• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

1ベイカー11のブログ一覧

2011年03月28日 イイね!

MF誌 '78/11号 コンテンポラリーGTへの道 /S30ストーリー3

MF誌 '78/11号 コンテンポラリーGTへの道 /S30ストーリー3前ブログからの続き・・・記事要約

コンテンポラリーGT=次期フェアレディ計画は、アメリカでの爆発的ヒット作フォード・ムスタングに倣い「本格的なスポーツカーよりも、ムスタング風スペシャリティ・カーの開発を」と言う声が強かった。

「本格的GTを作りたい」と言うスタッフの情熱と計画も、このような意見により葬り去られてしまうかのように思われたが、当時のアメリカ日産の社長であった片山 豊氏の強力なバックアップにより「フェアレディZ プロジェクト」のGoサインが出た。1965年の終わりごろの話である。

コンテンポラリーGTと言う割に、初期には 「オープンボディに4気筒」と言う現行フェアレディの古典的路線を踏襲したものや、前出のスペシャリティ・カー等がメインだったが、ここでも片山氏の「クローズドボディのクーペで」と言う鶴の一声で方向が決定された。

エンジンは既存のユニットを使用する事が前提となっていたが、1966年にプリンスとの合併によって次期フェアレディに搭載されるエンジンリストは大きく膨れ上がった。
すなわちフェアレディ用R型4気筒、プリンスのG型4気筒/6気筒、セドリック用L型6気筒などなど。

新型ブルーバードにはL16型が搭載される事になっており、このエンジンこそ日産乗用車用エンジンとして中核をなすユニットであった。部品の共通化と言う点でメインはL型6気筒に決定、そのかわりプリンスのS20型6気筒もラインナップに加わった。



いざ、発売されたフェアレディZは国内向け2.0LのZとZ-L、それにZ432とZ432-R、対米輸出仕様の240Zと言うラインナップ。月産2000台でうち1500台が海外向けの予定だった。
1年目の1970年、はやくも年産2万1837台と当初の目標ラインに乗り、1977は8万4156台を生産。累計('77末)では48万4734台を生産、うち輸出は90%にも及ぶ。

安価で高性能・・・70年代のスポーツカー像を見事に具現化した結果である。
Posted at 2011/03/28 07:21:56 | コメント(1) | トラックバック(0) | 書籍 | クルマ

プロフィール

「Mercury Cougar http://cvw.jp/b/183514/48561751/
何シテル?   07/25 09:36
★時々「クルマいじり」しますが、新しい物には疎いです。 ★アメリカ車、旧車も好きです。 ★このHN見てピンと来た人は趣味が合うかも!?
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2011/3 >>

   1 23 4 5
6 7 8 9 10 1112
13 141516 17 1819
2021 22 23 2425 26
27 28 29 30 31  

リンク・クリップ

日産 240RS 1 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/05/05 03:32:55
パーキングブレーキ信号解除/TV・NAVI その1 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/02/17 06:53:40
SportRoof 2/GTS 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/05/09 12:52:01

愛車一覧

スバル インプレッサ G4 スバル インプレッサ G4
メイン機だったインプレッサ アネシスを長女に遣った為に乗り換え。 既にMTの設定は無く ...
ホンダ N-WGN ホンダ N-WGN
家内のクルマ。 スバルの純血・軽自動車が消滅した今、止む無く手放したステラからの乗り換え ...
三菱 ディアマンテ 三菱 ディアマンテ
4WDの普通車を探してたら、、たまたまコレがありました。30RSと言うグレードで4WD& ...
スバル ヴィヴィオ スバル ヴィヴィオ
KY31の後継(軽オンリーにする)と言う事で黒ビビ(我が家の言い方)と同じ車を探して購入 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation