
1982年冬のある夜
俺たち数人のグループは、アルバイト先の大きな工場で簡単な流れ作業をしながら、車談義に花を咲かせていた。
セリカ、カリーナ、レビン/トレノ、スカイライン、ローレル、ブルーバード、サニー、GTO、サバンナ、ルーチェ・・・タイヤを買い 車高を落とし キャブを換え ゼッケンを入れ・・・。
「俺たち」とは、皆それぞれに無い金を捻出して愛車をコツコツと仕上げていた連中だ。
おそらく世間は言ってただろう、「暴走族のガキ」と。
しかし彼らはこう反論しただろう、「俺たちは愚連隊ではない」と。
若いエネルギーが、たまたま野球や音楽や魚釣りや山登りに向かなかっただけなのだ。
いや、言い訳はすまい。もう過ぎてしまった事・・・時は遡れない。
さて、俺と彼はタイヤの話になった。俺はセリカGTVにポテンザRE47を履かせていて、当時としてはその強烈なトラクションとウェットグリップに絶大な信頼を寄せていた。
彼はブルーバードUのSSSにアドバンHFを愛用しており、両タイヤともに70~80年代に登場したハイパフォーマンス・タイヤの草分け的存在だった。
彼はアドバンの方が「喰いつく」と言って聞かず、俺はポテンザの方が「滑った後も粘る」と言って譲らず・・・結局、その夜アルバイトが終わってからタイマン勝負することになったのだ。タイマン勝負と言ってもアルバイト終了後には、毎夜数人の 駐車場へ向けてのル・マン式スタートでレースが繰り広げられていたのだが。
コースはアップダウンこそ少ないものの、田んぼや畑の中を縫う様にして走るコーナーが連続する農道だ。見通しは悪くないが街灯もなく 幅もそれほど広くは無いから、慣れてなければ法外な速度で走破する事は難しい。
たしか1.5~2km程の区間で何もアルバイト先への行程で通る必要は全く無かったのだが、コーナーを攻めたい一心でこのルートを皆が好んで走ったものだった。
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俺はある程度の車間を保ちつつもSSSのテールにピッタリ喰らいついて決して離れない。
彼が先行しているが抜く事は不可能だ、道幅は狭く両車のパワーにも極端な差は無いから。彼もそんな事は充分に承知している筈。
と、その時だった。
たぶん用水路か狭い川が横切っている所、そこだけがコンクリートで盛り上がった橋のような状態になっている。かなりのスピードでそこを乗り越えたSSSは、着地した瞬間に腹を当てて派手な火花を散らしたのだ。
そう、一瞬サスペンションのフルボトムに近い状態が 起きたのだろう。
(今の衝撃でマフラーやオイルパンにダメージがあってもおかしく無いな)
後ろから見ていた俺はそう思ったほどの激しい火花だった。
彼は徐々に速度を落とし停車し、俺もSSSの後ろにつけてクルマを降りた。
真っ暗闇の中、ヘッドライトとテールランプの明かりだけが煌々と点いている。
「参った、降参!」・・彼は笑っている。俺はSSSのフロア廻りが心配で(笑ってる場合か?)と思ったが、「な?ポテンザの方が上だろ」と答えた。
実は、結構 追走するのに一生懸命だったのだが、彼には30年近く経った今でも この事を伝えてはいない。
Posted at 2011/08/15 01:05:13 | |
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