりしたんですが、保健体育系な話も大真面目にしてました。お医者さんごっこ こそしなかったけれど、『女の子の●●って・・・』とか、かなり突っ込んだ内容の会話が2人だけの間で交わされていたのは事実です(笑

お互い まだ子供です。当然「好き」なんて事を口に出したりもしませんでしたが「両思い」・・・この穏やかで暖かい感覚は経験のある人には分かると思います。

M江がイベントとかの係りで残っていると、関係ない僕も一緒に帰りたくて居残ってたり(一緒に帰った記憶はありませんけど・笑)。
そしてM江はスポーツ万能で特に脚が速かった。バトンを握り締め猛烈に加速(笑)して行く姿は今でもまぶたに焼き付いています。

卒業まで数ヶ月と言う時期に同じクラスのN君とY子と僕は引越し・・・本来の校区であるM中学へは行かずに同じ市内のK中学に進学が決まりました。

何と M江も引越し、やはり市内ですがK中学とは逆方向のS中学へ。

卒業までわずか、と言う事で敢えて「転校は無し」という措置が取られたのでしょう。家は遠くなってもそのまま通いました。
別れ別れになった僕たちでしたが、やはり子供・・・それほど深刻に考えても無かったんでしょうね、辛かった記憶もありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

Scene 1

中体連・・・陸上競技場のスタンド。
K中学に進学した僕の隣には、たまたまY子が座って居ました。
当時は もうM江の事を思い出す事も無かったと思います。

その時、フィールドを見ていたY子が遠くを指差して
『ねえベイカー君、あそこに居るのってM江ちゃんじゃない?』

(え?!!!)
確かにそこにはゼッケンをつけた体操服姿のM江が・・・




僕の記憶はここで止まってます。
気付くと僕はフィールドに茫然自失状態で突っ立ってました。
もう見渡してもM江の姿はどこにも・・・

制服でフィールドに立つ僕を他校の選手や係は何と思ったでしょう?
(何やってんじゃ?コイツ・・・邪魔!)
と。

いや、それよりも おそらく猛然とスタンドを駆け下りていったであろう僕・・・Y子は「眼が点」になっていたのでは?と思われます(笑
彼女にしてみれば、かつてのクラスメートを見つけて僕に告げるのも全く自然な事、僕とM江の事はもちろん知りませんし、他意はありませんからねぇ。

とにかく、あの時の僕の行動は頭が真っ白で (M江に会いたい)と言う心が体を突き動かしたって感じで、後にも先にもあんな経験はありません。

そしてこの事も、いつしか忘れてしまい(あんな事があったっけ・・・)と思い出したのはかなり後になってからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Scene 2

高校生になった僕は、クラスの友人達数人で下校していました。下校と言っても真っ直ぐ帰る訳も無く・・・どこの街でも見られる夕方の風景。

前からやって来る他校の女子数名・・・その中にM江が。僕とM江の学校は割りと距離が近かったのでこんな事はあって当然。

M江も僕を認め、互いに眼で挨拶。すれ違いざまに僕は「おうっ」と一言、M江は小さく頷き眼が笑ってます。



僕はM江がその高校へ進学したのも、その時初めて知ったんですが このすれ違いの後一緒に居たS中学出身のM君が





『○○(M江の苗字)と知り合いか?○○って中学時代ダサかったんだぜ~。何人もの男子にアタックしてフラれていつも教室で泣いてたんや。』

(ふ~ん、恋多き女か・・・。)



高校卒業まであと数ヶ月と言う時、僕は県外へ進学が決まっていました。
そんなある日、家に電話が掛かってきて たまたま僕が出たんですが、相手は何とM江。
中学時代とはまた違ったところに引っ越して居たので、一瞬僕は
(どうやって電話番号を調べたんだろ?)
と思いましたが、同じ街です クラスメートを辿って行けば直ぐ分かりますよね。

卒業までに何回会ったんだろう・・・
僕には噂になっていたクラスの女子が居ましたが、M江はその事について

『アタックしたら?』

とクスクス笑って言う。

(そんな事まで知ってるのか!全くもう。)

(他人事みたいに言うなよ。あんなヤツど~でもいい、俺はやっぱりお前が・・・)

心の中でそう思っても答えない、いや答えられない僕・・・。

やっぱりクスクス笑ってる・・・お見通し^^

やはり小学生の頃と同じ・・・タオルに沁み込んだ水の様に、何も言わなくとも何となく解り合えてる。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


おへそ、相変わらず腰が細い(爆

『うん。アタシ食べても太らない体質なんや。』

そう言って日清のカップヌードルをすすっていたM江。


卒業、そして僕は初めて親元を離れ県外へ。

『ごめんね、お見送り行けなくて。』

「うん。」

新しい学校、生活・・・期待に胸躍らせていたせいでしょうか?
やはり別れが悲しいとも思わなかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その後、僕は大都市の会社に就職、25歳の時に辞めて地元に戻って来た。
ぷ~太郎だったので家でゴロゴロ(笑

そんなある平日の午後電話が

『○○(M江の苗字)ですけど、ベイカー君居られます?』

(え?M江!)

僕はまたM江の事を忘れて居ました。そして、受話器の向こうからは幼児の泣く声が聞こえてました。



M江は短大に進学した後、お父さんの会社(つまり社長の娘だったんです)の後継者が必要な為、見合いで養子縁組、 20歳そこそこで結婚。

ところが会社は倒産、旦那とM江と幼児2人は狭い公営住宅に居ると言う。

僕は地元を離れていた数年の間には、それなり仕事も覚え、もちろん失恋も経験し、バカなこともやり、社会勉強もそれなりにして来てたと思います。
しかし、M江は人生の大きなイベントを既に経験し、大変な苦労を背負い込んで必死に生きてる。

(俺なんかM江に比べたら苦労知らずの甘ちゃんや!)

最後にM江が言った・・・。

『会いたい・・・』

「うん、分かった。」


電話の声には特別な悲壮感も感じられなかったけれど、やはり心の支えが必要だったのではないでしょうか。

考えてみれば、仮にも好きだった相手とは言え、既婚者が電話するのもかなり勇気が必要ですよね。
僕も独身の考えの甘さと言うか身軽さと言うか、人妻と会うと言う事の重大さをそれ程感じてはいなかった。

(M江と俺の仲だもん、会って当然。)

日時を決め電話を切りましたが、当時の僕にはS30Zと別れて以来、クルマが無かった。
で、スクーターでトヨタ・レンタカーのお店に行き確かカローラのセダンを半日予約したのです。

当日の午前中、M江から電話

『ごめんね、急に会えなくなった。』

「そう・・・分かった。」

僕は仕方なくカローラを借り、1時間ほどアテも無く走り返却しました。

M江からはそれ以来連絡はありません。

もし、あの日会っていたら?


・・・分かりません。














Posted at 2013/05/27 02:14:07 | コメント(5) | トラックバック(0) | 回顧 | その他
2013年05月22日 イイね!

197X年 市内K中学/チッチとサリー

197X年 市内K中学/チッチとサリー197X年・・・

世はスーパーカーブーム。
しかし僕は、60~70年代のスクリーンを彩る大きくて豪華なアメリカ車が元々大好きで、その上 当時の鈍重なアメリカ車とその屋根に心奪われ、変態としての第一歩を踏み出したばかりだったのです。

MF誌などを読む傍ら、学校では全く落ち着きの無い典型的な厨房(笑)でした。



同じ班にR子がいました。
決して目立つ存在では無いけれど、成績も良く色白でおっとりとした彼女の事を 同じ班のS君と僕は
「おねぇひゃん」と呼んで、とても仲が良かったのです。

僕はR子に対してもブルース・リーやクルマの話を熱っぽく語るバカだったんですね~、R子の目の前で気に喰わないヤツと些細な事から口論となり、激高して殴り合いのケンカもしたっけ

・・・まさに厨房^^

Scene 1

僕は工作の時間に傘立てを作った時に余った材料(=帯鉄)をL字に曲げて、女子のスカートをめくる道具に仕立て上げ(笑)、『キャー!!』と叫んで逃げ惑う彼女らを追い回していました。

ところが"スカートをめくる真似"だったハズなのに、どう間違えたか 手元が狂ったのか・・・(爆

あろう事か僕はR子のスカートを見事にめくってしまったのです。
綺麗な足と白いパンツのお尻は未だに僕の脳裏に焼きついて離れませんっ^^

教室中に一瞬の静寂が訪れ・・・その後、まるでスローモーションの如く 鬼の形相で振り返るR子!
それは僕の様なバカ男子の戯言を無言で受け止めてくれる、あの落ち着いた優しい「おねぇひゃん」の顔ではありませんでした。

僕は教室を飛び出し、必死で逃げ階段を駆け登り屋上へ出るドアへ辿りついたものの、ドアには鍵が!
階段を見下ろすと、猛追して来るR子が見えました。

『も~!恥ずかしいじゃないのっ!!!!!』

「ゴメン!!本当にゴメン!!」

手を合わせ心からの謝罪をする僕でした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
Scene 2

ある時、R子が僕に

『ベイカー君、コレ読んで』

と数冊の本を机の上に置きました。




それは「小さな恋のものがたり」(みつはしちかこ著)のマンガ単行本。
ドジでチビで純情な女の子チッチと、その彼氏サリーが主人公です。















サリーはカッコ良くて優しくて背が高い理想の彼氏。きっとその名の由来はオールド・ロックンロールの「ロングトール・サリー」から来ているのでしょう。

『男の読む本じゃない』
・・・そんな意見も聞かれそうな・・・でも ほのぼのとした優しい気持ちにさせてくれるマンガでした。
今の若い人には「まどろっこしい」内容かも知れませんが・・・時代は移り変わっても人間誰しも心の中には「純情」がある(あった)ハズだと信じたい僕です。

その後、最初の数冊を読み終えて、今度は僕の方からお願いして、幾度かに分けて別の数冊を貸して貰った記憶があります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


こんな年頃の女子は、男子より一足先に大人びて どんどん綺麗に成っていくものですよね。

僕はR子の事が好きでしたが、それは恋愛感情と言うにはあまりに未熟だったような気もします。

今思えばR子は母の様な眼差しで、僕を見ていたのではないでしょうか・・・あるいは?

彼女は僕に「読んで」と言った理由や本の内容に付いて一切口にする事はありませんでしたが、いずれにしても僕に

(落ち着いたオトコに成ってね)

と願う気持ちを、この「小さな恋のものがたり」に託したんだと思うのです。

その後の僕はどうなったのか?スカートめくりなどしない男の子に成長したのか?(笑
自分で言うのも変ですが、やっぱりチョット変わったんじゃないかな~。
中学生の頃の僕と高校生になった僕はずいぶん違ってたように思えます。

そして、オッサンとなった今の僕(笑)が醸成される過程では 少なからぬ影響をチッチとサリーから受けていると確信します。


と言う訳で、こんなオッサンの心の片隅には未だチッチとサリーが棲みついています^^

(ありがとう、R子)







こんな内容、ハードボイルド調では書けません(笑








Posted at 2013/05/22 01:14:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | 回顧 | その他

プロフィール

「トヨタ・カムリ2025のオーナーがシートの欠陥を告発、メーカーの品質に批判の声

日本はオワタ」
何シテル?   06/17 21:57
★時々「クルマいじり」しますが、新しい物には疎いです。 ★アメリカ車、旧車も好きです。 ★このHN見てピンと来た人は趣味が合うかも!?
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