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2011年03月09日 イイね!

MF誌 '78/11号 コンテンポラリーGTへの道 /S30ストーリー1

MF誌 '78/11号 コンテンポラリーGTへの道 /S30ストーリー1ニューフェアレディZ(S130)の登場に絡めて 「コンテンポラリーGTへの道」と題しS30ストーリーが語られています。

記事抜粋:

'64日本は高度成長の真っ只中にあった。その前年の第1回日本グランプリに始まるモータースポーツ・ブームはスカイラインGT、ベレットGT、コスモなどのスポーツ志向モデルを次々と生み出していた。
しかし日産はブルーバードSSSがヒットしたのみで、日産の いや日本のスポーツカーのパイオニアであるフェアレディは年間登録台数が1000台前後、輸出を含めても年間4000~5000台に過ぎなかった。

そんな中で登場した、フェアレディのシャーシーにゲルツのデザインを取り入れたボディを着せたダットサン1500クーペ(シルビア)は、高級パーソナルカーと言う新しいジャンルの傑作であった。
しかし、その高価格とハンドメイドが災いしてか 僅か554台が生産されたに過ぎない。

'64/10月 日産設計部門では大きな組織改変があり、スポーツカー担当として正式に「第4スタジオ」が誕生した。
この間、'65のモーターショーを目標に1台のGTの製作が進められていた。それはファストバックスタイル、リトラクタブル・ヘッドライト、直6DOHC、4輪ディスクブレーキなど世界最高水準を狙っていたものであった。
その試作を担当していたのはヤマハ発動機であったが、日産との協力関係は終わりを告げ このGTプロジェクトは消滅・・・この幻のGTこそ、後に登場するトヨタ2000GTであろう。

画像下:



さて発足した第4スタジオには、次期スポーツカーの具体的なプロジェクトなど全く存在せず、スタッフに与えられる仕事と言えば現行フェアレディの安全基準対策やマイナーチェンジ程度でしかなかった。

が、僅か10人程のスタッフはしっかりと前を見つめていたのである。

・・・続く。

    


                

                 トヨタ2000GTのくだりは、未だ正式に実証されて無いのかも知れませんが
                 こんな時代から良く語られていました。
                 何故 日産とヤマハ発動機の関係が終わったのか?
                 そのまま開発が続いてたら、S30Zは誕生しなかったのでは無いか?

                 面白い記事は読んだ記憶が甦ります^^               

Posted at 2011/03/09 00:24:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | 書籍 | クルマ

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