前ブログの続き
国道8号線は新潟県を起点として富山県、石川県、福井県を経て滋賀県・京都府へ通じる、昼も夜も大型トラックが多数行き交う北陸を貫く大動脈です。
我が福井県内は石川県境から数km あわら市内で国道8号線バイパスとして、坂井市・福井市・鯖江市と南下し福井平野を縦断。そして越前市南部の「塚原」交差点で旧国道8号線と合流し更に南下、敦賀市へ向かいます。
この越前市南部から敦賀市にかけてのルートは、嶺北地方(今庄町以北)と嶺南地方(敦賀市以西)の分水嶺とも言える山間部と、越前海岸の険しい断崖絶壁を縫うように走るトンネルとカーブが連続する標高差の大きい走り難いコースでもあります。
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ずっと以前、今は亡き父から聞いた話・・・
海軍予科練生で終戦を迎えた父は、昭和20年代の初めに車の運転免許を取得して 池田小型自動車(現・福井三菱自動車)に勤めていたそうです。
そんな頃 稀に敦賀方面への納車があったそうで、出発前には社長はじめ事務員さんまで社屋玄関に出て来て見送ってくれて「餞別」まで頂いたそうで。。。つまり敦賀へ車で行く事は『命懸け』だったと。前述の越前海岸沿いを走るルートでは『あの時代、何台崖下に転落してるか分からないほどだ。』とも言ってたのを思い出します。
「走り難いコース」と述べましたが、現在の国道8号線で越前市から敦賀市までは約40kmを50分ほどの行程です。
しかし当時の国産自動車と言えば殆どがトラックかバスで、乗用車と言えば進駐軍の持ち込んだアメリカ車のみ。そんな時代・・・今改めて父の言葉を思い起こすと『命懸け』と言うのは道路事情もさることながらクルマ自体が「いつ故障してもおかしくない」「今では考えられない程 信頼性に欠ける」と言う意味も含んでいたと、想像に難くない訳です。
そして前述の越前市南部「塚原」交差点以南は1958年から1972年まで有料道路で、それ以前の国道8号線は別ルートだったと。。。廃道マニアの中でも有名な「春日野隧道」や「旧々桜橋」(過去フォトアルバムUP済「桜橋x3本(新・旧・旧々)」もその一部ですね。
以下 “越前・若狭 歴史街道” 上杉喜寿 著 1992年初版より抜粋:
『それは千有余年の歴史を秘めた古道 ”北陸道”が原型とされ、明治20年開通の”敦賀街道”を経て”国道53号線”と呼ばれた事もあった。』
『国道8号線とは昔からの北陸道をうけて、新潟市から京都市に至る延長578キロを言う。北陸地方と京阪神及び中京地区を結ぶ唯一の幹線道路で、このうち福井県下の道程は92キロばかりをいい、”敦賀街道”と呼ばれる区間はその半分ほどで、春日野から大谷までの区間はとくに運転者泣かせの道であった。』
『武生市(現越前市)郊外の妙法寺山南端から山の中を屈折する道にまだ「北陸道」の名が入っているがこれが敦賀街道なのであり、かつて北陸道と呼ばれた道の名残である。(中略)明治20年に完工したもので 特に妙法寺・具谷間は「春日野新道」とも呼ばれたりしたが今日これらのもの全てを抱合して「国道8号線」と呼んでいる。』
父が70年前に通った旧国道8号線・・・
それは 所々に未だその面影を残すけれども、残念ながら ほぼ人々の記憶から消えつつあるようです。そして僕の中では まだまだ分からない部分を多く残しています。
また春日野隧道は崩落の為に通行不可だそうですから、そもそも全走破は無理。。。それにセダンでは行けそうにありません 。
しかし単身赴任で この地に居る内に、出来るだけその痕跡・遺構に触れてみたいと思うのです。
妙法寺山西側にアイシン精機系列の大きな工場が出来て、その先にも電子部品製造の工場があります。これらは地元の雇用創出にも大きな貢献をしていますが、それだけに 8号線バイパス(及び武生IC)との接続は必要不可欠だったのでしょうけど、千有余年の歴史を秘めた古道 ”北陸道”を原型とする貴重な旧国道8号線を潰すとは!
フォトアルバム 旧国道8号線へ 3/切通し
Posted at 2023/01/14 21:45:32 | |
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