
みん友さんの JetBoy 氏からのメールに添付されていた画像
付けられていたキャプション:
『我が家は何故か昔からスバルがよく絡んでいるのですが、富士重の北米での歴史が意外と曖昧なんですよね。。。ご存知マルコム・ブリックリン氏がスバル360を売った話は有名ですが、彼は東部の出身で二十歳になる頃には自分で金物屋を経営していて、そのチェーン店を売った資金で今度はガソリンスタンドを買い、そこでモータースクーターのレンタルを始めたんですがそれにラビットを使いたかったらしく群馬まで遠征して交渉したらしいんです。それが60年代の始め。。調べると既に富士重は合衆国でラビットを売っておりそれが彼の目に付いたんだと思います。んで群馬で初めて360を目にしたマルコムさん、これを売りたいと閃いたんですが、こんな小さな車は輸出、それに合衆国には絶対向かんと富士重はかなりの難色を示したそうなんですが、徹底的に部品を省いた軽量仕様にして合衆国の法規をかいくぐりマルコムさんがスバル・オブ・アメリカを設立して車両を売り出すのは知られていますが、実際彼がラビット・スクータのレンタル事業起こしたかはわかりませんし、実際彼がスバルを売ったのは数年間で ff-1をスターシリーズとして持って来た頃には上場したスバル・オブ・アメリカの保有株を富士重に売り払い莫大な利益を手に入れその資源を使いキャナダ政府を巻き込んで例の安全車ブリックリンを製造し始めるのです。ただこの人、生涯長続きがしない様でブリックリンも数々の問題で短期間のビジネスに終わり、次はザスタヴァのユーゴを合衆国に輸入し一躍有名になりましたがこれも数年で辞めて、そのあとはフィアットのX1-9やらアルファのジュリエッタか何かをピニンファリーナ名義で輸入するもキャデラックとピニンファリーナがアランテを製造する関係でこれも辞め、次は中共製の自動車を輸入する計画を進めますが連中に契約破棄されマルコムさんが訴訟を起こしてまとまったお金が戻って来たのは結構最近の話ですね。彼は今でも健在で今度は電気自動車と芸術絵画を売るとかリースするとかまた怪しい計画を立てているそうです。いすゞ・ベレル、ダイハツ・ミゼット、コニー・ワイド、プリンス・スカイライン、ニッサン(ダットサンでは無い)セドリック、50年代から60年代にかけて日本からのヘンテコな輸入車が来た時代、誰か本でも書いてくれないかしら。。。』
★「>北米での歴史が意外と曖昧
弱小メーカー故でしょうか・・・。
>マルコムさんがスバル・オブ・アメリカを設立
恥ずかしながら、全く知りませんでした!
>ブリックリンを製造し始めるのです
ほとんど知られていませんね、リトラクラブル・ヘッドライトのアレでしょ?
当方のブログ、過去MF誌読み返しの
ユーズドカー記事で一度だけUPしています。
>また怪しい計画を
わははっ!!
>日本からのヘンテコな輸入車が来た時代
いや充分 JetBoy さん なら書けますよ^^ 」
『ラビットの広告。注目すべき事はこの広告が1963年以前の物だと言う事です。何故ならば住所に ZIP Code (郵便番号) が入ってない事です。ZIPコードが始まったのが1963年ですから。。。富士重の住所はサンジエゴになってますね。これが木馬に乗った高峰秀子だったら。。。』
★「え?通じません(汗
高峰秀子は名前と顔だけ 辛うじて知ってますが・・・。」
『ブリックリン氏がスバルを売っていた時の広告、"安くて醜い” と言うキャッチフレーズが好きだったみたいです。この頃にはZIPコードは普及していたみたいで、スバル・オブ・アメリカの西部の住所はロスアンジェリースのニューポートビーチになっています。因みに現在この住所はマゼラーテイとフェラーリのデイーラーです。以前はスバルの事を合衆国ではスバールウーと発音していましたが、70年代後半になってスーバルー, (バを強く発音しない) になりました。いすゞと共に発音し難い名前です。ウィキペディアは米国でスバル450をマイアの名前で売っていた様な事書いてありますが間違いです。誰が書いたか知りませんが日産の車種で、アメリカの安全志向向上で自動シートベルトが装着されるなんて、デタラメ見ましたね〜。。(ありゃ法規の改定でエヤバッグ未装着の車両に義務付けられたシロモノ)。』
・・・to be continued
※このメール自体は昨年5月のものです。
Posted at 2018/01/07 22:50:51 | |
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