
1970年代の前半、広いF大学の敷地内に木々が鬱蒼と生い茂る一角がありました。
それは その周囲・・・つまり大学構内はもちろん、学外の道路や住宅などの喧騒から隔絶された不思議な世界。
大学の場所が市街地であるにもかかわらず、木には巣箱が据えられている・・・そんな「森」と言っても良い場所でした。
大学の周囲には塀が張り巡らされていましたが、あちこちに人や自転車が容易に出入り出来る隙間があり、そしておそらくは子供だったせいもあるでしょう・・・僕は自由に学内を自転車で通り抜けていたのです。
そんな塀の隙間は当の学生達も大いに利用していたはず・・・周囲には学生アパートが点在しており、彼らもわざわざ遠回りして正門から入る事もない訳で。
学内の「校舎」や「倶楽部」の建物には、かつての学生運動の爪あとが・・・まだそんな雰囲気が残っていました。
Scene 1
小学校高学年だった僕は、自転車でT町へ良くパンを買いに行ったものです。
本来なら大学の周囲を迂回して行くべき所を、平気で学内に入りT町へ行く近道としてこの森の中の小路を通り抜けていたのです。
その途中に上品で落ち着いた佇まいの、そこがまるで どこかの避暑地を連想させる様な洋館がありました。
その洋館の前には、いつも黒塗りの130セドリックがあったのを覚えています。
ずっと後になって、この洋館は学長の公邸だと聞いたのですが真偽は分かりません。
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Scene 2
6年生の頃、通っていた英語塾のS先生と仲良くなりました。
S先生はF大学の学生で、何度かT町のパン屋さんの近くにある彼のボロアパートに遊びに行ったものでした。
先生は絵に書いた様な貧乏学生(笑)で、乗っていたのがスバル360。
いや、今思えば 貧乏どころか、古い軽とは言え 学生がクルマに乗れるのも当時は贅沢だったのかも知れません。
ある日曜日の朝、先生のボロアパートに遊びに行ったら 眠っている彼の傍らに腰掛けて、寝顔を見つめる おねぇさん(きっと彼女だったのだろう)に出会いました。
「先生は?・・・」
彼女は僕に無言で微かな笑みを返したような気がします。
先生を見つめる彼女の表情は、とても優しそうで穏やかで、何か母性のようなものを感じました。
もちろん、彼女はちゃんと服を着てましたし(笑)前夜からここに居たとは思えないのですが
僕は
(来ちゃいけなかったな)
と感じ、すぐに帰った記憶があります。
いつでしたか、校舎などの大きな改修を機に 例の森を亡くすべきかどうか?と言う議論が巻き起こっている と何かで知りました。
(ああ、僕の大切な場所を壊さないで・・・)
と思ったものでしたが、成す術も無く月日は流れ・・・
今、あの森はどうなっているんでしょうね。
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やはり小学校5、6年生の頃です。僕は小学生向けのサイクリング・クラブ「おはよう サイクリング」に所属していました。
日曜の早朝、5時とか6時に集合した十数名の小学生を2~3人の大人が引率して1~2時間ほどの自転車ツーリングに出掛けるのです。
思い起こせば、田んぼしか無かった「大和田」やその先の「寺前」「舟橋」周辺まで足を伸ばしていたのを覚えています。
集合場所は市中心部にある熊谷公園(熊谷組/熊谷太三郎の銅像がある事からこう呼ばれるが、正式には中央公園かも)、地元の人間なら誰でも知っている所。
Scene 3
ある日曜日、僕はいつものように熊谷公園に到着すると、まだ誰も来ていない。
噴水のある広場に自転車を押して行った僕の目には
ベンチで抱き合う男女の姿が!!
「何?この人たち!」
彼らは服も着ていたし
もちろん、ナニがナニしてど~なると言う事も、知識として持ってはいたけれども、僕としては早朝とは言え人前で・・・と言うのが、かなりショックだったのを覚えています。
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時は、日産スカイライン・・・C110型がデビューした直後。
部屋には白いケンメリハードトップGTのポスターが貼ってありました。
洋館に負けず立派な高級車に見えた130セドリックとS先生のポンコツ・スバル360。
昏々と眠るS先生と彼を見守る優しい眼差しの彼女。
そして、彼らとは対照的な ドロドロした欲望の塊みたいだった公園で抱き合う男女。
・・・子供だった僕は車と恋人とその行為をぼんやり結び付けて
(オトナになったら
M江〈既出)と白い
ケンメリハードトップで旅に出るんだ!)
な~んて思ってたのです。
Posted at 2013/06/13 02:08:22 | |
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