
みん友さんの JetBoy 氏からのメールに添付されていた画像
付けられていたキャプション:
『僕もこの頃の三菱車が好きで、家族がシグマの初期・後期両方乗っていたので印象深いです。この頃の三菱デザインが垢抜けているのは多分契約デザイナー、イタリヤのアルド・セッサーノを使っていたせいかもしれません。ランサーEXは一応彼のデザインとされていますが、シグマも、当時のふそうバスも彼の息がかかっていると思います。んで、僕が好むのはチャレンジャーよりこのサッポロなんですよね。。。屋根にまたがるブラッシュド・アルミナム風の飾りにコーチライトが灯くのがいいです。
されどこの実車、今見ると凄く小さな車体なんですよね。。。。』
★外国人デザイナー、イタリヤのアルド・セッサーノ
彼の憶測ではあるんですが、こんな情報は初耳でしたから
「その様な話は殆ど日本には伝わって来ない」
旨の返信をしたんです。。。そしたら
『デザイナーの話で思い出したんですが、日本では矢張りメンツの問題もあるので外注のデザイナーの話は余りしたがらないみたいですね。
僕が好きだった数々のランブラーやらAMCのスタイルをデザインしたのがデイック・テイーグ (Richard Teague) と言う人で、ペーサー、ジャヴェリン、本田で売られていたジープ・チェロキー、グランドチェロキー、ホーネット。。などなど。彼はかなりのカーキチだったんですが、90年前半に亡くなりました。そうそう、AMC、ルノーとクライスラーが混じってた時期のイーグル・プレミヤ(恐ろしい事に日本でも正規輸入されていた)やらメダリオン、アライアンスも彼のしわざでした。
NSUのRo80から始まって、アウデイ、80年代から90年代までのBMWのデザイン課の大ボスだったクラウス・ルーッセも良かったんですが、麻薬に溺れた息子を殺害し刑務所に入れられてかわいそうでしたねえ。
ポール・ボラック (Paul Bracq) はクラウス・ルーッセ時代のBMWの内装を担当していて、当時僕が乗っていたプジョー505と79年式のBMW320なぞ、ダッシュボード、特にグローブボックスの作りデザインなんか全く同じでした。。』
★ と返って来ました。チェロキーなど触れた事もあり懐かしいんですが、もう僕なんかの半端な知識・見聞など足元にも及ばない!
★ところで、メール内の次の画像・・・
付けられていたキャプション:
『サターンの末期、売る車がなくなり開発財政もなかったので、ベルギー製のオペル・アストラを、サターン・アストラとして売っていました、たった2年だけ。珍しいです。。USに来た最後のオペルかも。』
この赤い個体が、かつてヤナセでも売られていたオペル・アストラだと言う事は僕にも解るんですが、サターンの末期を知らない・・・こんな事やってお茶を濁してたんですね。
付けられていたキャプション:
『2年しか売らなかったのはこのロンズデールと言う車も。イギリス限定。オーストラリヤ製のシグマを日本車輸入規制が厳しかった英国で売ろうと言う企み。同時期に日本製の同型シグマもあったのに。。。おまけに三菱の名前、エンブレムは全く出ず、ただロンズデール・セダン/エステートとして三種類のエンジンとセダン・エステートワゴンでありましたが当然の如く全く売れず。因みにロンズデールと言う名前は南オーストラリヤ、三菱の工場があったアドレイド南のエンジン工場があった場所の地名です。』
★2年しか売られなかったサターン・アストラに絡めて・・・これも日本では殆ど知られていないでしょう。
付けられていたキャプション:
『同時期のシグマ、こちらは正統三菱版、英国での広告。見えにくいですがグリルの中央に大きな三菱マークが付いてます。』
※このメール自体は2016年1月初めのものです。
Posted at 2016/05/07 10:27:42 | |
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