2019年01月17日
Youtube を徘徊していたら、こんな動画に出会いました。
亡き父が海軍に居た事で、僕らは幼い頃から訳も分からないクセに、軍歌のメロディだけは耳に焼き付いて来たんですよね。
しかし、この動画を見て(聴いて)、想像していた歌声とのギャップに驚きました。
そしてドンドン引き込まれて ・・・素晴らしい・・・。
寄せられているコメントを引用させて頂きます:
『日本人が、これ程一丸となり、国難に立ち向かう事はこの先永遠に無いのでしょうね。さびしい気がします。』
『桜の散る頃と銀杏の散る頃、お掃除と本殿へ三敗させて頂いております!自分は元、自衛官、砲兵です。現在息子が奉職致しております!曾祖父から陸軍一筋です。時代は移り変わりがありますが、父母を愛し故郷を愛す心は不変と信じ生きております!このうたを聞くと考えさせられます! 』
『私は今年還暦を迎えたばかりです。私は決して戦争賛美ではありませんが、先祖、先輩たちの残してくれた日本人としての誇りをこれからも大事に生きて行くことがご恩返しだと思って居ります。子供の頃から本能的に特攻精神成るものがあって現在に至って居る気がします。どこの国だって自国第一主義で生きているはずです。愛国を唱えて何が悪いのか。今の教育は欺瞞に満ちて居ることに留意すべきだと思います。』
『戦争の善悪を論ずる前に今ある日本を遺してくださった先の日本人の諸氏に感謝いたします。 』
『泪が出ます、、若き学徒の雨の中の行進、、胸がつまります、、今の平和をありがとうございます! 』
『あなたたちのおかげで、今の自分が、日本が、有ります。 』
母から聞いた話・・・小学校高等科?今で言う中学生くらいの時、学徒動員で軍需工場(恐らく福井に在った繊維工場は兵器工場に改造されたのでしょう)へ駆り出され
『皆目見当もつかない何かの金属部品』
を加工だか研磨だか 毎日やっていた。
そうです。
終いには上陸して来る米兵を薙刀で殺傷する と言う訓練までやらされた とか。
どう考えても中学生位の小娘が、兵隊を殺す・・・など到底無理な事ですよね。
当時既に鍋窯は徴収され、食事も満足に得られず と言う育ちざかりにとっては過酷な環境だったはずですが、それこそ『国の大事に殉ずる覚悟』で皆一丸となっていたのでしょう。
翻って まだ出会わぬ父は取り敢えず 海軍に居た頃は腹を空かした事は無かった と、言ってました(笑
Posted at 2019/01/17 22:27:30 | |
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Look back to the old..... | 日記